青春18きっぷが使える時期になると、それを使っていずこかに遠出をするのが恒例になってきた。夏は関東と東海を巡ったので、次は北へ行くのである。
年末年始の書評家などは暇なものだ。十二月下旬に配本される書籍というのは少なく、ということは主だった仕事は上旬には終わってしまうわけである。青春18きっぷを使える期間は十二月十日からだから、これは自分のためにあるようなものだ、と内心ほくそ笑んでいた。ところが、自身の無精のせいなのか、十二月になってもあれこれの用事が片付かず、気が付けば年内に遠出が可能なのがわずか一日ということになってしまった。青春18きっぷは五日分セットだから、残り四日分を一月十日までに使わなければならない。二日半に一回出かける計算で、新年一日と二日は年始回りがあって遠出はできない。
これは困った、と思っていたら意外な救い主が現れた。
年下の同業者・若林踏氏である。年末に会った際、新年に遠出を考えていると話したら、「僕も行ってみようかな」と言い出した。北へ向かう旅に関心あり、なのだ。
どうした、若林。失恋でもしたか。
問い質してみようかと思ったが、泣かれても面倒である。ここはいいカモ、ではなかった善意の救い主が現れてくれたことに感謝し、同行をお願いした。
行く先は杜の都・仙台だ。
なぜ仙台か、と問う人は愚かである。愚問と言うしかない。
私は答えるであろう。
「そこに萬葉堂書店があるからだ」と。
■朝から餃子定食
同じ首都圏でも私は西側、若林氏は東側に住んでいるので、上野駅を待ち合わせ場所にした。一月某日の午前六時三十分、われわれは上野駅不忍口で落ち合ったのである。
ここからの行程は以下のようになる。
6:48上野発(快速ラビット)8:18宇都宮着
9:31宇都宮発10:21黒磯着
10:26黒磯発普通10:50新白河着
10:53新白河発普通11:32郡山着
11:39郡山発普通12:27福島着
12:40福島発快速仙台シティラビット13:55仙台着
残念ながら、JRの各駅停車だけを使うと午後二時より早くは仙台に着けないのだ。都内を午前五時前に出れば私は到達可能なのだが、それだと若林氏と落ち合うことができないのである。もちろん、
「君が東京駅付近に前泊してくれれば、午前四時台に合流して出発することも可能なんだけどね」
「それで仙台着は何時になるんですか」
「十一時五十六分」
「二時間の短縮のために前泊するのはちょっとなあ」
「だろうね」
それに、そこまで早く着くことには固執していないのである。何しろ仙台行の目的は、萬葉堂書店のみなのだから。
「僕はね、萬葉堂書店に行ければあとはもう何も要求はしないんだよ。それだけで満足だ。極論してしまえば、萬葉堂書店の前に到達して、来た、という気持ちを噛みしめられさえすれば、店内に入らずに引き返してもいいくらいだ」
「じゃあ何をしに仙台まで行くんですか」
「決まっているだろう。萬葉堂書店に行く。純粋にその行くという行為のために行くんだ」
「どうかしてますよ」
「うん。もしかすると僕は、本当は古本屋に行きたくなんてないのかもしれないね。古本屋に行くという大義名分だけが欲しいのかもしれない」
「行ってもどうせ本はあまり買わないんでしょう」
「買いたいけどね。でも、家にたくさん本があって、増やすわけにはいかないから」
先日のいわき行でも三百円の本を一冊買っただけだ。
「じゃあ、なんで古本屋に行くんですか」
「古本屋に行くためだよ」
「どうかしてますよ」
そんなことを話しているうちに八時十八分、列車は最初の乗り換え駅である宇都宮に着く。ここで駅を出る。朝食を摂るためだ。
「このまま宇都宮を出ずに八時三十二分に乗って黒磯まで行っちゃう手はあるけどね。でも、その場合は黒磯で同じように一時間くらい待つことになる。宇都宮か黒磯か。そのどっちかでしか食事ができるような時間はないから」
「宇都宮で下りましょう。嫌な予感がする」
「そうだね。宇都宮には朝からやっている餃子屋があるし」
やっているのである。
宇都宮駅の近くには餃子屋が固まっている地帯がある。そのうちの一軒、宇都宮餃子館駅前中央店が、午前六時半から営業しているのだ。明らかに我々のような旅行客目当てである。メニューにも堂々と朝餃子定食五百円也が記載されていた。それを二つ頼んで食べる。さすがにこのあとの行程がきつくなるので、ビールは遠慮する。
宇都宮一好きな香蘭には及ばないが、立派な餃子であった。立ち食いそばで済ませても三百五十円から四百円はするであろう。それを考えればずいぶんお得な朝食である。
九時三十一分発の前に九時八分発というのがあったので、その便で宇都宮駅を出て黒磯駅には十時一分に到着した。乗り換え時間があったので駅の外に出てみたが、周囲には何もないのであった。この駅で初めて下りたのは大学生のころだからもう三十年も前のことだが、そのときとあまり眺めが変わっていない気がする。変わらないのはいいことでもある。おかしな風にいじくった結果、今や地方都市の主要駅周辺はすべて同じ光景になってしまっているからだ。黒磯はこれでいいのではないか。
だが、観光案内を見ていた若林氏が、
「黒磯の名所なのにトップが那須高原ですよ。那須高原頼みの駅なんだなあ」
と、非常に失礼な感想を口にした。
■嗚呼、古本文化の聖地・萬葉堂書店よ
仙台駅には予定通り十三時五十五分に到着した。あらかじめ調べてあるので、駅前七番か八番の停留所から出るバスに乗ればいいということはわかっている。初めて来たときは、まだインターネットという便利なものはなかったので、大変であった。萬葉堂書店が鈎取インターの近くにあるということはわかっても、そこまでの足をどうすればいいかの情報が東京では手に入らない。結局、タクシーに相乗りして店を目指すという非常に無駄なことをしていたのであった。
問題なくバスに乗ることができた。これから萬葉堂書店に行かれる方、仙台駅前七番か八番のバス停から、鈎取経由のバスである。このバスは隣の長町駅前を経由するので、そこから乗ってもよろしい。覚えておかれるように。
萬葉堂書店は正確に言えば萬葉堂焦点鈎取店である。以前は泉店というのがあった(それ以外にもう一店舗存在していた時期もあるらしいのだが、私は行ったことがないので未詳である)。また、姉妹店に尚古堂書店というのもあったのだが、これも二〇一七年に閉めてしまっている。
仙台には最盛時二桁以上の古本屋が存在した。東北大学に近い青葉通り一番町付近に密集していたし、それ以外にも街の各地に分散する形で古本屋があったのである。市内に遍く広がるという形で、すべてを回るためには時間がかかる街だった。ところが最近になって閉店が相次ぎ、青葉区内の店舗が五指に満たないという状況になってしまったのである。萬葉堂書店鈎取店が存在するのは太白区だが、ここが最後の砦と言っていい。古本文化は鈎取の地が守っているのだ。もしもここが閉店してしまったら、仙台を訪れたいという意欲は半減してしまうであろう。あくまで私の場合は、だが。
バスは鈎取停留所に着く。そこから目と鼻の先、鈎取郵便局の隣が萬葉堂書店である。路上から見える立派な看板は、さながらチェーン展開している新刊書店のようだ。しかし、ここは古本屋なのである。店の前で記念撮影をして、いよいよ中に。何年ぶりだろうか。いや、お懐かしい。
店舗は広く、その全貌を説明するのは簡単ではない。よく「体育館のような古書店」と形容されるが、敷地面積はだいたいそれで合っている。ただし、この体育館には地下がある。店員に声をかけないと入れない地下の売り場は高めの値付けもある希少本が主の売り場だ。上階の三分の二ほどのスペースにぐっと硬めのものから文庫新書、児童書に至るまで、お宝のような本が詰め込まれている。階段を下りていってまず出逢う通路からして、見たこともないような新書の珍本を並べた罠のような棚なのだから、その充実ぶりがわかるだろう。
その通路を抜けると左の棚が児童書と小説系雑誌、全集関係。その右には通路と垂直に棚が並べられており、最も手前にやはり児童書、そこから文学系のハードカバーが並ぶ棚が延々と続く。著者五十音別だが、夏目漱石関連だけで棚一本分あったりするのでここを見るだけでも通常の店舗一つ分くらいの時間はかかるはずだ。その奥に文庫・新書棚。それを越えると理工書や社会科学系などの学術書コーナーに行き当たる。今説明は省いたが、郷土史関係や詩歌・句集、歴史書などの普段はあまり見ない棚もあるので、私と関心の違う方はまた別の形で時間をとられてしまうはずである。
上階は、入口付近が児童書及び漫画、雑誌の棚である。ここだけでやはり一軒分の棚の量はある。そこからレジを越えた向こうが一般書の地帯になる。記憶で書くのは辛いが、最も左に芸能・芸術系、次が社会科学や人文科学、法律、理工書といった学術書のゾーンであり、それを通過するとようやく文学系の棚になる。ここももちろん延々と作家別の陳列が続くので、目当ての名前が決まっていない場合は体力勝負でひたすら棚を見続けることになる。さらに新書、文庫などの棚が何列も連なり、反対側の壁側まで行きつく。最も右側の列の一画が奉仕品、百円均一棚だ。店内にはこれだけではなく、ワゴン式の書架で小コーナーが設けられている。危なかったのは「芸人本書く列伝」で取り上げるような芸人・喜劇人の本を集めたコーナーで、喉から手が出るほど欲しい本が山のように積まれていた。幸い、値段が予算と折り合わなかったので今回は見送り。別の棚で発見した益田喜頓『キートンの浅草ばなし』(読売新聞社)のみを購入した。
おっと今思い出したが、ハヤカワ・ミステリの棚が地下から上階に移動していた。芸術・芸能棚の奥、入口から見ると左奥の地帯である。高い天井まで番号順に並べられたポケミス列は壮観だ。ここでジョルジュ・シムノン『メグレとしっぽのない小豚』を拾ったのである。
延々三時間見ていたが、その気になればもっといられたであろう。そして、もっと本を買ってしまいたくなったであろう。
「結局、何冊買ったんですか」
と、いろいろ買い物をした若林氏に聞かれる。
「ん、二冊。お会計したら青春18きっぷ一日分よりも安かった。賢い買い物でしょう」
「わざわざ泊りがけで仙台まで来て、それだけですか」
顔になんという無駄なのか、と書いてある。いいのだ、今回はこれでおなかいっぱい。私も最初に来たときは五桁の買い物をして、宅急便で家まで本を送ったものである。でも、いつまでもあの調子で買っていたらたまったものじゃないからね。
二人でまたバスに乗り、仙台駅前まで戻る。国分町の地元向け居酒屋でせり鍋で乾杯。せり鍋が初めてだという若林氏のために、せりを二度お代わりしてしゃりしゃりと噛みまくった。若い頃は仙台に来たら「太助」で牛タンだったが、今はせりだ。せりだけ食べて満腹になっても悔いなし、である。
「僕が初めて仙台に来たのは十代の終わりのころなんだけど、そのときはまだ仙台方式というものがあったんですよ」
「なんですかその、仙台方式とは」
「ピンクチラシがあるでしょう。最近はもう見なくなったけど、いっとき、電話ボックスの中に貼ってあったやつ」
「ああ、ありましたね」
「あれがね。仙台はその筋がうるさいのか、電話ボックスに貼るのが禁止だったんですよ。どうしたかというと、ビジネスマンが泊まりそうなホテルの周りに撒く」
「撒くって」
「文字通り撒くの。植え込みの上とかにパーッと。遠くから見ると極彩色の花吹雪が散ったようで、あれは綺麗でしたね」
「電話ボックスよりもそっちのほうが迷惑ですよ」
などと高尚な話をしつつ更けていく仙台の夜であった。(つづく)