一冊萬字亭から次の目的地までは結構な距離がある。駿府城の北西に浅間神社があり、そこにつながる商店街の入口にあべの古書店という古本屋があるのだ。現在、時刻は午後4時である。閉店にはまだ余裕があるが、とある理由からどうしてもあと1時間で探索を終え、午後6時までにはホテルへのチェックインを済ませておきたかった。
やむをえない、こういうときはタクシーである。
幸運にもすぐに空車を捕まえることができた。先代の三遊亭圓歌に似た運転手に、あべの古書店の住所を告げ、そこまで行ってください、と頼む。
「はい。お客さん、旅行中ですか。そこは何があるの」
「ええと、本屋さんです」
こういうときになぜか恥ずかしくて「古本屋です」とは言えないのであった。
「本屋さんねえ。わざわざ旅行の人が来てタクシーで行くんだから、そこは特別な本とかがあるんですか」
「ええ、歴史の本とか。いろいろと」
面倒くさいので、このへんで古本屋なのだと明かしてしまう。
圓歌は、古本屋ですかあ、と気の抜けた声で言った。歴史が好きなんですか、お客さん。
ええまあ、歴史は好きです。歴史の本だけじゃないんだけどね。
「歴史の本が、静岡にはあるんですか。ほう」
運転手が感じ入っている間に、タクシーは目指す商店街に着いたのであった。
「ああ、あそこですがお客さん、シャッターが閉まってますな」
「閉まってますね」
閉まっているのである。あべの古書店のシャッターがばっちりと下りていた。しかし、不思議なことに、そのシャッターの前に本棚が置いてあるように見える。
閉店でもいい、写真だけでも撮っておこう、と決めて車を降りた。閉店ですなあ、と気の毒がりながら運転手はおつりをくれる。
下車してわかった。たしかに定休日で閉店しているのだが、あべの古書店はお休みでも、均一棚をしまわずに店頭に出しているのである。貼り紙があって、お代はシャッターのポストから入れてください、と書いてある。
なるほど。
しかも、これが馬鹿にした均一棚ではないのである。ちゃんと見た結果、東京創元社〈世界大ロマン全集〉のクールトリーヌ&フィシェ兄弟『陽気な騎兵隊 三角ものがたり』、チャールズ・ナイダー『拳銃王の死』、デュ・モオリア『情炎の海』を購入。たぶん、これも全部ダブりだが、記念である。お代をちゃりんと投げ入れた。
続いて向かったのが前回も来ている太田書店七間町店で、しばらくご無沙汰している間に店頭均一棚の文庫が非常に充実していた。特に海外ミステリーのいいところが押さえられていて、これで100円は安いと思う。思うのだが、今回は何も買えず。もう少し回りたい店はあったのが、今回はこれで時間切れとなった。近くのホテルにチェックインし、着替える。
第二幕の始まりである。
■至福のアジフライとホッピー
静岡駅からほど近い、両替町通りの一画に多可能(たかの、と読む)という居酒屋がある。今回静岡にやってきた理由の半分以上は多可能なのだ。
このお店、午後4時から営業しているのだが、6時にはほぼ満席になる。予約は可能である。ただし1人だとそれも難しいので、カウンターが空いていれば入れるし、無ければごめんなさい、という暗黙のルールがある。前回来たときは、余裕を持ちすぎて、危うく店に入れなくなりそうになったのだ。
午後6時の線は死守。それよりも早ければ早いほうが望ましい。
近い場所にホテルをとったつもりなのに、意外と距離があった。急ぎ足で居酒屋に行くというのもどうかと思うが仕方ない。なんとか6時ちょっと前に店の前についた。
中を覗いて声をかけると、女性の店員さんが済まなそうに、すみませんねえ、今ちょっと、と断ってくるではないか。
タクシーを使ってまでショートカットしたのに。
あまりにがっかりした顔をしていたのか、店員さんは、取って返して何事かを確認しに行った。行列をするような真似はなるべく避けたいので、ここで入れなければ、今回は多可能なしの静岡の夜だ。呆然と立っていると、
「あの、こういうことならどうでしょう」
と先ほどの店員さんが戻ってきて言うではないか。
午後7時から座敷で8人の予約が入っている。
そのお客さんが来るまでは空いている席で飲んでいただいて大丈夫。
ただし、7時になったらどいてもらう必要があるし、それまでにカウンターが空かなかったら、たいへん申し訳ないんですがお会計で出てください。
というようなことを提案されたのである。
おお、居酒屋で1時間あれば上等だ。混んでいる店の長っ尻は野暮の骨頂。
ありがたく申し出を受けて、座敷に上がらせてもらったのであった。
とりあえず、これにて静岡行一日目が終了。