杉江松恋不善閑居 大人は誰のことも100%は好きになれない

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今はなき、後楽そばの焼きそば。100%は無理でも、85%くらいは好きだったな。

私はSNSであまり「いいね」のボタンを押さない。

twitterでは基本押さないことにしていて、備忘のメモ代わりに例外ルールを設けている。Facebookは控えめにときどき押す。

すべての発言に対して「いいね」を押してくれる方もいらっしゃるのだが、私はそれがどうにも苦手だ。特に、親しい人の発言については「いいね」を押せないことの方が多い。

だって、それは「よくない」からだ。少なくとも私にとっては。よく知らないアカウントに社交的な「いいね」を押すことはあっても、昵懇の相手にそれをするのは嘘を吐くようで気持ちが悪い。

コロナ対策で行動の制限をされて気分が塞いでいるんだな、と思うことがときどきある。特にそれを感じるのは、他人に対して腹が立つときだ。だれそれの振る舞い、発言、しなかったことに対していちいちむかっとする。

ああ、大事なことを忘れてしまっているんだな、と気が付くたびに自分の中をちょっとのぞきこんで、精神状態を微修正しないと危ない。

他人とうまくやっていくためには一つ、とても大事なルールがある。それさえ肝に銘じておけば、どうしようもない爆発は避けられるという原則だ。

「100%好きになんて、なれない」

誰かのことを許せないと感じたときに、このことを思い出して、自分をどうどうとなだめる。

「100%好きになんて、なれない」

誰の中にも嫌いな部分が少しあるということだ。

だって他人だから。

「誰か」が「私」に向けているのはその人の中の一面に過ぎない。立体で考えれば当たり前で、月の裏側が見えないのと同じことだ。だから、その「誰か」を見て好きだと思っても、嫌いな一面が存在する可能性は絶対に否定できない。

よく知っている相手は、付き合いが長くなってくるといろんな面が見えてくるので、なんとなく全部を知っているような気持ちになる。

だが、自分と同じ人間ではないのだから、その相手の全部を知るなんてことはできるはずがない。知らない一面が見えてきて驚いたり、そもそもそこはあえて見ないようにして無視していただけなんだということに気づいたりする。

だから付き合いの長い人間に腹が立ったときほど、基本ルールを引っ張り出してきて、再確認する必要がある。

「100%好きになんて、なれない」

嫌いなところが見つかったからといって、好きな部分を否定しなくていいということでもある。

このことは基本中の基本だけど、まだ人付き合いをあまりしたことがない年齢だと、パーセンテージで好き嫌いを判断することが難しくもある。そうやって感情を量る自分が打算的に思えたりもする。だから好きだと思っていた人に予想外のことをされて、傷つくこともある。

相手の全部を好きじゃないと思うようになってからが大人の世界の始まりだ。

プライベートだけじゃなくて、仕事上のつきあいでもこの原則は完全に有効だ。

私はフリーランスなので自分のことしかわからなくなっている。アドレス帳に相手の好きなところ嫌いなところを書きこむようなことはさすがにしていないが、仕事上で交流のある人については、それぞれの好きなところと嫌いなところをぼんやり覚えている。

「あの人はだいたい正しいことを言うけど、ときどき意見の違う相手をどうかと思うくらいやりこめるのがよくないな」

「きちんと仕事をこなすけど、自分が無礼なふるまいをしている/したのに謝らないことがたまにあるな。もしかすると、最初からそれに気づいてないのかもしれない」

「いい人なんだけど、信用しないほうがいい人の話を聞きすぎることがあるな。信頼するところまではいけないな」

思い出すままに書いてみた。さすがに名前は書かないけど、これは実在する相手についての私の印象だ。そういうところがある、と納得してつきあっているので、きついことを言われたり、失礼なふるまいがあったりしても、そんなに驚かないで対処できる。

「100%好きになんて、なれないんだから」

これは「99%嫌いな人にも1%は好きな部分があるかもしれない」ということの裏返しでもある。

どうも余裕がなくなってくると、この基本ルールを忘れてしまうようだ。100%を期待するから裏切られる。最初からそのつもりでいれば、別に腹も立たないのに。

と、こうやって書いてちょっと気分が楽になるわけである。(つづく)

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