杉江松恋というのは商標であり、それ以上の意味はないということを書いた。
自分の名前にはほとんど拘らないのだが、他人のそれには敬意をもって接している。
その最たるものは寄席芸人のお名前だ。特に講談、落語、浪曲のそれは襲名の制度があるように、伝統を受け継いだものが少なくない。一代きりのお名前でも、師匠との関係で成立している場合が多い。先代の古今亭志ん五は、前名の志ん三から軽い名前で変えたところ、師匠の志ん朝に破門されかけたという。それくらい重い意味を持っているのにわからないのか、ということだ。芸人の名前を軽く扱うことは、その歴史に対する侮蔑を意味する。よくマスメディアが落語家の名前を名字よろしく亭号表記するが、あれも個人としての成り立ちを考えたら失礼なことだと思うな。だって名字みたいなものじゃん、とおっしゃるか。じゃあ君は徳川将軍はみんな徳川さんと表記するのかね。誰が誰だかわからないだろう。
それはさておき。
個人としての体面なんかに意味はないと思う理由の一つは、ライターという自分の仕事で優先されるものが、情報を正しく伝えるという機能であって、自分自身を主張するのは副次的な要素にすぎないと思うからでもある。
情報を伝えるといっても、右から左に横流しするだけでは意味がないし、やり方によっては泥棒行為になりかねない。そうではなくて知識を集約させ、整理整頓して物の見方を提供するのが仕事なのだが、これは端的に言えば先人の成果を継承して後代に伝える作業なのである。後代とかまた大袈裟な言葉が出てきたが、そう表現するのが正しいと思う。学術論文の書き方とライター記事のそれとはあまり違わないと私は考えている。
駆け出しのころ、私の肩書には創作集団逆密室というグループ名みたいなものがついていた。これは慶應義塾大学推理小説同好会出身者が中心として作っていた文章遊戯の会みたいなもので、編集プロダクションみたいな実体があるわけではない。当時は集団でムックを作るような仕事が頻繁にあったので、それをよく請け負っていた。作業するときの括り名みたいなもので、映画撮影における組に近い。
逆密室のことはまた別に書く機会があると思う。とにかくそうやって駆け出しのころは文章書きを手伝っていた。そのときに最もありがたかったのは推敲である。何人かで文章を書くので、種類によっては文体が似たり、表現が重複したりする可能性がある。それを避けるため、書いた順に文章を同報で投げ、直し合うということをしていたのだ。これは勉強になった。癖であったり、思い込みのために気づかなかったりするようなことを注意してもらえるからだ。こういう作業が私の場合、文章を書く上での大事な基礎になっている。
後に自分でも集団作業のまとめ役をすることが何度かあった。力量がよくわからない書き手とも一緒にやることが多かったので、相互の推敲という段階はそのときにも導入した。力量がだいたいわかるからである。
もう頼まない方がいいな、と私が思う人は、直すのを非常に嫌がった。理由を説明してから直してもらうようにするのだが、こちょこちょっと直すのである。たとえば、使っている表現によくわからないところがあったとき、〇〇はどうかと思う、と言うと勘のいい人はその単語が出てこないように文脈自体を軽くいじってくるようなことをする。「女だてらに強気な発言をした」という表現は現在の感覚だと変です、と指摘した場合は「異論をさしはさむ余地のないほど筋の通った発言をした」というように。困るような対応の人は、ここを「男性顔負けの発言をした」みたいに書き直してきちゃうわけである。だから何度もやりとりをすることになる。相手によっては腹を立ててしまうこともあった。「君は年下なのにそんなことを何度も言って無礼じゃないか」と言われた人には、その後何があっても絶対に依頼をしなかった。そういう話ではないでしょ、ということだ。
自分が身につけている技法も含め、知識はすべて貰いものだ。個人にできるのはそれを腐らせないことぐらいだと私は思っている。誠意って、そういうことじゃないのかしらん。(つづく)