翻訳ミステリーマストリード補遺(58/100) サラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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 サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー・シリーズ開幕は1982年、前年にアメリカ合衆国の第40代大統領に就任したロナルド・レーガンによる自由主義を基調とした経済政策、いわゆるレーガノミクスが推進される中でのことでした。レーガン政権は「強いアメリカ」復活を旨とし、実際に内外でそれを成し遂げましたが、反面彼の行った諸政策によって貧富の差は拡大し、社会に潜在的なひずみを蓄積させました。

 ウォーショースキーはそうした不健全さを告発するための「眼」として生み出された主人公です。権力を持つ者が人間性をないがしろにするような誤りを起こし、誰かが虐げられることになる。そうした理不尽な出来事に対し、個人の立場から抗議の声を発するのがウォーショースキーなのです。私立探偵小説の世界には彼女以前にも多くの英雄が出現し、不正を糺すために活躍してきました。パレツキーが作者として優れていたのは、主人公が対するものが社会であり、その支配者であるということを鮮明に打ち出して見せた点でした。パレツキーは〈シスターズ・イン・クライム〉を設立するなど、女性作家の地位向上について多くの貢献を果たしていますが、これは作風と無関係ではありません。ミステリー文壇内に隠然と存在していた性別間格差は、パレツキーにとってウォーショースキーが直面していたのと同様の、解決すべき問題だったのです。

 ウォーショースキー・シリーズのもう一つの功績は、アメリカが移民社会であるということを作品内ではっきりと示したことです。ウォーショースキーの父はアイルランド、母はイタリアからの移民であり、ポーランドとユダヤの家系を受け継いでいます。彼らが合流し、市民権を得たのが合衆国という国家であり、その権利は絶対に守られなければならないということ、そして合衆国民となった後も、それぞれの民族としての出自と文化は守られなければならないということがウォーショースキーの行動原則になっています。パレツキー以前にももちろん、こうした正義のありように自覚的であった主人公は存在しましたが、探偵のキャラクターと不可分のものとしてそれを描いた作家はやはりいなかったように思います。社会に対する視線と自己の拠って立つ基盤への強い意識こそが、パレツキー=ウォーショースキーの個性を際立たせている最大の特徴と言うべきでしょう。このシリーズを女性探偵ものとして分類するのは、作者の意図を反映して正しいことでもあるのですが、探偵の存在によって示されている重要なテーマを失念してはいけないのです。ウォーショースキーが女性であることには意味があります。それは単なるレッテルではないのです。

『サマータイム・ブルース』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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