杉江松恋不善閑居 暴力の気配は当人の意図とは無関係に噴出する

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某月某日

午前中は仕事読書で終始する。本当は昼前に出たかったのだが、そうもいかず食事をしてから東京古書会館の書窓展へ。いろいろ見ている中に、栃木県のかぴぱら堂がユースホステルのピンバッジを出しているのが目に留まる。そうだ、ユースホステルはこうやってバッジを作っていたのだった。それを帽子にネジ止めしてみんなつけていたのだった。あのネジが時々頭に当たって痛かったのだった。などと思い出に耽りながら物色し、多武峰ユースホステルと、「JYHやまなし」と書かれたものを購入する。前者は泊まったことがある。後者は、たぶん山梨ユースホステル協会が作ったものではないかと思う。山梨県の西湖ユースホステルに泊まったことがあるが、もしかしたらそのときに買っていたかもしれない、ということで。個人的な思い出を捏造するために買うようなものである。

そこから移動して都内某所の出版社へ。ロビーで待っていると、これからインタビューする相手である某さんが現れる。実は某さんと日時を決めたときに、「お互い書窓展には行くでしょうから、会場からの移動を考えてここにしましょう」という指定があったのである。ロビーでお互いの成果を見せ合う。これはついやってしまう。大昔から変わらないなあ。某さんとは30年くらいの知己だが、最初からずっと同じである。

インタビューを終えて外に出る。川崎の古本屋に寄るつもりだったのだが、予定が変わって自宅で仕事。調べることがあって外出し、日吉の慶應義塾大学にちょっと寄る。仕事から帰ってきたこどもと合流して食事。

世間を騒がしている某動画を私も一回だけ見た。すでに配信が停止されている状態で第三者が確認することは難しく、その状態で批判をすることは作り手に対して公平ではない。なので以下は、こういう感想もあった、ということを述べるに留まる。

試しに音声を消して最初から最後まで流してみたのだが、冒頭の場面だけで恐怖感を覚えたのである。島にやってきた若者が、無邪気に笑いながら許可もなく家に侵入していき、中で過ごしていた家族がびっくりして振り向く。この侵入者の構図からしてもう駄目で、その後に起きる略奪とか暴力を想像してしまう。シャロン・テート事件を私は連想した。

映像内のさまざまなモチーフが問題になっている。ほうぼうで批判されたことを繰り返さないが、おおむね首肯する。だが、私は冒頭のシチュエーチョンだけで駄目で、そのあとに起きる出来事も侵入者が住民に強制しているようにしか見られなかった。おそらくは作り手がまったく想定していなかった見方だと思う。

最後、いろいろあって夜になり、侵入者たちは家から立ち去っていく。元の住人たちはおそらくは眠っているのだろうが、死屍累々としているように見えて怖気をふるった。音楽を聴かせるために制作された映像なのだろうから、それを消して見るというのは邪道だとは思う。だけど、歌詞がまったくわからない非日本語圏の人には、そういう風に見えてしまうかもしれないよ、という話である。

暴力の気配は当人が無意識に表出することもある。社会が人間の権力関係で成り立っているためであり、自身の位置に無自覚であると、意図せざる恐怖を他の者に感じさせることがありうる。当人の意図とは無関係な効果で、指摘されれば心外に感じるかもしれない。だが、暴力の機会を有している者ほど自分のそうした優位性に気づかないものなのだ。社会構造についての基本的な理解がすべての者に必要な理由である。

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