日曜日は、ひたすら籠って仕事読書をしていた。夕刻に家族と出かけて近所に新しくできた高級サウナなるものに入ったのが唯一の息抜きである。高級サウナがなんたるものかはよくわからないのだが、入浴着をつけての利用という形だった。80、90、110℃のサウナがあり、あまり得意ではない私はいちばん低い温度のところにもっぱら入った。それでも冷水浴後に立ちくらみしかけたので、これは末端の毛細血管が急激に収縮し、また膨らもうとしているために脳の血が引いているのだと判断し、椅子の上で頭を垂れて、なるべく足に近づけるような姿勢をとった。ついでに寒冷じんましんが出かかる。これも毛細血管収縮と拡張の結果であろう。これはしばらく我慢すれば引くことがわかっているので、おとなしく座ってやり過ごした。もしかすると私は、サウナに向いていないのではないだろうか。
明日、11月26日は立川談四楼さんの出版記念落語会である。浅草木馬亭で18時開演。お弟子さんの中から立川只四楼、立川半四楼の二人が出演し、談四楼さんが浅草らしいネタで締める。途中に出版に関するトークも予定されているので、お楽しみに。もちろん先行発売の本にサインも行います。『七人の弟子』(左右社)おもしろいので、ぜひお買い求めください。
談四楼さんは、私を落語に引き戻してくれた恩人のような存在である。
2011年の春に、それまで務めていたPTA会長の任期が明けた。こどもも中学校に進学し、一息つけるようになった。そこで自分に解禁したのが、生の演芸会に行くことだった。
1995年から書評家としての活動を始めて、しばらくは演芸会に行くこともままならない日々が続いた。お金がなかったということもあるが、〆切をこなすのがやっとで、それ以外の時間がまったくなかったのだ。初めはメーカー勤務との兼業だったので、昼は会社、夜は原稿という日々が10年近く続いた。それだと体を壊すと判断し、物書きの収入が会社員としてのそれを上回ったところで辞めた。ノヴェライゼーションの仕事が定期的に入るようになり、そこから数年は割と安定した日々が続いたが、こどもが通う小学校でPTAの話が出たあたりからまた忙しくなり、自由になる時間はなくなった。
そこまで我慢していた寄席・演芸会通いを、復活させるときがきたと思ったのが2011年である。小説家としても活動しておられ、以前から関心があった談四楼さんの会に行こうと思った。世田谷区の北沢八幡神社で偶数月15日に開かれる独演会に足を運んだのが何月だったかは忘れてしまった。そこで談四楼さんを聴き、ああ、やっぱり生の演芸は好きだ、と再認識した。そこから現在に至る。
やがて落語会の主催もするようになり、真っ先に談四楼さんにお願いした。会場を見た談四楼さんの答えは「本当の深夜寄席」だった。深夜寄席と称する会はたくさんあるが、みんな本物の深夜ではない。つまり終電のはるか前に終わって帰れるからだ。本当の深夜寄席とはつまり、終電のなくなった時間に集合して落語を聴き、始発で帰るというものだった。
この危険な匂いのする会が3年ぐらい続いたと思う。最初に前座としてついてきていたのが、今は真打を狙う位置にいる立川寸志さんだった。その下のだん子さん、只四楼さんまで深夜寄席に来ていたのかな。『七人の弟子』のうち何人かは、これを経由している。
そのうち私は浪曲にはまり、そちらを主として聴くようになったのだが、談四楼さんの会には定期的に足を運んでいる。落語の親だからである。鳥の雛は、生まれて初めて見たものを親だと思い込む習性があるという。私も演芸人生を再開したときに初めて聴いたのが立川談四楼だったから、落語の親なのだ。親孝行はするものである。明日の会でできればいいのだが。
ぜひみなさん浅草木馬亭に足をお運びください。