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杉江松恋不善閑居 自分の体面にこだわるのは意味がない
私の筆名は、英語表記では「Sugie McKoy」が正式である。Mcというのはスコットランドやアイルランドの姓につく接頭語で、ゲール語の息子を意味する言葉が起源らしい。Ed McBainなどの好きな作家にそういう名前が多かったので筆名を作るときにつけられたらつけようと思っていた。マッコイという名前はMcCoyと書くほうが一般的なのだが、正式な英語名で...
杉江松恋不善閑居 わかりませんと言って恥をかくべきだ
両論併記などでごまかさず、自分の意見をはっきりさせなければならない。 前回そう書いたことと正反対のことを言うようなのだが、世の中のことに対してなんでも意見を表明すればいいというものではない。 自分ではわかっているつもりでも、実は浅くしか理解できていないということがいくらでもあるからだ。というか、わかっていることのほうがどう考えても少ないだ...
杉江松恋不善閑居 相対主義という迷惑な寝言をまき散らさない
類推と置換によって自分の中におかしな考えが忍び込むのを防ぐという手法を、運よく思いつくことができた。そのことを昨日書いた。 運よく、と書いたのは本音以外の何でもなく、唐突に降ってきた考えだったからだ。つきつめていろいろ考えた結果ではなく、犬も当たれば棒に当たる式の思いつきなので、そこにたどりついたのは運というしかない。もしかすると、もっと気持ち...
杉江松恋不善閑居 類推と置換で歪んだ考えを排除していく
自分があまりにも空っぽなので中身を詰め直そうと思ったことを書いた。 この一連の文章は思い出した順番で書いているので、話があっちに行ったりこっちに来たりするし、実用書の目次みたいに理路整然とした並びにならないので、そこは大目に見ていただきたい。 さて、自分の中身を再充填するに当たって、気をつけたことがいくつかある。 その一つが...
杉江松恋不善閑居 自分にできることだけで食っていこうと考える
自分の中で疑わしいものは使わないで、これならなんとかなる、というものだけで勝負をしていく。 偉そうに書いているが、私はずっと自分がないままで生きていたし、無から無を作り出すようなことをして食べていた。 とは言うものの、自分にできることを見極めるという営業方針だけは、かなり早い時期に決めていたのである。付け焼刃は剥げやすいと...
杉江松恋不善閑居 要らない自分をどんどん捨てる
大人は誰のことも100%は好きになれない。 もし100%ゆだねられると思い込んでいるなら、何か見なければならないことから目を逸らしている。 そんな風に考えるようになったのはやはりある程度馬齢を重ねてからで、成人したてのころはもうちょっと世界を単純に考えていたように思う。好きな人と嫌いな人がいる、くらいの線引きで。個体主義というか整数主義と...
杉江松恋不善閑居 大人は誰のことも100%は好きになれない
私はSNSであまり「いいね」のボタンを押さない。 twitterでは基本押さないことにしていて、備忘のメモ代わりに例外ルールを設けている。Facebookは控えめにときどき押す。 すべての発言に対して「いいね」を押してくれる方もいらっしゃるのだが、私はそれがどうにも苦手だ。特に、親しい人の発言については「いいね」を押せないことの方が多い。...
杉江松恋不善閑居 「赤坂で浪曲 東家一太郎『夕立勘五郎』連続読み第二回」
某月某日 日本浪曲協会主催「浪曲にあこがれて」 「沢村さくら曲師二十周年記念真山隼人独演会」 「東家一太郎独演会 いち会」 浅草木馬亭十一月公演初日~千秋楽 と、十日間ぶっ通しで木馬亭に通ったのであった。ここまでくると定期を買ってもいいのではないかという考えさえ芽生えてくる。 十一日目の今日は、木馬...
杉江松恋不善閑居 「東家一太郎いち会」と経堂「大河堂書店」閉店。月村了衛さん講演会
某月某日 忙しく予定の詰まった一日だった。 朝一番で電車を乗り継いで小田急線の経堂駅に。この日までで大河堂書店が閉まってしまうのだ。商店街の奥に佇む老舗古書店は、閉店の日だからといって特別なことは何もせず、ごく普通の顔をして営業していた。店頭に出された、新入荷を知らせるホワイトボードさえもいつもの通りだ。もちろん閉店セールなどもや...
杉江松恋不善閑居 「沢村さくら曲師生活二十周年記念真山隼人独演会」と大井町・海老原書店
某月某日 この日は実は誕生日であった。52歳になって初めてやったことは、しばらくご無沙汰をしていた大井町の古本屋訪問である。二軒あって、コロナ禍の間ずっと行けていなかったので、とても気になっていた。 JR大井町駅を出て、前の通りを東にまっすぐ行くと商店街の中に海老原書店がある。店頭に均一の漫画台を出した昔ながらの古本屋であるが、戦...