杉江の読書 高橋敏『大坂落城異聞 正史と稗史の狭間から』(岩波書店)

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%e5%a4%a7%e5%9d%82%e8%90%bd%e5%9f%8e%e7%95%b0%e8%81%9e「稗史」とは稗官、すなわち身分の低い官吏が記した歴史で、元は政の参考とするために下級役人に書かせた民情報告書のことを指した。そこから転じて小説体の歴史の意となり、正史に対する野史・外史と同義にも用いられる。稗史の中には成文化されていない口碑のたぐいも含まれるわけであり、歴史学の対象にはなりにくい。高橋敏『大坂城落城異聞』は「正史と稗史の狭間から」という副題が示すように、その稗史を研究対象とすることを目指した意欲的な書籍である。2015年は大坂夏の陣から400年の節目に当たったが、著者はその歴史的事件が近世の人々の意識に与えた影響を、有形無形の文化的産物から解き明かそうとしている。研究の端緒を開くためか、著者があえて想像力を行使して著述を行っている個所もあり、読み物としても楽しめる。

第一章ではまず、幕府による豊臣残党狩りがいかに苛烈を極めたかが、大野主馬の追跡を例に綴られる。第二章は、豊臣秀頼一類の九州方面逃亡を伝える(もちろん正史とは異なる)口碑が紹介される。そのうちの1つが、豊臣秀吉の正室・北政所の出身である豊後国日出藩木下家に伝えられていたというのが個人的には驚きであった。第四章が「大阪落城異聞」、すなわち秀頼その人が真田幸村に守護されて薩摩に落ちのびたという稗史の分析に充てられる。「鎌倉三大記」(近松半二郎作)他の浄瑠璃について紹介されるのだが、幾度かの上演禁止処分はあったものの、なぜそうした反体制・幕府批判ともとれる作品の存在が許されたかという点に著者の検討は及ぶ。あえて弾圧をせずに緩衝地帯を残したことが2世紀半に及ぶ徳川幕府の安定にもつながったのではないかという問題的が行われるのである。「稗史」が「正史」を補って民衆の精神を安定させる役割を担ったのではないかという見方だ。

源義経伝説をはじめとする類似の稗史や、判官贔屓の気風など多方面の興味につながる内容であり、興奮を覚えた。

(800字書評)

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