杉江の読書 『つげ義春全集5』(筑摩書房)

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%e3%81%a4%e3%81%92%e7%be%a9%e6%98%a5%e5%85%a8%e9%9b%86%ef%bc%95自分の好きなつげ作品は「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」よりも「長八の宿」や「ほんやら洞のべんさん」なのだが、『つげ義春全集5』(現・『つげ義春コレクション 紅い花/やなぎ屋主人』ちくま文庫)にはそうした旅ものの短篇がまとめて収録されている。生活が安定したためか1967年につげは地方への旅行を繰り返した。その傾向が反映されたものだろう。ただし純粋なルポルタージュではない。たとえば「オンドル小屋」における体験の一部(従業員の裸を見てしまう)は旅行記にも書かれているが、それ以外の体験についての記述はなく、おそらく虚構である。当時のつげの中には日本の原風景を幻視する目があったのではないか。訪れた場所に触発されて作品を書いたというよりも、内なる原風景に合致する眺めを求めて旅をし、そこにたどり着いたときに作品が生まれた、と考えたほうが適切だと思われる。渦巻く構想に背中を押されるようにつげは旅をしていたのだ。

多くの作品には作者自身を想起させる旅行者が登場するが、「紅い花」(「ガロ」1967年10月号)の主人公は学校を休んで店番をする少女・キクチサヨコであり、彼女が初潮を迎えた瞬間を水面に浮かぶ赤い花びらに比して描くことのほうに主眼がある異なった路線の作品だ。「われシンデンのマサジに会わなんだか」といった意外な言葉遣いをキクチサヨコにさせるのは「沼」から「もっきり屋の少女」(同1968年8月号)に至る方言への執着が現れたものである。

「もっきり屋の少女」執筆後につげは九州方面に蒸発を試みるなどして1年以上の空白を作る。その後に発表された「やなぎ屋主人」は、「不吉な流れのようなもの」によって「駄目な方へ」心を押し流された主人公が、房総N浦で食堂の娘を犯して亭主に収まることを夢想する話だ。ここで描かれる主人公は「長八の宿」などのデフォルメされたキャラクターではなく「ゲンセンカン主人」(同1968年7月号)のそれに酷似している。主人公像にも執筆時の心理が反映されているようでおもしろい。

(800字書評)

杉江の読書『つげ義春全集1』

杉江の読書『つげ義春全集2』

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tanakasugie

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