つげ義春の代表作「ねじ式」(「ガロ」1968年6月臨時増刊号「つげ義春」特集)が「ラーメン屋の屋根の上で見た夢」「ヤケクソになって描いてしまったもの」だという作者自身の言葉は常に真偽を問われてきた。だが、写実的な描写に注ぎ込まれた熱量は疑うべくもない。また、「目医者」のコマに模写元の写真があることなど、つげが本作のために行った準備の数々が判明している現在では、作者の旅もの短篇が単なるルポルタージュではないのと同様、「ねじ式」が周到に作りこまれた作品であることは明らかである。同作を巻頭に収めた『つげ義春全集6』(現・『つげ義春コレクション ねじ式/夜が掴む』ちくま文庫)は、つげの幻想作家としての側面を示す作品群と、一転して現実に寄り添ったかのように見える「夏の思いで」(「夜行NO2」1972 年9月刊)他のマンガ家夫婦を主人公した連作が収められている。「寄り添ったかのように見える」としたのは日常をそのまま作品化したのように装ってその中に「轢逃げに遭遇する」「隠れ家を借りる」などの嘘が忍び込ませてあるためで、完全な虚構である幻想系の作品と対比すると、現実と虚構の間の距離を操作するときのつげの手つきが見えてくる。
幻想系作品で採られた想のいくつかは『つげ義春とぼく』所収の「夢日記」の中に原型となるスケッチが見える。夢特有の不安感、論理を飛び越えた連想や破壊・逃避の願望によって構築された暴力的な世界観は夢特有のものだ。1年の失踪の後に発表された「やなぎ屋主人」の後、さらに2年2ヶ月の空白があって「夢の散歩」(「夜行No.1」1972年4月号)が描かれる。これは完全に夢の中の世界を題材としたものであり、それまでの絵柄は維持されているものの、視界の不自由さを表現するかのように余白が多い。1970年代につげは「夜が掴む」「コマツ岬の生活」「必殺スルメ固め」などの夢を題材とした作品を発表するのだが、その中ではあえてヘタウマのように写実を捨てることによって幻想性を表現しようとした。
(800字書評)