密林さんといっしょ(その3)

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(前回の密林さん)

密林さんからのおすすめ本を教えてもらっていたのに、時間が経ってしまった。この間別に本を読んでいなかったわけではなくて、つげ義春を読み返したり、仕事に関する資料を集めたりといろいろあったのだが、まあ、要するにサボってしまっていたわけです。

図書館の起源は2週間ぐらいというのが普通だと思うので、なるべくその範囲で読んで感想を書くようにしなくては。とはいえ、密林さんにおすすめされた本の内容が重たいと、なかなかそれがうまくいかないこともあるのである。

というわけで今回の「密林さんといっしょ」だ。以下にルールを再掲しておく。

・密林さんにアカウントをつくり「お客様へのおすすめ」リストで上位に来た本(刊行後1年以上経った本に限定する)を近所の図書館で借りて読む。私は日常的に小説を読んでいるので、なるべくそれ以外の本を選ぶ。

・借りたら「お客様へのおすすめ」リストにチェックを入れる。私の場合、よほどのことがない場合は「持っています/星5つ」にする。

・借りた本は可能な限り読んで、感想を書く。読めなかったら読めなかったと書く。その本が図書館で借りるだけでいい本か、自分の手元に置いておきたくなったかも考える。

・【新規】リストで本を決めるときは、密林さんが何を根拠にお薦めしてきたかが表示されるので、それもメモしておく。

■密林さんのおすすめ その4

松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』(講談社現代新書)

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ケインズは1883年ケンブリッジ生まれ、ハイエクは1899年ウィーン生まれと16歳差だ。経済学者として世に出た時期はケインズのほうが早く、1919年のパリ講和会議に大蔵省主席代表として出席し、ドイツに無理な賠償責任を押しつけようとする戦勝国側の方針に反対したことがきっかけで当時の国際金融市場の分析を鋭く行うようになる。一方、ウィーン大学を卒業したハイエクは、1927年には景気循環研究所の初代所長に就任していた。2人が初めて出会ったのは1928年のことであり、敬意を抱き合いつつも、相手の著書を酷評するなど互いに譲らない態度を保ち続けた。松原は、この2人の思考に寄り添いながら両者の主張を比較する。それによって、ケインズ・ハイエク単独では見えなかったものを浮かび上がらせていくのだ。

――こうしてみると、ケインズとハイエクの対立点の一つが鮮明になってくる。ケインズにとって経済学とは、分析者が経済や社会を観察し、類比と帰納をもって解釈する営みだった。経済において何が同室であり、何が異なるのかを識別するのは、分析者である。それに対しハイエクは、分析者が同室な単位を発見し集計することに異議を唱えたのである/ハイエクにおいては、何と何が同質であり異質であるのかを決めるのは各個人であり、それらの解釈に優劣をつけるのが市場である。(後略)

ものすごくぼんやりとした言い方をするとハイエクの見方は、消費者の価値観は不確実でうつろうものだから、その多様さを維持できるレベルの緩い制御を行う以外のことはすべきではない、と主張しているように見える。彼の仕事は狭義の経済学だけに収まらず、社会科学全般に波及するもののようなのだが、今回はそのくらいで「なんとなく」理解するに留まった。本書は新書サイズだが、私にとっては「きっちり」理解すべきレベルの本だという印象である。残念ながら時間切れなので、また機会を改めて挑戦したい。

■密林さんのおすすめ その5

福田歓一『近代の政治思想 その現実的・理論的諸前提』(岩波新書)

%e8%bf%91%e4%bb%a3%e3%81%ae%e6%94%bf%e6%b2%bb%e6%80%9d%e6%83%b31968年に著者が行った岩波市民講座の講演録を文章化したもので、ヨーロッパ近代の政治原理がどのような過程を経て成立したものかをわかりやすく説いた内容である。全体は三章に分かれていて、第一章では前近代、つまり中世において成立していた政治思想とそのれが解体に向かっていった諸因について触れられている。第二章は絶対主義の成立と市民革命の時期について、第三章は前2章が時代の前提について述べられているのに対して、理論的な側面からそれを再記述する内容になっている。

中世における国家とは現在とはまったく相のことなるものであり、教会を唯一絶対の権威として、国王や諸侯はその下にいるという意味では対等で、個々に契約を結び合うことによって秩序ある関係を保っていた。絶対王権の王政において初めて国家と主権が結び付けられるようになるが、革命によって王政が妥当された後はそれが人民の側に奪回され、人民主権が提唱され始める。自然権がいかに成立してきたか、国家という概念はいかに共有されるようになり、それが変質してきたか、といった関心をそれぞれに持って読むと興味深く、見返すたびに発見がある。高校レベルの世界史知識があれば難なく理解できる内容であり、たとえば政治家が反動的な主張をしたと報道されたときなどに、何がおかしいのかを確認するために読み返すのに適した一冊だと思う。

■密林さんのおすすめ その6

久坂部羊『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』(幻冬舎新書)

%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e6%ad%bb%e3%81%ab%e6%99%82久坂部は2016年の著書『反社会品』など、どっきりとするような内容を含む風刺小説を主として医療の分野で書き続けている作家だ。これは2007年の著書で、デイケアや在宅医療専門クリニックで長く働き続けてきた久坂部が「長生きの功罪」について率直に語った内容である。小説同様、反語的な表現が多用されているが、無駄に煽情的な書き方をしているわけではない。「病院に行かないという選択」という見出しを含む章もあるが、治るものを拒絶するという意味ではなく、終末期においては延命治療が苦痛しか生まない選択にもなりうる、ということを書いているので、俗流の医療忌避を説いているわけではない。

本が刊行されてから10年近く経っているのと、無責任な医療忌避論の本が売れている現状があるので、そのへんについて著者が今どう思っているのかは聞いてみたい気がする。

■さーて次回の密林さんは?

というわけで次回である。

例によって密林さんを検索したところ、持っている本をチェックしたせいか、なかなか知らない本が出てこない。密林さんのシステム上、たとえば伊坂幸太郎を1冊持っている、と申告すると伊坂やその同時期にデビューした作家の本などがどんどん薦められてくるのだ。それを全部チェックしまくって、つまりリストから消していってもいいのだが、今回はあまり時間がないのでひたすらリストの先を見ていくことに専念する。

と、300番台あたりでようやく小説ではなくて1年以内に刊行されてもいない本のおすすめが出た。ウンベルト・エーコ『小説の森散策』(岩波文庫)だ。やったー、エーコだ。おすすめの欄を見ると、先日『プラハの墓地』をチェックしたのでお薦めされたらしい。できれば今回の3冊から派生した本がいいのだが、贅沢は言っていられないので、確保する。図書館にも在庫があった。

次に出てきたのが川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書)。700番台でようやく引っかかった。正直に書いてしまうとこの前にもハイエクやケインズ関連の本がいくつか出てきたのだけど、ちょっとお二人との付き合いが続くと骨なので、一回休みにさせていただいたのである。これは『近代の政治思想』からのご紹介である。

最後の一冊は堤未果『社会の真実の見つけ方』(岩波ジュニア新書)である。『ゴールデンスランバー』からのお薦めだ。2,011年の本で、密林さんの紹介文には「メディアが流す情報を鵜呑みにしていては、社会の真実は見えてこない。9・11以後のアメリカで、人々の恐怖心と競争を煽ってきたメディアの実態を実際に体験し、取材してきた著者が、「情報を読み解く力」を身につける大切さを若い世代に向けて解説する。同時にそこにこそ〝未来を選ぶ自由〟があると説く」とある。おお、おもしろそうじゃん。

はからずも全冊岩波書店の本になってしまった。まあ、そういうこともある。

では、また読んだらお会いしましょう。

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