ジェフリー・ディーヴァーは時代の空気を嗅ぎ分ける性能の良い鼻を持っている。たとえば、リンカーン・ライム&アメリカ・サックスの連作では2008年発表の第8作『ソウルコレクター』(文春文庫)以降、先端的な社会問題を利用して悪人が犯罪計画を企む物語が連続して発表された。『煽動者』は同シリーズから派生した、キャサリン・ダンスが主役を務める連作の第4長篇だが、本書でも非常に現代的な主題が扱われている。人に自制を失わせ死に至る暴力にまで駆り立てることがある感情、憎悪である。
キャサリン・ダンスは対象が示す無意識の身体言語を読み取る技術、キネシクスの専門家だ。その彼女が、捜査官の任を解かれて民事部に異動させられる。参考人の尋問において判断を誤ったとして責を問われたのだ。民事部の初仕事は、ライブハウスで起きた火災事件の調査だった。パニックを起こした者たちが出口に殺到したため、死者が出たのである。現場に赴いたダンスは、状況に疑念を覚え職務外の捜査を開始する。会場の非常口は隣接する運送会社のトラックによって塞がれていた。それは偶然なのか。そしてなぜ観衆たちは数ある扉の中から開かない非常口に殺到したのか。聞き込みを行うダンスに思わぬ危機が迫る。トラックの運転手を私刑に掛けようとする者たちが、暴徒と化して迫って来たのである。
人間は集団と化したときに変貌する。いわゆるヘイト・スピーチのたぐいもそうであろう。心を失い、ただ相手を傷つけるためだけに暴れる者たちの恐怖を本書は扱うのである。左遷されたダンスが失地回復なるかという興味や、私生活上で生じた問題をどう裁くか、といった複数の筋が並行して描かれ、終盤で一挙に解決を見るという美点もある。ディーヴァーは「あと一言を語らないこと」で読者のもどかしさを募らせる名手なのだが、本書に限って言えば「ちゃんと全部言っているのに」驚かされる。その技巧を楽しむべき一冊だ。
(800字書評)