ドキュメントファイルを整理していたら、ずいぶん懐かしい文章が出てきた。
書いたのは2008年の春、PTA会長の最初の年だ。当時の校長先生に頼まれて、学校だよりに寄稿したものだと思う。学校に関係するいろいろな大人の生の声を生徒たちに伝えてもらいたい、というような趣旨だったんじゃないかな。
私はライターという結構珍しい稼業だったので、世の中にはいろいろな生き方があるんだよ、ということを子供たちに知らせるつもりで書いた。
懐かしいのでここに再掲しておきます。
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わーい、ありがとう
私は、文章を書く仕事をしています。
八百屋さんがキャベツを売るのと同じように、私は文章を書いて売っているんですね。
もちろん、ただ書いただけでは何も起きないので、いろいろな人が働いて、文章を本の形にしてくださっています。どれだけたくさんの人が本作りにかかわっているのか、私にもよくわからないくらい。そんなに多くの方に助けられているのだから、つまらない文章を書いてはいけないな、といつも思うのです。
考えてみると、この仕事を始めたときも、人に助けてもらったのでした。
私は、子どものころから本を読むことが大好きで、学校でも本の話ばかりしていました。でも大学を卒業したあとは、本とまったく関係ない仕事を始めてしまった。
そのときには、こう思ったのです。
「自分はこんなに本が好きだけど、もしかすると本作りは思っているほど楽しくないかもしれない。仕事を始めたらがっかりするようなことがあって、本がきらいになってしまうかもしれない。だったら本を読むのは趣味だけにしておいて、仕事にするのはやめよう」
もしかすると、こわかっただけなのかもしれませんね。あのときもう少し勇気があったらな、と思うこともあります。そんなわけでまったく関係ない仕事を始めました。
でも何年かすると、そのときの決断を悔いる気持ちがわきあがってきたのです。一度しかない人生なのだから、本当に好きなことをすればよかった。そう思って、毎日くよくよと悩むようにもなりました。そんなときに、ある人から電話をもらったのです。
リンリン、ガチャッ。あ、こんにちは、おひさしぶり。
「杉江さんてさ、あんなに本を読んでいたのに、今はどうして関係ない仕事をしているの。よかったら、うちの雑誌で文章を書かないかな(その人は編集者でした)」
「すごくうれしいけど、いいのかな。私みたいなしろうとがいきなり書かせてもらって」
「だいじょうぶ。だいじょーぶ! ほら、昔から杉江さんの書いたもの読ませてもらっていたし、書けることはぼくがよく知っているから」
ありがとう。私のことをよく知ってくれていて。ありがとう、読んでくれていて。
自分の気づかないところに、自分をよく知ってくれている人がいる。自分を助けてくれる人がいる。そのことがうれしくて、電話を切ったあと、私はちょっぴりガッツポーズをしてみました。わーい。それから、本だなをごそごそ探して、仕事の準備を始めました。
これが、私が文章を書く仕事を始めたきっかけです。誰でもきっと、知らないあいだに自分のことをよくわかって、助けてくれている人がいるのだと思います。それはもしかすると、顔も知らない人だったりするかもしれません。ありがとう、誰だか知らない人!
私も知らないあいだに誰かを助けているかも。そうだったらいいのにな、と思います。
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ちなみに、事実関係は変えてある。最初に電話をくれた編集者は男性じゃなくて女性だった。学校には筆名を教えずに活動していたので、そういうことになったのだ。
書いていて思い出したが、たしかこの文章、「仕事の準備を始めました」で終わって、最後の段落を載せてもらえなかった気がする。校長先生から「文字数の都合で」と言われたっけ。
そういう風に、著者に断りなく文章を切ってしまう編集者には会ったことがないのでびっくりした。校長先生容赦なし!