ピカレスク・ロマンとはたとえば、孤児院を脱走した子供が成長して自分の家を持つようになるまでを書いた小説のことだ。トーヴェ・ヤンソンにもそういう長篇がある。『ムーミンパパの思い出』である。この作品の刊行は1968年だが、原型は1950年に発表された。したがって執筆順としては四作目に当たるが、改稿を経て現在の形になったものは八作目に数えられる。捨て子だったムーミンパパは、ヘムレンが経営するホームを嫌って脱走し、旅の途中で出会った友人たちと船旅に出る。その思い出が回想記として綴られるというのがピカレスク・ロマンの定石である。
ヤンソンはSFやポーの幻想小説が子供時代の愛読書だったと語っている。本書に登場する「海のオーケストラ号」にはジュール・ヴェルヌの影響が見出せるのだ。そうした意味ではもっとも冒険小説らしい内容を備えた作品であり、最近の読者ならば尾田栄一郎『ONE PIECE』につながるロマンティシズムを本書に感じることだろう。
本書には自伝小説という枠構造がある。枠の中に治められた冒険物語がおもしろいことはもちろんなのだが、枠そのものにも見逃せない仕掛けがある。語り手であるムーミンパパによる粉飾が行われている点だ(そもそも冒険自体がムーミンパパの空想の産物である可能性が捨てきれない)。たとえば作中に、ムーミンパパたちを「教育あそび」でしつけたがるヘムレンおばさんが登場するが、自伝の前書きでは「まだ生きている人のおもわくを考えて」人物を入れ替えた個所があると明かされている。それによればヘムレンおばさんは本当はフィリヨンカ族なのだ。このキャラクターがどういう活躍をするのかは本文に譲るが、権威主義者のヘムレン(ヘムル族)ではなくて孤独が好きなフィリヨンカだったとするならば、彼女の出てくる場面は意味合いが変わってくる。そのように、語りによって物語は変容するということをシリーズで初めて示したのがこの作品なのである。
(800字書評)
トーヴェ・ヤンソン『小さなトロールと大きな洪水』(講談社青い鳥文庫)
トーヴェ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』(講談社青い鳥文庫)
トーヴェ・ヤンソン『ムーミン谷の夏まつり』(講談社青い鳥文庫)
トーヴェ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』(講談社青い鳥文庫)
トーヴェ・ヤンソン『ムーミンパパの思い出』(講談社青い鳥文庫)