物語は乙巳の変に始まる。いわゆる大化の改新である。その事件の結果、中級役人の船恵尺は、誰にも言えない秘密を抱えることになった。彼にはすでに二人の息子がいたが、新たにコダマという娘が家族に加わった。しかし彼女は恵尺の実子ではなく、乳人として蘇我入鹿から引き受けた子供だったのである。この秘密が物語の重要な鍵となる。
周防柳『蘇我の娘の古事記』は天智から天武天皇の御世を題材にした伝奇小説である。厩戸皇子の摂政時代、船氏は日本最初の史書である「大王記」編纂に乗り出していた。乙巳の変を経てそれは顧みられることがなくなっていくのだが、恵尺の家には国産みの神話が伝わり、コダマと次兄ヤマドリは、懐かしい昔話のようにそれを聞き続ける。本書は「大王記」がいかにして「古事記」に継承されたかという謎を描いた歴史小説であり、帯文で角川春樹が「現代語訳『古事記』より遥かに面白い力作」と鼻息荒くしているのはそれゆえである。しかしこれ、河出書房新社で現代語訳を行った池澤夏樹の前でも宣言できるのだろうか。
古代史には馴染みが薄いためにどうしてもお勉強をさせられている感が強くなるが、コダマの恋物語を縦糸に使うことによって作者は障壁を取り払っている。彼女の人生で起きるさまざまな出来事が「古事記」のエピソードと重ねられていく書き方であり、キャラクターと小説構造が不可分に組み合わせられているのである。後半は特に起伏が激しく一気に引き込まれるし、登場人物の動かし方にも迷いがなくて話が意外性に満ちている。伝奇小説としては満点の出来だろう。敗者の歴史を書いた小説でもあり、政争による血に塗れた古代を題材にしたことにも意味が生じている。
ちなみにコダマは危機が迫ると発現する超能力者なのだが、その瞬間「いやああああーっ」と絶叫する。竹熊健太郎・相原コージ『サルにも描けるまんが教室』で「イヤボーンの法則」と命名されたアレだ。懐かしや。