友人に珍々亭無人君という人物がいる。もちろん本名ではなく、「ちんちんていむじん」と読む。いや本当はジャーナリスト・条野採菊の戯作者としての筆名・山々亭有人をもじったので「ちんちんていなしんど」が正しい読みなのだが、われわれはむじんと読んでいる。らららむじんくん、はサラ金のコマーシャルである。
珍々亭無人と会うことを「サロンをする」と言う。サロンといってもまったく高尚なことはせず、体に悪いものをたくさん食べたり、体に悪いものをいっぱい飲んだり、頭が悪くなりそうなことをひたすら話すだけである。生産的なことは何もしない。私はいわゆるサロン的な集まりというものに興味がなくて、そういうところで何をしているのかも知らないのだが、たぶん自分たちは同じくらいの知的水準で同じような目的意識を持っていて共通の敵がいるよねー、と言い合っているのではないか。ごめん、サロンの人。これは偏見です。
われわれのサロンのことを私は落語の「寄合酒」とか「饅頭怖い」みたいなものだと思っていたのだが、珍々亭無人は違うと言う。
「これはいわゆる竹林の七賢のようなものである」
「竹林の七賢というとあれか、中国の魏の時代に、世をはかなんだ賢者たちが竹林に集まって清談に耽りつつ酒を酌み交わしていたという」
「そうそう。『俺たち頭いい』『他のやつはみんな馬鹿』とか言いながら」
「そんなことは言わんだろう。賢者に怒られるぞ」
「いやいや、言ったかもしれぬ。司馬昭の陰口とか」
「『恩知らずの司馬昭!』とか言ってな」
「そんな若林健治アナの物真似で言っても誰にも伝わらないのである」
「ははは」
「ははははは」
世のサロンって、だいたいこんな感じなんじゃないかと思うんだけど、違うのだろうか。
「いやいや、王様ゲームとかするのではないか」
「サロンでか。それは何か勘違いしているのではないかと思うが喃」
「『王様ゲーム、はいはい(手を叩く)』とかな」
「それは山手線ゲームのかけ声だろう」
「ははは」
「ははははは」
書いていて呆れるくらい実りがないのでこのくらいにしておく。サロン文化とか文壇の集まりとかはもっと実りのあるものだ、ということは別に教えてくれなくていいです。