落語立川流真打の立川談慶さんとご縁があり、独演会の手伝いをしている。足かけ五年目になる「談慶の意見だ」である。落語三席に加え、絵手紙を用いた漫談、ゲストを招いてのトークと話芸の可能性を広げることに挑戦している落語会だ。
次回は4月20日なのだが、私は非常に楽しみにしている。談慶さんの落語もさることながら、ゲストが豪華なのである。遠藤光男さん、と書いて通じる方はどのくらいいるのだろう。日本におけるボディビルディング草創期の、立役者の一人である。ボディビルダーと聞けばプロレスファンは即座に二人の名前を挙げるはずだ。一人は元日本プロレスの金子武雄さんである。金子さんはレスラー引退後、横浜でスカイジムを経営した。ここは多くのプロレスラー志望者が通ったことでも知られ、最も有名な出身者に藤原喜明がいる。遠藤さんは、自身はプロレスラーデビューこそされなかったが、やはり歴史に名を刻む重要な役割を担っている。国際プロレスにおいてレフェリーを務めたのだ。その期間約3年、当時の同団体をご存じの方ならば(私はテレビ観戦しかしたことがないのだが)、レスラー以上に体格のいい男が試合を裁いていたことをご記憶のはずである。実際、冗談で「マスクをかぶって試合に出たら」と吉原功社長に言われたこともあるという。
談慶さんとのトークではその国際プロレス時代の話にも花が咲くであろう。いろいろ聞きたいことはある。たとえば同団体を離脱したストロング小林が新日本プロレス所属の外敵として国際プロレスにやってきて行われた試合、対ラッシャー木村戦。温厚な木村だが、団体を捨てた小林と剛竜馬のことだけは激しく罵っていたという。当時の雰囲気はどうだったのか。また、外国人契約で同団体に参戦したマサ斎藤が、アニマル浜口との対戦で試合を壊すような振る舞いを見せた際、ブッカーだったミスター・ヒトは控室で喧嘩を売ったという。ヒト・マニアの私としてはぜひそのことをお伺いしなければならぬ。
もちろん国際プロレス・ファンならば誰もがご存じのあの人、グレート草津の酒癖についてもお聞きしたい。『実録・国際プロレス』で遠藤さんは草津との因縁を以下のように語っている。
「一度、草津さんと喧嘩したことがあるんですよ。地方の試合後に、酔っ払って絡んできてね。私は翌日も試合があるから、11時頃に自分の部屋に帰って寝たんです。すると夜中の2時頃、ドンドンと私の部屋を叩く人がいて、ドアを開けたら草津さんなんですよ。そこで“遠ちゃんのレフェリングはダメだ”とかワーワー始まったんです。自分も頭に来て、吉原社長を起こして、“草津さんにそう言われたんで、もし自分が必要じゃんければ、今日で帰りますから”と言ったんですよ。そうしたら、吉原さんが怒ってね。草津さんを思いっきりぶっ飛ばしたんです。“この野郎、遠藤クンに代わるレフェリーを探してきてから、そういう話をしろ! 何もできないくせに生意気なことを言うな!”って。そういうこともありましたね。普段は紳士ですけど、吉原さんは怒ると怖い人でしたから」
あまりプロレスのことを知らない落語ファンも、落語を聞いたことがないプロレスファンも、20日は遠藤さんと談慶さんのトークに来てもらいたい。この貴重な機会を逃さず、ぜひ。