杉江松恋不善閑居 原稿が書けないときにしなければいけないこと・後編

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(承前)

眼を開いた。

パソコンの画面が暗くなっている。

動作を復帰させて時刻を確かめた。それほど長くはないが、やはり数分は眠っていたようだ。

午前中に一本、午後にもう一本。

二本書けばなんとかなる。

そう思ったとたんにメールソフトを開いていた。

来ていたメールに言い訳を返す。さっきの原稿についてはまだ返信がない。

とりあえずこの午後のうちにもう一本、もう一本書くのだと心に決め、その心づもりでもろもろの返信をする。

時刻はもう正午を回っている。

午前中と同じ作業をする。

今度は定期的に書いている原稿なので、編集者からの依頼メールを見る必要はない。

前回の原稿を呼び出し、別の名前で保存してから、全文を削除する。

これで同じ行数だけ書けば原稿は完成するのである。

また真っ白な画面が前に出現する。

そこに一字を打ち込めば、後は自動的に文章が出てくるはずである。

書きたい内容はすでに頭の中にある。

午前中と同じだ。とりあえず書け。

煉瓦を積め。

そう自分に言い聞かせる。

書けない。

また、一字も書けない。

書ける、この内容なら必要な分量の文章になる、そう思っていた企てが不意につまらないもののように感じる。

自分の中で膨らんでいたはずのものが音を立ててしぼんでいく。

しぼんで、しぼんで、しぼんで。

ついにはまったくの空虚になってしまう。

もう書けない。

駄目だ、と思った。

もともと無理だったのだ、とも思う。

若い頃は続けて何本も原稿を書くことが可能だった。でも最近は、一本書くとさっきのように眠くなる。

体力の限界っ、と千代の富士の引退会見を真似して呟いてみる。

一日一本しか書けない体になったのかもしれない。

腹が空いていることに気付く。

時刻はもう午後一時を回っている。

何か食べたほうがいいだろうなと考える。あまりもたれるものではない、できればサンドイッチか何か。

家にパンはない。出来合いのもので済ませよう。

そう考えながらパソコンの電源を落とし、支度をして家を出る。

歩いているうちにすぐ駅前に出る。

仕事場周辺の飲食店は数が知れている。嫌いになった店には行かなくなり、嫌いにならなかった店にはしぶしぶ何度か通っているうちに行き飽きてしまった。

そこで思い出す。

ここから電車で何駅か行ったところに大きな図書館がある。

そこで書こうとしている題材を調べてみたらどうだろうか。

もう何も出てこないと思っていたが、もしかすると発見があるかもしれない。

それは気づかなかった、と思う。

見ればすぐ改札口だ。

吸い込まれるように駅の中に入っていく。階段を上がると、ちょうど電車が来たところだった。しかし、目指す駅には止まらないやつである。

一瞬、乗ってしまって何駅か歩いて戻ればどうか、などという考えが頭をよぎる。

最近、風邪を引いて寝込んでいたので、運動不足のはずだ。調べものもして、ついでに歩くこともできて、いいじゃないか。

すんでのところで思いとどまる。

電車の扉が閉まり、発進する。

危ないところだった。今のも逃避行動だ。

運動という正当化をして、原稿から遠ざかろうとしていた。

次に来た電車に乗る。これは確実に図書館のある駅に停まる。

数駅乗って電車を降りる。

駅の近くで軽く食事をして、歩き始める。

不意に、このへんに古本屋があったな、という考えが頭に浮かぶ。

気が付けばそっちに歩き始めている。

しかし、目指す店舗はシャッターが下りていた。14時から15時まで休憩時間、と紙が貼ってある。

危なかった。これも逃避だ。

あとは迷わずに図書館までたどり着ける。

端末で検索し、必要な本を保存庫から出してもらう。

待っている間にも開架の棚を見て、関連した本をぱらぱら見ていく。

準備が出来て、本をカウンターで受け取る。

ページを開いて中を見ていく。

知っていることしか書いてない。

当たり前である。

他の本も見る。やはり知っていることしか書いていない。

新しい発見はない。

そう思って本を返しに行こうと思ったとき、あることに気が付いた。

記述に矛盾があるような気がする。

古い本だから情報が間違っているのかもしれない。

そう思いながら念のためもう一度本を開く。

そこで。

ぽとん、と自分の中に何かが落ちて来たことに気付いた。

思いついた。

まったく違った角度から題材を眺めることができた。

これはものになる。

そういう予感がした。

急いで本を返し、図書館を出る。

駅には向かわず、大通りを目指す。

それをたどって行けば、自宅近くの最寄り駅に出るのだ。

歩きながら、今思いついたことを考え直してみようと思った。

一時間弱歩いて戻ってくる。暑い日だったので汗をかいていた。

シャワーを浴びて、着替える。

資料を集めて、また机の前に来る。パソコンを起動させ、ワープロソフトを開き、さっき名前をつけた文書を呼び出した。

当然だが、真っ白である。

しかし今度は、そこに線が走っているように見えた。

そこに沿って字を並べていけば、なんとかなるような気がする。

書き出そうとして手を止めた。

さっき、図書館で感じた違和の正体を突き止めるほうが先ではないか。

もしかすると、もう調べることはない、と思ったのは間違いかもしれない。

とりあえず気になる箇所を検索で見てみたほうがいい。

何もなかったら、それはそれで納得ができる。

ネット検索は基本的に予備の作業だ。そこに書かれていることが真実である保証はどこにもないからである。

しかし、自分と同じようなことを考えている人が他にもいるか、そんなことはもう百人ぐらい思いついているのではないか、といった探りを入れることはできるだろう。

検索を繰り返しているうちに、窓の外が薄暗くなっていた。

日が暮れつつあるらしい。

このままだと時間切れだ。

そう思ったときに当たりが来た。

まったく予想外のものが電子書籍化されていた。

ネットに転がっているものは資料としては使えないが、原典が電子書籍になっているのなら話は別だ。

急いで購入し、端末を起動させる。

たしかにそこにあった。

開く。

そして、読もうとした瞬間。

家族が帰ってきた。

家族と食事をする。

いつもは飲んでしまうのだが、もちろん今日は駄目だ。

食事を終え、また仕事場に戻ってきて、さっき購入した電子書籍を読み始めた。

読む。

ああ、当たりだ。

この時点で、最初に書こうと思っていた企てがまったく陳腐なものに見えている。

また、昼間図書館で調べたことがすべて要らなくなっている。

いや、彩りとして散りばめるのはいいか。

一つのテーマで押し通すのは窮屈な原稿の元か。

そんな風に考えているのは、原稿の全体像が頭に浮かんでいる証拠である。

書き始める。

あんなに書けなかったのが嘘のように文章が出てくる。

書くのが楽しい。

調べたこと、考えたことが溢れすぎないように制御しながら書くのは本当に楽しい。

決められた行数の半分ぐらいまで行ったところで少し立ち止まった。

ちょっと勢いが良すぎる。

このままだと最後まで突っ走ってしまう。

冒頭に戻って、要らない表現、おもしろがらせようとして入れた冗談などを消していく。

余計なものを抜いても、情報だけでこれは読める原稿になる。

だいたい六割の行数を消費したところで最終形は見えた。

前もって調べたことも程よく挿入することができる。

最後の行まで一気に書いてしまう。

行数はぴったりだ。

しかし、ちょっと戻る。

少しだけまた削り、最後に一つ文章を付け加える。

窮屈な感じが和らいだように見えた。

これ以上はきっと直さないほうがいい。

急いで文章を保存し、メール送信した。

午前中に送ったメールの返事はまだ来ていない。

でも、もうそんなに不安にはならない。

ようやく書けた。

仕事になった。

書けないと思っていた一日を乗り切れたという実感がこみあげてくる。絶対に他人とは共有できない、自分だけの喜びだ。

安心し、また本を読み始める。

【原稿が書けないときにしなければいけないこと・その4】

最初に準備したプランが本当に書けるものか考え直す。もしかすると脆弱で、構造柱もない掘っ立て小屋なのかもしれない。

【原稿が書けないときにしなければいけないこと・その5】

調べたのだからもういい、と考えずにもう一度調べ直す。手持ちで十分に資料があると思っても他を当たってみる。

【原稿が書けないときにしなければいけないこと・その6】

手軽に見つかったものに飛びつかず、一次資料が出てくるまで探す。気持ちが焦っているときこそ、急がば回れの原則を大事にする。

(おまけ)

【原稿が書けないときにしなければいけないこと・その7】

書き出すにふさわしいタイミングがたぶんある。食事や睡眠、ほどよい運動をしながら、その時期を待つ。きっかけさえつかめれば一気に書ける。

(前編)

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