私は大学のときの口癖が「よし、訣別しよう」で、意見や人生観が合わない人と無理をして付き合うことはない、納得づくで関わらないようにしたほうが互いのため、という考え方をそのころから持っていた。
以前にも書いたように高校以前の人間関係はごくわずかなものを残して捨ててしまったので、私には大学以降の付き合いしかない。その中で誰かと訣別するときは、なるべくフェアにしようと考えて、面と向かってその旨を告げるようにしてきた。
二十代そこそこの駆け出しのうちはそれでなんの問題もなかったのだが、やがて差しさわりを感じるような場面も出てきた。訣別したい相手に力があって、私のことなど簡単に捻り潰してしまえるような場合だ。自分としては卑怯なふるまいなので納得がいかないのだが、そういうときは黙って距離を取るということもしてきた。君子危うきに近寄らず、であり、敬して遠ざける、ということである。つまり逃げたわけだ。面と向かって「君とは訣別する」と言っていた大学時代に比べればだいぶ利口なやり方である。
しかし思い返してみると、口に出して訣別すると宣言せず、また相手が別に脅威とは感じていないのに、黙って距離を取ったことが二度あった。「〇〇が君の悪口を言っているよ」と言われたときである。
一度目は大学生のときだった。詳細は省くが、ある大規模な催しがあり、私はスタッフのようなことをしていた。それが終わって帰るとき、仲間の一人が「〇〇の人たちが杉江さんの悪口を言ってましたよ」となぜか嬉しそうな顔で言ってきたのである。この人は〇〇を私に憎ませたいのか、それとも何も考えてないのか、どっちだろう。そう思って某氏の顔を見たが、考えは何も読み取れなかった。そこで、この人に近づくと心に毒を植え付けられそうになるから危険だ、という結論に達した。もし〇〇を私に憎ませたいのであれば、そこにあるのは単なる悪意である。また、結果がどうなるかを考えずに言ったのなら、某氏は単なる馬鹿である。悪意も馬鹿も危険極まりない。以降その人物とは口をきいたことがないし、その周辺の人間とも距離をとっている。毒が移っているかもしれないからだ。
二度目は社会人になり、ライターという仕事を始めてからのことである。なんとか書評やインタビューの注文が来るようになってやれやれと思っていたとき、同じ業界にいる人から突然「編集者の間にあなたの悪評が広まっているよ」と言われたのである。どんな悪評かもその人に言われたのだが、あえて書く必要はないだろう。つまり「だから気をつけなさい」ということだろうし、行為自体は親切のつもりだったと思いたい。しかしそういうことを言う人は、「杉江の悪評が広まっている」という話を第三者に向けて無邪気に言いふらしているのかもしれない。そういう相手に手の内を見せるのはやはり危険である。別にその人に対してなんの敵意を持ったこともないのだが、以降は距離を置くことにした。
この二度の経験でしたほうがよかったと後で気づいたことがある。
大学生のとき「〇〇の人たちが杉江さんの悪口を言ってましたよ」と言ってきた人物には「じゃあ君は悪口を打ち消すようなことを何か言ってくれたの」と聞くべきだった。
「編集者の間にあなたの悪評が広まっているよ」と教えてくれた人物にも同じことを聞くべきだった。そして「なぜそんなことを言うんですか」と確認すべきだった。
そこで一言返す余裕がなかったがために、私は二人、生涯で絶対に信用できない人を作ってしまったのである。自分が悪いとは思わないし、失った人間関係を残念だとも感じないが。「〇〇はあなたの悪口を言っている」はそれほど危険で、口にしてはいけない一言である。