「小説推理」8月号を読む。お目当ては第40回「小説推理新人賞」選考座談会である。
この賞は毎回最終候補作それぞれについての選考委員の講評があり、どの作品を受賞作にするかというところまで座談会の模様をすべて収録している。小説家志望者には非常に勉強になる内容のはずである。特に選考委員が桜木紫乃、朱川湊人、東山彰良の三氏になっての前回は読みごたえがあった。結局正賞は出ず、奨励賞を出すに留まった。候補作の水準が商業出版物としての合格点に達していなかったためであるが、受賞者にとっては、新人賞をいくつ貰うよりもあのときの講評のほうが作家生活の財産になったのではないだろうか。
今回は松沢くれは氏の「五年後に」が受賞作となったのだが、そこに至るまでの講評は非常に内容が充実していた。今号でもっとも読むべきはこの座談会である。
各選考委員の発言の中で、以下に引用する桜木紫乃氏の意見が最も印象に残った。
桜木 (ある作品に関して)おもしろいのですが、次から次へと短くて高い音の情報が入ってくる。そのために、物語が落ち着かない。これは八つに分けられたどのパートも情報量が多いからだと思います。
桜木 (前記とは別の作品に関して)でも点から点へと移動する際にできる水たまりに、ちゃんと文章が入っているという気がします。音楽でいうとメロディラインですね。ずっと高音の点(情報)を鳴らし続けるのではなくて、台詞と台詞の間にちゃんと地の文があると思いました。それができているかどうかは他の作品を読む際にも気にした点です。
いかに情報を出していくか、ということに懸命になる書き手は多い。いわゆるハコ書きのような手法でプロットを作っていくと、どうしてもそうなるはずだ。桜木の指摘は、でもそれだけでは小説にはなりません、と言っているように読めた。書き手の頭の中にある筋立てをそのまま文章にして再現することができればもちろん大したことなのだが、それだけで新人賞を与えられるような、あるいは商業作品として対価を支払われるような「物語」になるわけではない。読者に与えて導いていくための情報だけではなく、それを乗せる船、あるいは流れそのものが小説なのではないか。
この他にも耳を傾けるべき意見が多数ある。個々の応募作の内容を知らなくても読める選評なので、ぜひお目通しいただきたい。