十四時二十七分桐生駅発の両毛線下りに乗って小山駅へ、さらに十五時四十二分小山駅発の宇都宮線下りに乗る。十六時過ぎには見慣れた宇都宮駅に着いていた。
昨日の続き、わたらせ渓谷鐡道からの帰り旅について、もう少し書いておく。
宇都宮駅には何度も下りたことがある。会社員時代、ドコモ宇都宮支店に新製品の講習会で来たのが最初だったと思う。生意気にも私が講師である。当時は携帯電話の開発営業をやっていたので、関東地方のあちこちからお座敷がかかっていたのだ。仕事ではなくて趣味で来たのは、mixiでコミュニティ活動が盛り上がっているころだった。「社会科見学へ行こう」のコミュニティを主宰されていた小島健一氏の企画で、大谷町の大谷石地下採掘場跡の大谷資料館に行く話が持ち上がって、それでやって来たのだった。
いや、違うか。もっと前に全日本大学ミステリ連合の夏合宿で来たことがある。だとすれば一九九七年のことだ。なぜ断言できるかといえば、オリオン通りを逍遥しているときに、実写映画の「ときめきメモリアル」ポスターを見て、ビジュアルのイメージの違いに立ちすくんだ記憶があるからである。そんなことで覚えられも宇都宮市は嬉しくないと思うが、事実だから仕方ない。吹石一恵が藤崎詩織役だったあの「ときめきメモリアル」だ。映画は観たはずだが内容をまったく覚えていない。そもそもゲームをやったことがないのに、なぜ観にいったのか。
一九九七年の八月、現・同業者の川出正樹さんと一緒に宇都宮の古本屋を回ったのだった。そのとき足を運んだ店はすべて現存しない。宇都宮の地方裁判所に近い、材木町にあったのが山崎書店だが、ここも数年前に閉業してしまっている。宇都宮駅から歩いて行ける範囲で現在も存続している個人営業の古本屋は、中河原町の秀峰堂だけなのではないだろうか。といっても、秀峰堂はいつ行っても開いていたためしがなく、閉じたガラス戸にはカーテンがかかっていて中を見たこともない。店頭に貼ってあるポスターは定期的に新しいものに張り替えられているので、廃業したのではないと思うのだが、中に入った人に会ったことがない、都市伝説のような古本屋なのである。今回も一応前まで行ってみたが、カーテンが開くことはなかった。そしてポスターは二〇一八年のものに貼り替えられていた。いつかこれが開いて中に入ることがあるのだろうか。そうなったら逆に怖いなあ。そのまま異世界に連れていかれたりして。
というわけで、宇都宮では完全に古本屋行きは諦めた。宿泊は駅前の宇都宮ステーションホテルである。昨年リニューアルして、大浴場が出来たというのでここに決めたのだ。朝早く起こされた子供は眠たそうにしていて、ホテルについたら少し寝たいという。
「ステーションホテルってどこにあるの」
「ステーションというぐらいだから、駅に隣接してるんじゃないのかな」
「じゃあ、あれ」
「あれはステーションホテルじゃなくて、チサンホテルだな。チサンホテルって、CHISUNって書くのな。知ってた」
「知らなかった。ステーションホテル、駅からあまり近くないね」
「うん」
というような会話をしている間に見つかる。駅前の通りから、一本向こう側の道沿いにあった。駅に隣接しているわけではないが、遠いというほどではない。以前、書評家の若林踏氏とも宇都宮に来たことがあるが、そのとき入った居酒屋の向かい側だった。
早めのチェックインを済ませ、噂の大浴場に行ってみる。湯舟が家庭のユニットバスを十倍に拡大したようなもので、見たこともない形をしていた。たしかに「大」ではあるので、文句も言わずにおとなしく浸かる。ちょっと前に水沼で温泉に浸かったばかりだが、街歩きをしたら風呂に浸かるのである。最前の来宇の際は、材木町で銭湯を探して入浴したのだった。開いた早々でお湯が釜茹でになるほど熱かったのを覚えている。さすがにあそこまで高温だと身の危険を感じるが、基本的にぬるい湯は嫌いなので好みの銭湯である。
宇都宮といえば餃子の街という印象があるが、実は宮っ子(と地元の人は言うらしい)にとってのソウルフードは焼きそばであるらしい。お世話になっているサイト「焼きそば名店探訪録」から仕入れた情報で、焼きそば屋安藤と石田屋というところが良いと知ったので、それぞれ行ってみた。
安藤は目抜き通りであるオリオン通りの中にあり、並びの店がビルになっているのに、そこだけ屋台風というか、ざっかけない風情の建物で営業している。具はキャベツだけ、というのが潔くていい。焼きそばファンでも具の好みは人によって違うだろうが、私はキャベツが好きなのである。自宅でも、キャベツを炒めてウスターソースを絡めたものを三日に一度は食べるくらい好きだ。ここには初日に寄ったのだが、宇都宮の夜は必ず香蘭の餃子、というのが我が家訓であるので、持ち帰ってホテルで食べることにした。後でやや冷め気味のものを食べたが、それでも十分に美味かった。麺は太くて固めである。経木に包んでくれて持ち帰り、というのがまた嬉しい。三百円で驚くほど量があった。
石田屋は、開かずの扉の秀峰堂に近いところにある。こちらは野菜入りが基本で、それに肉、ハム、玉子が加わるのと、量が四段階に変わるのでそれぞれ値段がついている。子供とそれぞれ肉野菜入りを食べてみた。これも「焼きそば名店探訪録」で知ったことだが、宇都宮の焼きそばは薄味が普通で、それに卓上のソースをかけて自分好みの味に調節するのだとか。石田屋でもその通りのことを言われたので、ソースをかけまわしながら食べてみた。
美味い。
一口薄味のものを食べてからソースをかけたのだが、熱いところにそれが絡むと劇的に味が変化するのがおもしろい。私はラーメン屋で味を自分で作らせるところがあまり好きではないし、皿うどんにソースを追加するような後がけ方式自体を疎ましく感じている。初めから味を決めた上で客に提供するのがプロだろう、と思うからだ。そんな後がけ否定派をも黙らせるほど石田屋は美味かった。ソースだけではなく、テーブルコショウや七味などもちょっとずつ振りかけながら食べる。七味が特に気に入った。あっという間に食べてしまう。
石田屋は酒類の提供をしていない。ちょっと前ならば、これだけ美味い焼きそばがあるのにビールを飲めないとは、と残念に感じたところなのだが、最近は心境が変わりつつある。どんなときにも必ず飲んでいたビールを、今はそれほど飲みたくないのである。その前夜、香蘭でも魅力的な焼き餃子を前にしながら、ついにビールを頼まなかった。子供が、「ビールはいいの」と驚いていたが、いいのである。餃子だけをぱっぱっと食べてそれでおしまい。石田屋でも焼きそばだけですこぶる満足であった。不思議だ。あんなにビールばかり飲んでいたのに。
思えば今年の夏は、本当にビールを飲まなかった。五月に大病をして入院、その後娑婆に出てきて百日くらい断酒していた。ビール初めは旅先のタイでやったのだが、大瓶一本飲んで、それで満足してしまった。タイで数本、その後国内でも何度かビールの機会があったのに、今日は気分ではないからよしておこう、とか、焼酎の水割りを薄めで、とか流してしまい、結局大瓶にして五本も飲んでいないと思う。
私の中で何が起きているのだろうか。これまで三十年近く、ビールで内燃機関を動かすようにして生きてきたのに、原動力を失って、それでも普通に体は動いている。もしかすると私は、ビールという幻想を生きていたにすぎないのだろうか。あれは長い長い夢で、もう覚めてしまって元には戻れないのだろうか。もう二度と、「とりあえずビール」などという言葉を発することはないのだろうか。
そんなことを終わりに考えてしまった今回の群馬・栃木旅行であった。
初めてのビールと共に過ごさなかった夏。まるで恋人との別れを振り返るような、と書きはじめてよく考えるとそんな別れを体験した夏などなかったことに気づいた。毎年育てていたカブトムシをその夏初めて飼わなかったような、というほうが正しい気がする。カブトムシとビールに縁が無かった二〇一八年の夏がようやく終わろうとしている。