街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2018年9月八高線全線乗車

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高崎駅前にて。先日の大食い女王戦でもとりあげられていましたが、今、後継者のいない食堂後援キャンペーンみたいなことをやっているのです。

あとで書くつもりなのだが、この夏は青春18きっぷを購入して、あちこちに出かけてみた。本当は自分の足で歩きたいのだけど、大病の余韻がまだ抜けていなくて体力に自信が持てないのと、今夏の気候が日本はどうしてしまったのかと思うほどに惨いものだったので、慎重になったのだ。子供と一緒に一回(きっぷ二回分)、単独で二回の鉄道旅行をした。単独行の一回は泊りがけだったので、五回分はすべて使い切った。「あなたはそんなに鉄の人だったか」と妻に不審がられたが、歩き旅の代償行為なのである。

その18きっぷ旅行で乗りにいけなかった区間が一つある。八高線だ。その北部、高麗川~倉賀野間は、関東圏では珍しい非電化路線である。前後したがわたらせ渓谷鐡道に乗りに行ったのも、この非電化区間を潰したのでついでという気持ちが強かったのである。

そんなわけで出かけてきた。拙宅から高崎までは新幹線や有料特急を使わずとも三時間もあれば着いてしまう距離なので、通勤時間を外す形でのんびりと家を出た。午前十時頃に高崎駅に到着。その時間にしたのは、みやま書店の開店時間だからである。

みやま書店は、高崎駅から歩いて行ける範囲にある個人営業の古本屋としては唯一の店舗なのではないだろうか。駅の西口に出て、目の前の通りをまっすぐ。二つ目の信号を左に曲がって少し進んだ先にある。

隣は栄寿亭という老舗のカツ丼屋だ。一杯五百円以下なのだから実に安い。Aが卵なし、Bが玉子ありで、自分だったらどっちを頼むか、お品書きを見ながら考えた。といっても大病以来まだカツ丼は食べたことがないので、見送ったのだが。卵なしのカツ丼、別にソースカツではないそうだ。どんな味だったんだろうか。その昔何かのエッセイで椎名誠が卵とじではないカツ丼を地方の食堂で出されて怒った話を書いていたが、東京式が唯一のカツ丼ではないということが知られていなかった時代だからこそである。今だったらそんなことを書いたらSNSで大炎上だ。

いや、みやま書店である。店頭の均一棚からして濃い品ぞろえである。石原慎太郎の犯罪小説なんかが五十円で並んでいる。店内に入るとすぐ右側が文庫棚で、絶版の創元推理文庫などが、ちゃんとわかっている値付けで置いてあった。三百円が中心だから決して高くはない。いい古本屋である。最近の私は、海外小説と旧街道文献、そして古典芸能関係の本以外はよほどのことがない限り買わないことにしている。なんでも集めているときりがないので、自制気味なのだ。

結局みやまでは『世界名作推理小説大系』のバラを二冊と、F・W・クロフツ『ポンスン事件』、『旅窓全書東海道線』という本の四冊を購入した。全集の二冊はコール『百万長者の死』が入っている巻と、ウォルシュ『暗い窓』・アームストロング『悪の仮面』が入っている巻の二冊で、後者は他で読めないはずだ。『ポンスン事件』は読みたいけど書棚に無かったという体験を最近したばかりだったのだが、帰宅してみたらちゃんと思った通りの場所にあった。

『旅窓全書東海道線』は昭和三十年代、国鉄時代の東海道線を全解説したもので、これが唯一のダブりではない本だった。街道歩きの資料にするつもりなのである。東海道線各駅の由来について触れられているだけではなく、通過する市町村のことにも簡潔ながら触れられている。嬉しいのは、最寄り駅ごとに宿泊可能な旅館名が記されていることだ。これらの多くは現在では廃業してしまっているはずであり、建物が消えてしまえば当時を偲ぶ手がかりすらなくなる。そう思うと貴重な資料なのであった。千円しない本で、私としては大変にありがたい買い物であった。

高崎駅まで戻り、高崎線で一つ目の倉賀野まで行く。八高線は高崎駅が終点だが、倉賀野・高崎間は高崎線に属しているはずなので、終点はこっちだ。一応下車して、駅の周りをとぼとぼ歩いてみる。

倉賀野は中山道の宿場で、かつてはたいへん栄えたという。今の駅の周りには何もなく、脇本陣跡まで歩いていっても食事をする店もなかった。いずれ中山道を歩くときには要注意、と自分の頭の中に覚え書きしておく。後で調べたところ駅の反対側にはショッピングセンターなどがあるそうなのだが、街道歩きのときにはどうせそっちまで行かないし。かつては書店としても営業していたらしい薬局があったが、現在は専業になっていた。記念に写真を撮る。

駅に戻ってしばらくすると、ディーゼル特有の黒煙を吐き上げながら二両編成の列車が入構してきた。座席はけっこう埋まっているが、座ることができた。膝の上にA3のゲラを広げつつ、窓の外を眺める体勢になる。そう、これは単なる娯楽旅行ではなく、自主カンヅメなのである。見物ではなくゲラを読むための旅行なのだ。だからかかったお金もすべて経費として申告するのだ。税務署が認めてくれるかどうかはわからないが。

倉賀野からしばらくは平坦な土地を進んでいくが、終点の高麗川に近づくにつれて周囲の景色が変わってくる。山間を縫うように線路が敷かれており、一気に緑が濃くなる。山岳鉄道のような景色になり、興奮が高まった。わざわざ乗りにきた甲斐があるというものだ。途中で小学生の集団が乗りこんできた。四年生ぐらいだろうか。リュックを背負っているので、遠足である。大騒ぎしているが、中に一人「静かにしろ」と顔を真っ赤にして怒鳴っている正義感の強い男の子がいた。当然のように無視されて、彼は下車時に癇癪を起こし、かぶっていた紅白帽を駅の外に投げ飛ばしてしまった。よしよし、君の苦労はいずれ実を結ぶから、今はそんなに悲観するな。

高麗川駅には下りたことがないのだが、以前近くの西武池袋線高麗では、ある。無数の赤い花が咲き乱れる巾着田曼殊沙華まつりを見物しにきたのである。九月十五日からということで、駅にもその幟が準備されていた。ここで非電化区間は終わり、対面式シートの電車に乗り換える。八王子までそれに揺られていく。

八王子は生家のある町だが、八王子駅に来た回数はそれほど多くない。生家は多摩線沿線だからで、かつては八王子まで来るためにはいったん京王線の調布駅まで行かなければならなかった。多摩線が延伸して横浜線の橋本駅と接続したときは、これで中央線に行きやすくなった、と思ったものである。

八王子駅には二つの行くべき古本屋があり、しかも指呼の間と言ってもいいほどの近さで営業している。そのうちの一軒、まつおか書房は幻想文学棚の品ぞろえがよく、その他もミリタリーや西洋哲学などのジャンルが細分化されて点数も多く、特色のある古書店だ。ここでは最近気にして集めている新日本出版社のアンソロジー『世界短編名作選』のドイツ編とアメリカ篇、先代桂小南『落語案内』を購入。『世界短編名作選』はフランス編もあったのだが、持っていると思って置いてきてしまった。『落語案内』は京都府出身の上方弁、一般の寄席に出ない三遊亭金馬門下という特殊な修業時代を経た落語家の著書で、学校寄席を始めるに至った経緯などが書いてあって史料的価値も高い。これは復刊に値する名著だと思うのだが、どちらかの版元でいかがでしょうか。

もう一軒は佐藤書房。店頭のポケミス棚と文庫棚が充実しており、ミステリーファンはまずここで三十分以上は時間を取られる。そこから奥に入ると三列の左側手前がまず探偵小説、奥がサブカルチャーや民俗学棚でまず引っ掛かる。真ん中の通路は手前側が古いコミック中心で、奥が文学棚である。右側は奥に郷土史などがあって、ここも私にとっては興味の対象だ。真ん中の棚でジョン・チ―ヴァー『ブリット・パーク』を見つけてしまった。許容範囲をちょっとはみ出した値付けだったのだが、これは仕方ない。サバービア文学を代表する作家の一人で、奥の訳者あとがきを覗いたら作者の言葉が引用されていた。

「小説を書くということは、結婚とか、長年の情事関係のようなものであって、そこに、責任、が生じてくる。今日においては、フィクションは書く者にとって、非常な難事であり、挑戦である。今日、われわれに遺されたサスペンス源はセックスとエスピオナージュしかない。その二つを使わないでフィクションが書けるであろうか? 私はそれを試みたのだ」

いや、これを読まずにどうする。『ブリット・パーク』の他は例の『世界短編名作選』のフランス編2を購入。フランス編を買っておけば、と後で思ったがこれは仕方ない。

八王子から橋本まで行って相模線に乗ることも考えていたのだが、日が没してしまい、雨も降ってきたのでまたの機会ということにする。思えばこの一日は、八王子の佐藤書房で『ブリット・パーク』に出会うためにあったのだ。ジョン・チ―ヴァーに呼ばれたのだ。

八高線明覚駅。無人駅の多い路線で、駅舎もこのように風情のあるところばかり。

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