前回までのあらすじ。
ラーメン二郎、光書房、冨士見湯というあまりにも強力な三連攻撃のためにいったんは挫折した杉江松恋であったが、藤沢~平塚間を改めて歩き、なんとか元通りの工程に戻すことに成功したのであった。
二〇一一年の初歩きよりは自分の足が進化したことを証明すべく再び始めた東海道行、二回目にして早くも「限界まで長く歩く」という当初の目的を見失って迷走してしまったのだが、まあ、そこはご愛敬ということで。
さて第三回の行程は、東海道第七の宿場平塚を発して、最初の難関・箱根山の手前である小田急箱根湯本駅を目指す。箱根の山は天下の嶮とはよく言ったもので、これを越えるのは容易ではない。どう歩いたとしても、箱根越えには丸一日かかってしまうはずなのである。『東海道でしょう!』のときは、小田原から発して箱根宿で一泊し、翌日に三島まで行くというという行程をとったが、その宿泊がもったいない。時間もそうだが、箱根宿にはビジネスホテルのたぐいがなく(当たり前だが)、どこもちょっとお高いのだ。であれば箱根湯本から一気に山を越えてしまい、夜になったとしても三島まで行くのがいちばん、そういうわけで平塚~箱根湯本の約20㎞をこの日は歩くことになった。決行は前回から三ヶ月後、二〇一六年十月十九日である。
拙宅から始発で行くと、午前五時半には平塚駅に着くことができる。早暁の街歩きほど楽しいものはなく、無人の路をどんどん歩く。平塚宿はJRの駅よりも西側にあり、北側に出てしばらく行ったところに江戸見附がある。やがて北西に見えてくるのが高麗山で、平坦な街道から見るとこれもけっこうな標高に見える。江戸っ子が物を知らないのをいいことに、平塚宿の客引きは、あれが箱根山です、山越えはたいへんだからうちで一泊してからどうぞ、と騙した、と物の本には書いてある。
このへんから街道沿いには松並木が残存しているところが多くなっていく。大磯は消失してしまった吉田茂邸をはじめ、政府要人の別荘が多く設けられた明治最初のリゾート地であるから、景観も保存されている場所が多いのかもしれない。大磯宿には西行法師「心なき身にも哀れは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」の歌で知られる鴫立沢があり、それにちなんだ鴫立庵は日本三大俳諧道場の一つで当地の名所なのだが、まだ午前八時前で、もちろん開いていない。風情だけ楽しんでとっとこと通り過ぎる。先は長いのだ。
大磯を過ぎるとあとは小田原までひたすら西へ向かって歩くだけである。駅伝中継でおなじみの道だ。東海道本線と並行しているので、寄り道をして一休みしようと思えば容易なのが助かる。特に見物するものとてないので、3.9㎞ごとに一里塚を見つけると写真を撮る。
思い出したのだが、この日は二度も拾い物をしてしまったのであった。一つは子供のものらしい通学定期券である。見つけたからには知らぬ顔もできず、そのたびに最寄りの交番を探すことになり、けっこうな回り道をしている。こんなものは俺じゃなくて地元の人間が拾ってとっとと届けるべし、と理不尽な怒り方をしながら、とっとと歩く。
この日見た中でいくつめかの一里塚は、小田原宿の江戸口見附跡にあり、いっしょの石碑が建てられている。小田原宿は東海道で旅人が初めて到達する城下町の宿である。当然ながら規模も大きく、栄えたことだろう。「抜け雀」など、多くの旅ものの落語がここを舞台にしているのも当然だ。
小田原には以前、駅から行ける範囲に数軒の古本屋があったのだが、知っている店はみななくなってしまった。後で、街道を北にいったところに高野書房という古い店が残っていたということに気づいたが、未訪の店に行くだけの余裕はこの日はなし。古本屋探訪は次回以降の課題ということで。
小田原宿から内陸部に向って歩いていく。前方に箱根山が迫ってきて、道は当然だが上り坂になる。この付近には風情のある街並みも残っており、あたりを眺めながら歩くのも楽しい。小一時間ほどで目指す箱根湯本駅に到着した。そのすぐ手前にある三枚橋が今日の終点である。箱根駅伝のルートはここから塔ノ沢を上って山頂を目指すのだろうが、街道は三枚橋で早川を渡って西へ向かうことになる。ここまで歩いておけば、次回は箱根湯本からの出発が可能である。
古本屋には巡り会えなかったが、風呂のほうは大丈夫。小田急線箱根湯本駅をご利用されたことがある方は、駅から東に「かっぱ天国」という看板を見た記憶がおありだろう。廉価に利用できる立ち寄り温泉である。私もまだ入ったことがなく、この日が初利用となった。箱根湯本駅からいったん坂をくだり、そこからまた延々と上っていく。けっこうな長距離を歩いたあとだけに辛いが、そんなことを言ったら次回の箱根越えはもっと辛いのである。
坂から階段を上がっていくとかっぱ天国だ。入浴料は800円である。脱衣場を含め建物は年季が入っており、お世辞にも綺麗とは言えないが露天風呂で湯は豊富である。湯舟のほうも枯れ葉などが積もっており、野趣溢れる入浴が楽しめた。これにて東海道歩き、本日はおしまい。
箱根湯本駅まで戻ってくると、沿道の店はばたばたと仕舞い支度を始めていた。それはそうだ。そろそろ日没である。小田急線に乗り、在所までとぼとぼと帰る。次は箱根越えである。