東銀座は思い出深い町である。マガジンハウスがあるからだ。駆け出しのころ、書評の先輩である吉野仁さんや香山二三郎さんに声をかけていただき、対談などをよくやった。文芸誌「鳩よ!」や総合情報誌の「ダ・カーポ」など、なくなってしまった媒体でお世話になったものである。
今は知らないのだが、マガジンハウスには各誌に専属のライターがいた。社員ではなくて契約記者のような形だと思うのだが、原稿量に関係なく固定給が出ていたのである。だから対談仕事をするときは、マガジンハウスの編集者だけではなく、そうした記者の方も立ち会うのが普通だった。これは他社では経験したことがないシステムである。
そして、対談収録が終わるとだいたい、飲みに行こうという話になった。私などは二十代の若造だから、銀座なんかで飲んだことはもちろんない。銀座〇丁目ではなくて東銀座という地名でも同じことである。畏れ多くて一人では決してあの付近の小料理屋などは入れなかっただろう。しかし入ってみると意外に気さくな店が多く、居心地よかった。残念なのは、いつも連れて行ってもらうばかりだったので、地理や店の名前など具体的な情報をまったく記憶できなかったことである。今でもあの店はあるのだろうか、などとぼんやり考えることがある。
朝日新聞の本社で仕事があり、ひさしぶりに築地まで出かけた。仕事が終わって一同解散になった後で、天気も良かったので東銀座まで歩いて地下鉄の日比谷線に乗ることにした。朝日新聞社の最寄り駅は大江戸線の築地市場である。
乗りつけない路線だと、地理がうまく把握できない。地下鉄の路線図だと別々の場所にあってずいぶん遠いように思える駅同士でも、地上の道を歩くとすぐついてしまったりする。築地市場から東銀座までもそうだ。朝日新聞社前の中央市場通りをちょっと行くと昭和通りにぶつかる。それを北上すれば交差点をいくつも渡ることなく東銀座駅だ。
歌舞伎座にはたびたび来ているのだが、東銀座駅で下車せずにここまで歩いてきたのは初めてかもしれない。以前、このへんには古本屋が数軒あったのだが、いずれも閉業してしまっている。唯一営業しているのが、二〇〇八年に歌舞伎専門の奥村書店が閉じたのを機に独立し、同様の専門古書店として開業した木挽屋書店である。
歌舞伎座の脇を入ってすぐのところに店舗はある。一階が茜屋珈琲店という喫茶店だ。マガジンハウスによく来ていたころ、ゲラ読みのために入った記憶がある喫茶店と、たぶん同じ店ではないか。東銀座の喫茶店といえばここと、巨大サンドイッチのアメリカンである。
看板があまり目立たないので、ここに古本屋があるという予備知識がない人は前を通り過ぎてしまうだろう。階段を上って踊り場に出ると、開いたドアの向こうに異世界が広がっているのが見える。壁際に置かれた本棚は木挽屋書店の場合、脇役にすぎない。その前にうず高く積まれた山こそがこの店の本体なのだ。置かれているのは九割が歌舞伎関係で、演劇が残りの一割、ちょろちょろっという感じでその他の古典芸能本が置いてある。落語関連のものも多いはずだし、講談系で探している本もあるのだが、時間と覚悟がないとなかなか難しい。本というか紙の資料で築かれた山によって通路は非常に狭くなっており、迂闊に歩くと崩してしまいそうだからである。はるか向こうの棚におもしろい本がありそうなのだが、霞んで見えない。しまった、オペラグラスを持ってくるべきだった。
一見でほいほいと行くのは別にいいのだが、探書もちゃんと決めずに山を乱してはお店の迷惑になる。眼の保養だけで今日は切り上げることにした。いずれまた、改めて出直してこよう。これこれのものを探しているのだけど、と聞けば応えてくれるお店のはずである。
店を出て、もう一つ行きたい場所を思いついた。以前は歌舞伎座そばで営業していた歌舞伎そばが、今は裏道に移っているのである。新店になってからは足を運んだことがないので、訪ねてみた。
以前の店舗は現在の富士そばがある場所で、立ち食いではなくてカウンターに椅子を並べた形式だったと記憶している。それは今の店舗でも同じである。店の規模は昔よりも縮小していると思うのだが、おぼろげな記憶なので確かではない。歌舞伎そばの名物もりかき揚げそばではなく、普通のもりをいただいた。なじみ客というわけではなかったが、懐かしい店が元気に営業していて、一安心した。