杉江松恋不善閑居 池袋コミュニティカレッジ「ミステリーの書き方」のこと・その1

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内容とはまったく関係ないのだが、これは今夏駿河湾で撮った写真である。

あまり書いたことがないのだが、池袋コミュニティカレッジというところで「ミステリーの書き方」という講座をずっとやっている。もう何年目になるのかわからない。そして、なぜ私が講師を依頼されたのかもよく覚えていない。

いや、講師の話をもらったときのことは記憶している。外出中で、携帯電話に着信があったのだ。電話を受けたが今はなき芳林堂書店池袋西口店の前だったことも覚えている。そういうことは忘れないのだ。電話をかけてきたのは男性だった。池袋コミュニティカレッジというカルチャースクールがあること、以前その講師をされていたのは都筑道夫さんであったこと、をそのときに聞いた。畏れ多い話である。まだご存命だったが、そういったお仕事は整理して止めておられた。都筑さんの後がいきなり私ということはないだろうから、たぶん幾人かに断られ、滑り止めで来た話なのではないだろうか。

昔話はほどほどにしておく。

「ミステリーの書き方」という講座名だが、その実態は「ミステリー的なプロットの考え方を使って、とにかく原稿用紙換算50枚以上の作品を書いてもらう」が正しい。

小説の書き方に絶対の正解はない。ごく単純な言い方をすれば、芥川賞の候補になるような小説と直木賞の候補作品とはほぼ書き方が異なる。方法論が違うので、同じ小説と名がついているからといって、一方の方法論でもう一方を批評するのは変なのである。それと同じようなことがいくらでもある。

ミステリーが大衆小説のジャンルとして一般化し、その技法が当たり前のように一般小説に取り入れられるようになったのはいつごろか。きちんとした答えを今は準備できていないのだが、現在の日本作家で、と条件を限れば、1990年代に入ってからのことではないかと思う。もっと正確に言えば、ミステリーを読むような視点で普通小説が読まれるようになったのは、としたほうがいいかもしれない。伏線の回収という言葉を今は誰もが普通に使うが、これは少なくとも40年前にはあまり一般的な用語ではなかった。そういう形で、ミステリーの技法が普通小説を読むような人にも知れ渡ったのである。

だから現在では、ミステリー的な構造を使って書こうと思えば一篇の小説を完成させることは可能である。始めに設計図を作る必要はあるが、そこに嵌めこむ資材・部品をきちんと準備し、建築計画に沿って施工すれば少なくとも家らしきものは完成させられる。途中で止めちゃう人は何割か出るはずだが、技巧のせいでそうなるのではなかろう。端的な言い方をすればミステリーの技法を使って書くことで「歩留まり」は上げられるはずなのである。

私がやっているのはそういう歩留まりの監視と進捗管理で、何かを教えるというよりはむしろ工場長が担当職員を管理しているのに近い。作業に入る前にきちんと設計図を見ているか。無理が前提の計画になり、事故の危険性を無視してしまっていないか。本来は計画が間違っているのに、それを自分の資質であるとか人間性のせいにして無駄に気を病んでいないか。作品を完成させるということが本来の目的であるはずなのに、それが手段になってしまっていないか。書けば書くほど小説が嫌いになるようなことになっていないか。

といったことを作業工程の管理と一緒に相談に乗るわけである。私は現場にいるときに会社を辞めてしまって、管理職の仕事をしたことがない。もしマネージャーになっていたら、こういうことを考えながら現場の人には接していたのだろうな、と思うことがあるのである。

(つづく)

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