五街道のような看板役者にはない魅力が、小規模な街道にはある。それを発見した瞬間は非常にうれしい。
川越街道は中山道から東京都の板橋宿で分岐し、そこから埼玉県川越市まで約33km。距離は短いが、内容は凝縮されていて、なかなかに侮れないのである。
中山道から分岐したあと、川越街道は賑やかなことで有名なハッピーロード大山商店街になる。街道の南部は東武東上線と至近の距離なので、少し歩くと駅に出て、また歩くと別の駅、というように、まるで駅前商店街巡りのようなのだ。
東京都最後の下練馬宿から埼玉県最初の白子宿に入った瞬間にそれが変わる。道が急坂になったかと思うと、突然崖と森が出現するのだ。武蔵野台地の末端、白子・大坂ふれあいの森である。台地の始点は初めて見たので、ここに来たときは小さなしゃっくりなら収まるぐらい驚いた。
坂を上りきると、道は全身で「丘ですっ」と主張し始める。次の宿場は、小栗判官の愛馬・鬼鹿毛の脚が折れたという伝説から膝折と命名されたそうで、歩いていると汗が噴き出すような道になる。区分としては埼玉県朝霞市である。朝霞は本来「朝香」、この地にあったゴルフ場の名誉総裁が皇族・朝香宮であったことから来ている。なるほど、ゴルフ場向きの地形だ。
のんきに商店街巡りをしていたと思ったら今度は丘歩きか、と驚いたあとはさらに意外な展開が待っている。膝折の次、大和田宿を過ぎるとほぼ一本道になり、終点の川越までひたすらに歩くだけの時間が続くのだ。だからこそ、すべてを歩き切って小江戸と呼ばれる古い街並みを目にしたときは、えもいわれぬ感慨がこみあげる。そうか、そのための伏線だったのか。
連載の第一回で、街道を歩いていて楽しいことの一つに「少しずつ風景が変わってくる」ことだと書いた。それにならっていえば川越街道は「いきなり風景を変えて旅人をびっくりさせようとするお茶目さん」だ。予想は裏切るためにある、とでも言わんばかりの展開に、しかと感服仕ったのだった。こういうところが小街道の魅力なのである。
道自体は北へ向かってまだ続くが、川越街道としては現在の市役所前が終点となる。築城者として名高い太田道灌像がお出迎えだ。そこから歩いて一分もしないところに旭湯という素晴らしい銭湯があり、歩き旅の汗を流せるのが嬉しい。将来、通勤街道歩きに作法が作られるとしたら、良い風呂の近くを終点に選び、汗を流して帰ること、の一文はぜひ入れたいものだ。
(初出:「しんぶん赤旗」2018年5月30日)