芸人本書く列伝classic vol.17 常松裕明『よしもと血風録 吉本興業社長・大崎洋物語』

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よしもと血風録: 吉本興業社長・大﨑洋物語 (新潮文庫)

吉本興業という会社には、創業時から魅力的な神話がある。創業者は元大阪上町本町橋で荒物問屋を営んでいた吉本吉次郎だが、実質的に寄席経営を仕切っていたのは妻のせいであるというのである。

矢野誠一『女興行師吉本せい 浪花演藝史譚』(ちくま文庫)は膨大な資料を基に書き上げられた評伝の傑作だが、せいが周辺の寄席を買い漁って統合し、興行の一大経営圏を作っていくさまが豪快に描かれている。戦前の上方演芸界ではもともと落語が優位で漫才が添え物であったが、その地位逆転に手を貸し、漫才師を優遇して上方落語の没落を加速させたのも吉本せいだった。

同書の著者である矢野は、せいが自身の生涯を振り返った記述には相互矛盾が多く、記憶を塗り替えようとしている形跡が見出せると指摘している。せいは夫・吉次郎の印象を「酒呑みのろくでなし」として喧伝し、事業成功の手柄をすべて独占しようとした。山崎豊子『花のれん』(新潮文庫)などのせいをモデルとした作品は、みなこのイメージを踏襲している(実際には吉次郎は有能な寄席経営者であったらしい)。

創業者神話に粉飾が行われるのはよくあることだが、このように功績の所在自体が夫婦間で不明瞭になっているのがおもしろい。吉本興業という会社が家族経営から出発したという起源がよく現れているように思うからだ。

現・吉本興業社長の大崎洋(崎は本来「大」の部分が「立」)は、そうした「家族の絆」の外からひょこりとやって来た異端児であり、社風に体がなじまなかったためか、入社以来ずっと外様の道を歩まされた。

常松裕明の日刊ゲンダイ連載を元とする単行本『笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語』(新潮文庫化に伴い『よしもと血風録 吉本興業社長・大崎洋物語』に改題)は、おそらくは聞き書きによる大崎の一代記である。ここで描かれる大崎の半生は「たらい回し」の連続であり、無責任なことを言わせてもらえれば、その落ち着かなさこそがおもしろい。

まず新入社員時代には木村政雄についてたった二人の東京連絡所詰めの社員となる。「営業所」ではなく「連絡所」なのは、独断専行を戒められ、走り使いに徹するように言われていたからだ。

しかし上司の木村はそんな本社の思惑などどこ吹く風で仕事を取りまくり、結果として「THE MANZAI」に端を発する漫才ブームに吉本芸人を多数送り込むことに成功する。木村はやすし・きよしのマネジャーを8年間務め、後に常務取締役として「ミスター吉本」とも呼ばれるようになる敏腕社員だ。この時期の大崎はまだ、その木村の下で使われる若手社員の一人に過ぎない。

大崎の運命が動き始めるのは、東京から大阪に呼び戻され、吉本総合芸能学院(NSC)の1982年開校時の担当社員となってからだ。ここで大崎は浜田雅功・松本人志と出会い、非公式ながら彼らのプロデュースを手がけるようになる。彼らを初めとするNSCのノーブランド芸人(先輩や師匠につくのではなく学院を出た芸人たちを、当時揶揄気味にこう呼んだ)を売り出すために2丁目劇場でのライブを企画、帯番組「4時ですよーだ」の放送枠を獲得して、ダウンタウンの売り出しに成功する。

だが、その成功の蜜の味わう間もなく、大崎は2丁目劇場を取り上げられ、今度は凋落の兆し著しい吉本新喜劇を任されてしまう。仕事を私物化するのは会社員のご法度ではあるが、これはいささかお気の毒である。

本書で特に興味深いのは「第四章 漂流篇」だ。新喜劇の再生を手がけてから再び東京に活動の場を移した大崎は、吉本興業にとっての未知のジャンルに足を踏み入れ、開拓しようとする。その手始めとなったのが大阪パフォーマンスドールをデビューさせての音楽ビジネス参入である。

大崎はそこで、いわゆる興行の世界とはまったく違う商慣習、利益分配の仕組みがあることに仰天する。なにしろ、「ギャラ」に当たる「歌唱印税」がわずかに1%しかないのだ。「断片的な事情は聞ける」が「ある地点まで行くと、その先はまるでブラック・ボックスのようになっており、現場で働くレコード会社の社員ですらハッキリ把握していない」のだという。

「なるほどなあ、全体像を把握してるのはホンマにトップの人たちだけなんや。道理で儲かるわけや。どのレコード会社も都内の一等地に広い敷地や自社ビルを持ってるし、ソニーなんか社員専用駐車場まであったもんなあ。吉本なんか、タレントが自前の車を仕事で使っても駐車場代をどっちが払うかでモメてるくらいやのに。それなりにリスクの高い投資もしてるんやろうけど、それでも音楽ビジネスって利益率がケタ違いなんやな」

この視点は王様が裸であることを指摘した子供のものだ。内部の人間だけでがっちりと手を握り合った音楽業界の体質は、2000年代以降には時勢に合わなくなり、新しい外部の動きをすべて「黒船」視し排除せんとする「攘夷」思想が高まっていくのだが、時代はまだ十年ほど早い。

大崎が試行錯誤しながら撒いたビジネスの種は、旧知の仲であるダウンタウンの周辺で芽吹き始める。すなわち、1994年のGEISHA GIRLS、1995年に浜田雅功が小室哲哉を迎えて結成したH Jungle with Tといった音楽ユニット活動、1994年の『遺書』(朝日新聞社)をはじめとする松本人志の著述活動である。松本の『遺書』に関して言えば、ここでも大崎は「業界の通例」という障壁と格闘することになる。どんな著者でも印税は1割、それが出版業界の大常識だ。

「ほな、出版社は九割も儲けはるわけですよね。この本、書いたのは松本やし、考えたんも松本やし、松本の本やから売れるんですよねえ。ふう~ん、そうですかあ。一生懸命本を書いたもんが一割で、あとは全部出版社の儲けになるんですか」

「誤解してもらっては困ります。九割の中には印刷代や製本代、運送費、取次や本屋さんの取り分が入っています。それに出版した本がすべて売れるわけがないので、そのリスクも考えなきゃいけません」

「そうですかあ。けど、唸りながらアイディア絞り出して原稿書いた松本がたったの一割とはなあ。ホンマは出版社さんが、ぎょうさん儲けてはるんでしょ?」

「大崎さん、冗談はやめてください。印税の割合は業界の通例です」

この調子でしんねりと交渉されては当時の担当者はたまったものではなかっただろう。念のために書いておけば、大崎が話している相手は何も間違ったことは言っていない(言っていないがその正しいはずのシステム自体にきしみが起き始めている、というのはみなさんもご存じの通り)。結局大崎は、松本の印税に上乗せ分を獲得し、「ある国民的作家」の14%という「特別中の特別」を超えた率で出版契約を行っている。そのことは当時業界で話題になったので、当事者の口から語られると興味深い。本書にはこのように、生々しいビジネスの「数字」が随所で明かされているというおもしろさもあるのだ。

覗き見的な関心でいえば次の「第5章 死闘篇」以降の記述がもっとも注目を集めるはずである。創業者の姻族一族を巻き込んだお家騒動や大崎自身も嫌疑をかけられた不正事件、エピローグに描かれる島田紳助引退騒動など、最近のスキャンダル的な話題はすべて網羅されており、大崎の視点から語れる限りの『深層』が綴られている。それは読んだ人のお楽しみとしたい。一つだけ言えるのは、ここで描かれる中田カウス像は痺れるほどにかっこいいということである。

ここまでこの連載は、芸談・芸能観を芸人自らが語った本を中心として扱ってきた。本書はそうした趣旨から外れるもののように見える。だが、脇からその芸人のありようを教えてくれる魅力的な参考書ではあるのだ。「箱根の山は越えられない」と言われてきた上方演芸の吉本興業がなぜ東京に進出し、全国化を成し遂げることができたか、という謎を解く鍵は、以下のような1990年代を回顧した大崎の述懐中にある。

吉本全国化計画は、僕にはどこか東京の文化に媚びているように見えていた。大阪にある笑いをそのまま東京に持っていっただけでは、いずれ飽きられるだけだ。七〇年代の演芸ブーム、八〇年代の漫才ブームも長くは続かなかった。せっかく新喜劇が火をつけた九〇年代の吉本ブームも、このままではいずれ下火になり、大阪の笑いはまた世の中の流れから取り残されかねない。「大阪の笑い」ではなく、最初から全国に通用するコンテンツ作りを目指すべきではないのか。そんな危機感を持っていたのだ。

吉本興業は「数や資本を頼んでテレビ局などに圧力をかけているから嫌い」と言う人がいる。急激に力をつけた勢力に対してはアンチが出てくるのは仕方のないことだが、単にその力を「ごり押し」と位置づけるのでは批判の知恵が足りないのではないか。他の有力芸能事務所についても同じようなことを言う人がいるが、それは要するに陰謀論であり、ルサンチマンの未熟な表明にすぎない。

大崎のこの著書は、明確な親殺しの本である。仕事上の師である木村政雄を始め多くの吉本興業の先輩が、大崎によって斬られている(東京支社長を務めた故・横澤彪も例外ではない)。大崎はそのような表現をとっていないが、彼らは前時代の遺物として退けられたのだ。音楽や出版、映像配信などの事業を手がけながら大崎は、新しい時代に即した会社として吉本興業を作り変えた。ビジネス書の体裁をとっていないので当然だが、吉本・林一族の家族会社という性格の色濃かった同社の体質を変えていくのか、という今後の戦略は書かれていない。それが本書に対して感じた、最大の不満である。

私は大阪人ではないのでその感覚がないのだが、新喜劇を初めとする笑いの文化を糧として成長してきた人々には、「ヨシモト」の名は我が身のように親しみやすく、愛すべきものとしてとらえられているはずだ。本書を読めば、その感覚をわずかなりとも共有することができる。

以下のやりとりは、大崎が当時専務だった林裕章と交わしたものだという。新事業開拓のため大崎は、東京に拠点となる仮の住居を持とうとし、林に許可を求めたのだが……。

「そらあかん! おまえはすぐオンナ連れ込むやろ! 絶対あかん」

「そんなん、絶対しませんから」

「ほな、いまここで『女は連れ込まん』って一筆書け」

「書いたら行かせてくれます?」

「書いたらな」

「分かりました、書きます」

すげーな、おい!

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

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