芸人本書く列伝classic vol.30 高田純次『高田純次のチンケな自伝』

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

高田純次のチンケな自伝 適当男が真面目に語った“とんでも人生"

高田純次には一度だけ取材でお会いしたことがある。還暦を前に出した『適当論』が当たり、「適当」をタイトルに戴いた著書を連発していたときのころである。たしか『適当男のカルタ』(青山出版社)とCD「適当男のポルカ」が同時発売された記念で、雑誌の企画として大竹まことと対談してもらったのである。

その話の内容はほとんど忘れてしまったのだが、高田純次が何かを言ったときに大竹まことが「おまえなあ」と言って呆れ顔をしたことだけ覚えている。それほど良い呆れ顔であった。ただ、高田純次がそんなに適当だという印象は受けなかった。矢継ぎ早に言葉が出てくるのがいかにも売れているタレントらしいな、と思っただけである。

私にとっての高田純次のイメージは「ビートたけしのちょっと後ろで笑っている人」である。言うまでもなくこれは「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で作られたものだ。それ以前の高田純次といえば「笑ってる場合ですよ!」(まもなく終了する「笑っていいとも!」の前身番組)のコントコーナー、「日刊乾電池ニュース」に出てくる「やけに声がでかい人」というものだった。「高田純次は声がでかい」ということだけは強く印象に残ったのだが、コント自体については特に感想はない。

最新の著書『高田純次のチンケな自伝』(産経新聞出版)によれば、当初は「一度演じたニュースネタを「その時、江戸城では」といって、江戸時代に移して再現」するという回りくどい演出をしていたのだという。それがまったく受けなかったので当たり前の形に直したところコーナーの視聴率が上がり始め、東京乾電池もクビがつながったのである。

高田はこれまで自分の半生を振り返る本をいくつか出している。『高田純次のチンケな自伝』はその集大成となる著作だ。過去の本でもたびたび触れられてきた事実に、高田は3歳のときまでほとんど実母に会ったことがなかった、というものがある。母親が、おそらくは何かの重い病気のために入院していたからだ。唯一会ったのは病室で、母親はその後間もなく亡くなってしまったらしい。そのたった一度の面会について、過去の本の記述には相違がある。これは高田が「適当男」であるせいではなく、3歳のころの記憶だからだろう。そんな幼少期の記憶がしっかり残っていると主張する人がいたら、それこそ「適当」すぎる話である。

こうした具合に本書は、随所に過去の「適当伝説」を覆すような記述がある。「適当男」のレッテルは、あくまで商売の上の話だったというのだ。

実をいうと、オレは自分のことを適当な男だと思ったことはないし、ふだんの言動がそれほど適当だとも思っていない。むしろ「適切な男」って感じかな(笑)。

燃えたいと思った時には演劇を選んだし、地道に生きようと思った時にはサラリーマンになった。時間があれば、アルバイトでも必死に働いた。こんな適切な生き方はないだろ?

だから、マスコミの世界で、「適当男」が流通して、それがオレのキャラクターとして定着したのは、一方ですごく有り難かったけど、一方では迷惑だったな。

なぜかというと、なんにせよ「適当さ」が求められるから。ようするに、「適当」という型にはめられるわけだ。いちいち、適当にやるっていうのは、けっこう大変なんだよね。

各章の終わりに担当編集者や芸能記者が「高田純次」というタレントについて評した文章が挿入されているのだが、どれも過褒であったり、牽強付会であったりして違和感があることは否めない。結局、よくわからない芸人なのだ。そのわからなさを少し減らしてくれる便利なキーワードが「適当」だったのである。だからこそ誰もがそこに飛びついた。芸人を貶めているようで持ち上げる、便利な言葉だったからだ。本当のことを言えば高田が売れ、そして今日まで生き残ってきたのは単に「偶然」の結果だったはずである。

高田純次は典型的なテレビ芸人で、代表作といえるドラマ、舞台、映画などを残していない。あえて一つを選ぶとすれば、グロンサンの「五時から男」CMだろうし、番組で言えば「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」だろう。短い時間テレビに登場して高笑いを見せるという一瞬の「芸」が高田の持ちネタなのだ。そういう存在のタレント、芸人は高田以前にも以降にも出ているが、その中でテレビデビュー(巻末の年表によれば最初に出た番組はあの『笑点』だった)から四半世紀も経ってまだ生き残っている。「クイントリックス」のCMで還暦を過ぎてからもう一度売れた坊屋三郎、旅館の従業員だったのが特技で売れた「くしゃおじさん」のような存在だったはずなのに、このしぶとさだけは感嘆に値する。

こうして書くと期待させてしまうかもしれないが、本書を読んでも秘訣のようなことは特に書かれていない。本人は置かれた場所でがんばってきただけなのだろう、と思うほかはないのである。

「第3章 挫折、挫折の青春時代」によれば、小・中学校までは成績がよく「勉強ができる」という評判だった高田が初めてつまずいたのは高校受験のときだった。学区制が導入される前で人気の高かった都立国立高校を受けるも不合格、第二志望の都立府中高校に入学する。府中刑務所と道を一本隔てたところにある当時(1962年)の新設校で、少し後にすぐ近くで3億円事件が起きている。高田はここで特に勉強に励むわけでもなく、5つの同好会に入ってのびのびと過ごした。麻雀のときにうるさく喋るから、という理由でつけられたあだなが「国領のニワトリ」である。

そして3年後、今度は大学受験で軒並み失敗し、デザイナー学院に入る。「なんでもいいから卒業証書はもらえ」という父親の言いつけを守り、なんとか最後まで通い続けている。同期100人中卒業証書をもらえたのは高田を含めて4人という体たらくだったそうだ。

学院卒業後、劇団・自由劇場の研究生となり1年間所属、その後、演出家の森田雄三に誘われ、イッセー尾形らと劇団「うでくらべ」に参加する。同棲していた恋人(のちに結婚)の収入に頼ってなんとか生活はできていた。しかし森田演出とは合わなかった。ベケット劇を上演しても、客席からはなんの反応も返ってこないのだ。高田は芝居を辞め、定職に就くことを決意する。

今振り返れば、オレは初志貫徹とか、持続性という言葉とは無縁な男なのだと思う。気持ちが乗ると、どんどん突っ込んで行くけど、気持ちが乗らないと「こんなつまらないもの」「何やってんだろ」と思ってしまう。

いったんそう思うと、方向を転換するのは平気。ためらいもない。そういう意味では非常に自己肯定的なんだろうね。

その後高田は宝石鑑定士の資格をとり、デザイナーとして販売会社で働き始める。会社員生活はそれなりに順調だったが、30歳になった1977年夏に高田はまたしても人生の転機を迎える。好みの女性(巨乳でエッチぽい顔)を口説く目的で西新宿の「ボルガ」という居酒屋に立ち寄ったところ、かねてから面識があった柄本明とベンガルに出会ったのである。知り合いということで一緒に飲み始めたのが運のつきで、熱っぽく演劇について語る友人たちを見ているうちに、いけない虫が胸中にわいてくる。

燃えている彼らが妬ましく、自分がみじめに思えた。

周りの風景が急に色あせる、というのはああいうことをいうのだと思う。さっきまで、女を口説くぞと張り切っていた自分が急に恥ずかしくなり、巨乳も、はちきれんばかりのヒップも単なる肉の塊と化し、どうでもよくなった。飲み代とホテル代に当てようとしていた懐のカネもなんだか薄汚く感じられた。

そして1月後、高田は柄本たちから公演参加を頼まれ、酔ったはずみで承諾、ついでに会社を辞めて東京乾電池に入ることを決めてしまうのである。刹那的、衝動的としか言いようがない。貯金を頭金にしてそろそろ家を買おうか、という相談が夫婦の間では出てきていた時期だけに妻は呆れたが、結局は「仕方ないわ。でもわたしと子供を路頭に迷わせないでね」と首を縦に振ることになる。すでに高田が辞表を会社に出した後だったからだ。

幸いなことに東京乾電池は1978年から始めた渋谷ジァン・ジァン(閉場)公演でブレイクを果たし、劇団員たちにもテレビドラマ出演の依頼がくるほどの人気が出る。高田はその波に乗って、テレビタレントへの道を歩き始めるのである。

おそらく世の中には無数の高田純次がいるのである。夢を捨てて勤め人生活に入り、また夢を追って安定した生活を捨てる。広くとらえれば私だって、物書きで食っていくという願望を抑えこんで会社に入り、その思いが捨てきれずにライターとして独立したのだから似たようなものだ。

アメリカの作家ジェイムズ・サーバーは短編「ウォルター・ミティの秘密の生活」で、平凡な生活を送りながら夢想の中では万能のスーパーマンになりきっている中年男を描いた。これを映画にしたのがダニー・ケイ主演「虹を掴む男」であり、2013年3月現在、そのリメイクである「LIFE!」が公開されている。小林信彦がどこかで「高田純次主演で植木等『ニッポン無責任時代』をリメイクできるのではないか」と書いていたという記憶があるが(本書の中でも植木についての言及がある)、高田が演じるべきはこのウォルター・ミティだったのではないかという気がする。

ウォルター・ミティは自分の願望を夢想という形で叶えた。それを実行に移せてしまえたのが高田純次なのだ。稀有な幸運の持ち主であったと思う。高田の後ろには無数の高田純次の屍が築かれている。ウォルター・ミティであることにがまんできず、夢想から現実のほうへと一歩を踏み出してしまった「虹を掴みそこねた男」たちの死体も転がっている。そうした敗残者の上に一人、幸運児としての高田純次がいるのである。人々はそのことを認めたくないから彼を「適当男」の枠の中に押し込めようとするのだ。

高田純次がまじめに人生を語らず、あくまで「適当男」であり続けるのはそのためである。世の中に「適当男」がいてくれる。それは努力で勝ち取った称号ではなく、あくまで「適当」たる資質ゆえに天から与えられた立場なのである。そう考えることは世の高田純次候補、ウォルター・ミティたちを安堵させるだろう。高田純次の高笑いは地に平和をもたらす。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存