最近読んで最もおもしろかった芸人本は川戸貞吉『初代福助楽屋話』(冬青社)である。初代福助とは、六代目雷門助六の弟子であった人だ。たいへんな博打好きで、あの「隼の七」の異名をとった三代目桂三木助(故人)の朋友であった。関東大震災の後で東京の寄席が激減したため名古屋に去り、そこで地元芸人たちを束ねる立場として活躍した。若いころから女を貢がせる技に長けており、名古屋でも女房に旅館を経営させてその上がりで暮らしていたという話がある。昭和の名人と言われる八代目・桂文楽はたいへんな艶聞家だったというが、名古屋では福助の女房の旅館に泊まり、その女中に「お願いする」(同衾)のが常であった。うちの一人を「羽二重のような肌」と言って愛したが、そのうちに彼女が嫁入りしてしまってたいへんに落胆したそうである。そういうこともあって、文楽にはたいへんに可愛がられたそうである。
福助はこのように名古屋では知る人ぞ知る存在だったが、最晩年になって東京の寄席にも復帰し、落語ファンを喜ばせた。芸も落語家としての作法も大正のままで戦後になってからの変化とは無縁であったため、「落語会のシーラカンス」とも呼ばれたのである。『初代福助楽屋話』は助六や文楽、五代目柳亭左楽などの昭和の大看板の風聞だけではなく、戦前のしきたりをそのまま伝える重要な一次資料になっている。
その中にこういう描写がある。名古屋の興行師が東京から有名どころの落語家を呼んだのだが、看板の出し方をしくじった。寄席前の看板には落語界の香盤(序列)が反映されるしきたりであり、たとえば一枚看板というのは他の者とは別にその演者だけの看板が出るほどの位であることから来る尊称だ。ところがその興行師は、香盤ではずっと上の五代目古今亭今輔(故人)の名前を、おしまいの方に小さく書いてしまうというしくじりをしでかした。東京からやってきた今輔は、「あたしが噺家をやってるうちには二度とお宅へはまいりません。乞食になったらまいりますからよろしくお願いします」と紙に書いて、そのまま帰ってきてしまったのである。その興行師は同じしくじりで文楽を怒らせ、さらに福助をも激怒させたという。
それで思い出したことがあった。
2011年11月に家元・談志が亡くなった際、各メディアはある決まり文句でその業績の一面を表現した。後継者の育成について「志の輔、談春、志らくらの弟子を育て」と報じたのである(これに加えて談笑を入れる場合もあった)。世間的な知名度でいえばこれはやむをえない記述だろう。直弟子の真打を数えただけでも十指に余る談志一門の名を全部書き出していたらそれだけで行数が尽きてしまう。しかし、一部の演芸評論家までもこれに倣ったのはいただけなかった。しろうとならばともかく、落語界の香盤の厳しさを知るのであればせめて「生え抜きの一番弟子である土橋亭里う馬をはじめ」と頭に断るべきではなかったか。
問題のもう一つは、志の輔を筆頭弟子と勘違いさせるような描き方であったことだ。よく知られているように志の輔はまだ見習いのときに談志が落語協会を脱退したため、寄席修業を体験していない。つまり立川流創設以降の弟子だけが名前を挙げられ、それ以外の者は兄弟子であっても「ら」の中に押し込められてしまったのだ。作家として筆も立つ立川談四楼などは著書『談志が死んだ』(新潮社)の中で、「裸族ならぬら族の逆襲」と洒落て皮肉を飛ばしたものである。芸能記者などはその程度で、無知なものなのだ。
さて、今日取り上げたかったのはその「ら族」の一人の著書である。立川流創設以降の弟子の売れっ子は志の輔・談春・志らく・談笑が四天王ということになっているが、実力でそれを脅かす位置にいるのが生志・雲水、そして新しいことに取り組む勢いでは誰にも負けないのが談慶、というのが今は衆目が一致するところだろう。その談慶である。
(実はここが書きにくいところで、最後にも書くが私は談慶に落語会の定期開催を依頼している。身内褒めだと思われるのは心外なので、以下の文章では欠点は欠点として書くことをお約束して、先に進みたいと思う)
立川談慶は2013年に二冊目の著書である『大事なことはすべて立川談志に教わった』(KKベストセラーズ)を上梓した。本連載でも取り上げたが、同書は結構な評判にもなった。その理由は、落語家の自伝エッセイというべき内容でありながら、一般の勤め人向けのビジネス指南書としても読めるような体裁で書いたことに求められる。何べんドジを踏んでもくじけず立川談志という目標にしがみついていった談慶の姿勢には、下積み生活の長い勤め人のそれにも共通する部分が多く、共感を呼んだのである。
今回発表した『この一冊で仕事術が面白いほど身につく落語力』(KKロングセラーズ)はその路線を継承している。帯文に曰く「ビジネスに必要な「会話力」「交渉力」「接客力」「忍耐力」はすべて落語が教えてくれる」「天才立川談志に学んだ話し方のプロが伝承!!」。各大学の体育会出身者が企業戦士予備軍として就職面接では歓迎されるという説があるように(そして、それは私が人事部を経験した限りでは真実だったが)、「落語界の北朝鮮」と呼ばれる立川流で前座から真打まで勤め上げられた人材ならば、たしかにどこへ出しても恥ずかしくないだけの力はついているだろう。編集者はそれを期待して談慶に続篇の執筆を依頼したに違いない。
『落語力』は3部構成になっている。第1部「落語は、ビジネススキルをアップできる知恵の宝庫」は本書の基礎になる部分で、新旧のエピソードで落語がいかに会話や駆け引きなどの向上に役立つか、ということが書いてある。トップセールスの話法を談志のそれと比べ「顧客(観客)との信頼関係を築いてから本題に入ることが大事」と分析している点など興味深いが、落語ファンが興味を持つのは「談慶が談志の無茶ぶりをいかにして制御可能なものに変えて克服したか」という点だろう。この部分は現在前座として修行中の落語家にとっては必読といってもいい。すべて書いてネタバラシしてしまっては申し訳ないので箇条書き(本書はビジネス書らしく、箇条書きが多用されている)の項目だけ書いておこう。詳しい内容は実際に本で確認すること。
一、楽しい未来像を描く。
二、数値化してみる。
三、細分化してみる。
四、最悪の事態から想定してみる。
五、実践、そして途中検証。
以上である。最後のそれはビジネススキルの基本である「PLAN/DO/SEE」から取ったものだろう。
談慶は1965年に長野県で生まれ、慶應義塾大学に進んだ。談慶の慶はもちろん出身大学から取ったものであり、もちろん落語界初である。また、前座名のワコールは談志に入門する前の3年間同名の下着会社に勤務していたことからきている。第2部の「人生の目的は人脈づくりにある――実践的「人脈の作り方」」は、前著では触れなかったそのワコール時代を振り返った内容である。
小学生のころから落語家になることを夢見たという談慶だが、大学で落語研究会に入るも、現実的に会社員になる道を選択した。新入社員時代はこれでよかったのかという迷いが目の前にちらつくものだが、談慶の前には小学2年生の自分が現れ、痛い質問をぶつけてくる。本当の夢である落語を放棄したことについて――。
「(落語家に)なんでならなかったの?」
「景気がよくてさ。青臭い夢を追いかけるなんて言えなかったのさ」
「なんでも君は、まわりのせいにするんだね。そんなんで毎日楽しいかい?」
「いますぐ落語家になりたいと言ったって、サラリーマンも務まらないやつに、談志の弟子が務まるわけないだろ?」
あ、痛タタタタ、と思った人も多いのではないか。そう、そうやって人は自分自身に言い訳をし、言い訳をしたこと自体を忘れていくものなのだ。しかし談慶は自らの未来に明確な目標を設定する。3年間辛抱して会社生活のすべてを体験し、その経験を立川談志の弟子としてはばたくためのバネとして使おう、と決意したのである。そして、3年間と限られているからこその思い切りの良さで配属先である福岡で下着のルートセールスの仕事に打ち込み、やがて会社の中でも頭角を表してくる。同じ元会社員組として私にも覚えがあるが「いつかはこの会社を辞めるのだから、後先考えずにやりたいことをやろう」と思って目先の仕事に打ち込むようにすると、不思議といい結果も出るものだ。そうした経験が書かれているので、若い世代の読者は最初にまずこの第2部を読むのがいいと思う。いわば前座修業の前の、もう一つの修業期間が書かれているのである。
これを会社生活に当てはめてみるとおもしろい。人事の世界には「3日、3月、3年」という言葉があって、3日で思った世界との違いにびっくりして逃げ出す者、3月で社会人としての生活ができずに職場から脱落する者、といった具合に新人が辞めるタイミングがあると教えられる。3年というのは、配属先になじんだ新人が最初の異動を迎える時期で、その段階でも辞めてしまうケースは多いのである。3年で会社に見切りをつけてしまう者がいれば、その逆で、このままでは出世などできっこない、と自分の未来に絶望して辞める場合もある。現在、多くの落語家団体が前座修業を約3年以上と規定しているし、談慶自身も3年で会社員生活を卒業した。つまりこの本は、社会人としての最初の3年間をいかに実りあるものとして過ごすか、という点に特化した教材としても読めるのである。
憧れの談志一門に転じた談慶(当時はワコール)だったが、そこでは3年で自分自身の地歩を築くことができず、二つ目に昇進するまでに9年半という歳月を要している。その間の苦労話は前著にも書かれているとおりだが、ワコール社員時代の華々しい活躍と、前座ワコールとしての苦心の日々を並べて読むと、さらに発見があるはずだ。
前著と本書で落語ビジネス本という新しいジャンルを切り拓いた著者ではあるが、次にやるべきことは2つの修業期間における挫折と克服の過程を、ビジネス書ではなくもっと深い内省の形式で著すことではないのだろうか。二つのワコール時代を比べることにより、一般社会と落語社会の決定的な違い、そして落語という芸の本質が浮かび上がってくるのではないかという気がする。会社員と落語家の修業はどこが同じでどこが違ったのか。そして博打と女で渡世を乗り切ったかつての雷門福助のような生き方が、今の落語家にも可能なのか。それとも会社員と同じような常識を受け入れて生きなければならない面がやはりあるのか。それを私は読んでみたい、芸談として聴いてみたいと思う。
ちょっと脱線になるが、本書の内容について興味を持った方は、著者の前作だけではなく、中川淳一郎『夢、死ね 若者を殺す「自己実現」という罠』(星海社新書)を併読することをお薦めする。中川の著書は「夢」と「目標」を混同することの愚について書かれたもので、具体的な目標を立てて仕事をすることを積極的に勧める本でもある。おもしろいことに同書の中では「35歳限界説」が唱えられており、その年までに「プロのミュージシャンになる」などの目標を達成できなかったら、さっさと諦めて第二の人生に転じろ、と書かれている。実は、1965年生れで2001年に二つ目に昇進した談慶は、ぎりぎりのところでこの「35歳の限界」を逃れたことになるのだ。そう思いながら両方の本を読むと、これまたおもしろいのである。
さて、第1部を基礎理論、第2部が著者の経験談だとすれば、第3部「人生に役立つ「落語の底力」」は、落語のキャラクターの要素に着目した「各論」である。
落語の登場人物はいわゆるストックキャラクター(類型的人物)であり、その人でなければならないという人格を持っていることはほとんどない。たとえば実在の横綱が登場する「阿武松」のような噺でも、阿武松緑之助という人格はほとんど無視されて「大飯喰らいの相撲取り」という類型的なキャラクターが採用される。落語家はそうすることによって逆に、現実のどんな人間であっても共通項を持つような間口の広い人物描写を可能にしているのだ。だから「与太郎」から「常識転覆力」、「幇間持ち」から「会話継続力」を学べるというのは当然のことで、それぞれのキャラクターに託された類型、人間の持つ正の側面をわかりやすく解説していると思えばよい。
ちょっと物足りなく思ったのは、談慶の噺の特色である「本質把握」が十分に活かされていない点だ。談慶の噺の中には「井戸の茶碗」のように従来の演じ方を大きく変えたものがある。従来の「井戸の茶碗」は老浪人と若い藩士、そして中年の屑屋という三者三様の馬鹿とつくほどの正直者が居合わせてしまったために珍騒動が起きる、という図式を出ない演じ方だ。談慶は二人の武士の間に挟まって苦労する屑屋に焦点を当てることで対立項を明確にし、スラップスティックに近い世界を作り出す。にもかかわらずそこには、本来の噺に備わっていた「正直者が損をしない」美談の匂いがきちんと残されているのである。この「井戸の茶碗」を採り上げた項のタイトルは「『井戸の茶碗』の「屑屋の清兵衛」から学ぶ「バカ正直力」」なのだが、違うのではないか。談慶が自身の落語を通じて主張すべきポイントはそこではなく、たとえば同様の演出変更を行った『抜け雀』の宿屋の主とこの清兵衛を並べて「小人物論」とするところにある、という気がするのである。せっかく自身の落語には独自の解釈があるのに、それが反映されていないのはもどかしい。
それがよく発揮されている章もある。たとえば「「紺屋高尾の久蔵」に学ぶ「純情力」」の章で、吉原の高尾大夫に惚れた紺屋の職人が最後に恋愛を成就させてしまう噺を『電車男』と同型だ、と喝破し、「純情力」とは「まわりをその気にさせる願望実現力」である、と断定したのは傾聴に値する意見であると思う。こういった形で現実との接点を持つ落語論を、立川談慶は書けるはずなのである。
芸人本なのでおもしろいエピソードには事欠かないのだが、一切省略する。カンニング竹山や博多華丸大吉といった吉本興業の芸人との接点については第2部に詳しいのでこれも実際に読んでみていただきたい。
談慶はタップダンスや絵手紙などの多彩な落語以外の芸を持ち、ボディビルダーとしてもトレーニングを続けている(ベンチプレスで120kgを挙げられる落語家は他にいないだろう)。2013年には初めて文化庁主催の芸術祭に参加したが、このときはアカペラグループのINSPiと組んで落語の一部をコーラスでも表現するという得意芸のアカペラ落語を披露している。今年の10月には歌手の沢田知可子とのコラボレーション興行も予定しているそうだ(注:終了)。そうした具合に、隣接ジャンルや未知の領域への挑戦も意欲的に行っている落語家なのである。立川談志第1のテーゼであった「伝統を現代に」に、そうした形でアプローチしているのだ。上に書いたような注文も、この人ならばできてしまうのではないか。そういう期待が私にはある。どうだろう、談慶さん。これは無茶振りだろうか。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。