これは「水道橋博士のメルマ旬報」50号に書いたものらしい。50号で10回抜いたのか。意外とサボっている。最近はサボらずに毎号書いているのだが、当時は月2回連載なので少々疲れていたのではないかという気がする。この内容だと月1回がやはり適切なペースだ。
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月並ですが、「メルマ旬報」50号おめでとうございます。この連載は今回で40回ですか。ちょうど5回に1回サボったことになる。寄席で言うと10日公演のうち2回が代演というやつで、席亭からギリギリお叱りを受けない、という程度だ。本来は編集長から芸人本のお題をいただいて応える形で書く、という体で始まったのだが、最近は自由にやらせてもらっている。その分自分の趣味で落語関連本が多くなっているのはご愛嬌でお許し願いたい。どうぞ今後ともご贔屓に願います。
さて、時事の話題である。立川談志が亡くなって3年が経つ。その祥月命日にあたる11月21日から23日にかけ、今年も落語立川流の談志まつりが行われた。併せていくつかの発表があり、その1つが立川談春『赤めだか』(新潮社)のドラマ化という話題であった。
『赤めだか』には、高校を中退した17歳の少年が立川談志の下に入門し、談春という名前を貰い、1人の落語家として成長していく姿が描かれている。末尾は談春の大師匠、すなわち談志の師匠にあたる五代目柳家小さんが亡くなった後の一幕で締めくくられるのである。破門になった談志は小さんの葬儀には参列しなかった。しかしそれを悔いることなく、言うのである。「オレの心の中には、いつでも小さんがいる」と。
落語家の師弟の結びつきについて語られた本は多いが、『赤めだか』ほどの強さで心を揺さぶるものは他にない。それはやはり、談春が小さんを語ることが談志を語ることに通じ、また談志の小さんへの思慕が談春の師へのそれへと通じるという、三代にわたる紐帯を描く構図が同書にあるからであろう。上の世代から下へと、命脈と受け継がれていく芸と情愛の系譜が作品の背後に透けて見える。また、談春が談志を語る口調にも魅力があり、ぶっきらぼうに見えるほどそっけないのだが、語数が少ないからこそその一つひとつに精選された感情が詰め込まれていることが伝わってくる。
談志が亡くなった直後、談春は「文藝春秋」に「さようなら、立川談志」という一文を寄稿し、それ以来ぴたりと談志についての言葉を活字にするのを止めた。対照的に師への思いを口にし続けた志らくの著書によれば、「語らないこと」によって思いを形にするという行為なのであるという。能弁な服喪と沈黙の服喪、どちらも貫き通せば立派だと思うが、困ったのは談春が文章を発表しなくなったことである。折り目正しい古典の語り手としての声望が高く、他の仕事に時間を割くのが難しくなったのだろうし、『赤めだか』という「作品」によって語り尽くしたことに付言するのを潔しとしなかったのかもしれない。「さようなら、立川談志」は追悼文中の名文なのになかなか再録されないので、仕方なく雑誌のスクラップを保存しておくしかなかった。
ありがたいことにこのたび刊行された立川談春『談春 古往今来』(新潮社)にそれが収録されたのである。余計なことは言わないので、ぜひ読んでもらいたい。「師匠は多面体です。もっとはっきりいえば、観察できない」という適切な立川談志評や、至近距離に入ることを許された弟子ならではの体験談など、対象を全力で愛した人ならではの文章であり、見事なまでに的確に心を射抜かれる。余計なことは言わないので、と言いつつ誘惑に負けて引用してしまうが、「さようなら、立川談志」という題名の意味は以下の通りである。
ひとこと言うとしたら、「さようなら」。他にいいようがない。「がんばります」でも「ありがとうございます」でもない。「さようなら」。そう「さようなら」だ。「さようなら」って言える人は師匠と両親だけの気がする。カミさんや仲間だったら、「じゃあまた」だと思う。
この言葉選び、そしてこの間合い。これこそが落語家・立川談春の最大の武器なのだろう。同業者の証言によれば談春は天才的な耳を持つ人で、一度聞いただけで談志の口調そのままに落語を覚えてしまい、それを再現できる能力者なのだという。「落語ファン倶楽部」のインタビューだったかと思う談話で講談ネタの「小猿七之助」の肝として、力が入る言い立ての部分ではなく、その後に続く台詞にこそ語りの真価が問われるという意味のことを発言していたのを記憶している。居合いで言うところの抜刀後の残心のようなものだろうか。一見流しているかのように聞える部分まで含めて語調を保つことにより、聴衆の心の中に確固たる言葉のイメージを形成させるということではないかと思う。そうしたリズム、音楽的なセンスももちろん談春の大きな武器である。それらのおおもとに、前述した言葉のセンスという能力がある。
センスがいいというのは同時に、その言葉に愛着があるということでもある。言葉を道具として玩弄するのではなく、我が分身として心をこめる。「さようなら」についての文章でいえば、この中に談志の「オレの中には、いつでも小さんがいる」の影を見ることは無理筋ではないはずである。「いつでもそこにいる」存在だからこそ「さようなら」と言えるのだ。そしてさらに、これはうがちすぎと謗られる覚悟で書くが、ここには談志が盟友である志ん朝に贈った追悼の言葉「死んじゃったものは仕方ないじゃないか。いいときに死んだと思おうよ」も重ねられているように思う。「他にいいようがない」の一言に、故人を地上にはもういない人であると思い切り、自分は一人で生きていくという覚悟が籠められている。談志もまた志ん朝が死んだときに同じことを考えただろう。そのときの師の気持ちを、談春は自分の言葉に重ねたのではないだろうか。一つの言葉の中に時間の層がいくつも重ねられ、そのときどき、読み取る人の存在のそれぞれによって異なる意味が浮かびあがってくる。言葉のパロディとは、そうした形で複数の人生への接点を作るという行為なのである。
「さようなら、立川談志」に文字数を割きすぎた。『談春 古往今来』は、『赤めだか』からその名を知った層に対する配慮も行き届いた、立川談春ファンのための雑文集である。第1章、第2章が『赤めだか』以前、そして第三章、第四章が以降のもので、最近の文章は自ら書いたのではなく、インタビューが多くなっている。既出の立川談志についてのものと、その後を追うようにして亡くなった中村勘三郎、そして兄弟子・立川文都への追悼文を除いてはゴルフについて書いた短い文章「凝らずんばその道を得ず」があるだけで、後は聞き書きか、他人の筆になるものだ。追悼文は止むにやまれぬ事情で書いたのだろう。やはり今後、談春の文章を目にする機会はあまり無さそうだ。
そのうち、文都に捧げられた「水紋」が『赤めだか』で談春の存在を知ったファンならば必読である。「赤めだか」とは談志の練馬宅で金魚たちに駆け出しの落語家であった自分たちをなぞらえた言葉であり、立川ボーイズの一員であった朝寝坊のらくこと前座名談々、立川文都こと前座名関西、談春、彼に遅れること数日で弟子入りした談秋の4名のことを指す。このうち談秋は前座の段階で廃業し、のらくは二つ目になった後でやはり廃業して早世、文都も49歳で胃癌のために亡くなって、今では談春1人しか斯界には残っていない。兄弟子を悼むと同時に過ぎ去った青春期にも思いを馳せる、これまたいい文章である。
顔を見た。
その途端に感情が全て止まったような気がした。悲しみも哀れみも過去も未来も思い出も必死で堪えていた涙も全て停止した。
はっきりと口に出して、「仕様が無いね」と言った。隣りにいた立川雲水がギョッとした顔をした。
僕は何も捧げることができない。
ここにもやはり談志が顔を出している。「死んじゃったものは仕方ないじゃないか」なのである。
第一部、第二部の『赤めだか』以前の文章では、「笑芸人」2005年4月号に寄稿された「春宵一席。立川談春書き下ろし申し候。」は、談春が珍しく芸談を正面から語っていて興味深い。といっても酒場の雑談の形になっており、ビートたけしの鬼瓦権造を思わせる男が若手落語家に絡むという趣向だ。古典を巧く見せることを第一の目的とする作品派よりも自分自身の個性を売る自分派の落語家に注目が集まる時代だからこそあえて逆の道を行くという手がある、という競艇で度胸を鍛えたギャンブラーならではの提言があり、おもしろい。次代の名人と目されることになった自身の立場を予言するような内容になっているからだ。
志ん朝みたいに、キレイで華やかで上手い芸人っていないんだろ。キレイな江戸言葉ったって、平成の時代の人間にそう感じさせる程度でいいけどよ、そういう芸人が、今売れてる奴等の間にはさまって、サラッと演ったら格好いいんじゃねェか。自分の言葉を押しつけないことが、自分の言葉ってどうだい? 面白いよな。
第三部以降では「ローリングストーン 日本版」2013年10月号に掲載されたロングインタビュー「煙たい男」がいい。タイトルが示すように「煙たい男」へのインタビューということでスタジオ撮影も特別に許可をもらって喫煙の姿を撮ったのだが、それ以降の談話収録では禁煙のルールを守らなければいけない、と言い出したスタッフに対して「撮影に必要な許可は取ったが、それ以外はこちらに協力しろという態度は許せない」と談春が叱ったのである。一見きつい言葉に見えるが、言葉を重ねていくうちにその真意は明らかになっていく。その過程をドキュメンタリーとして見せるやり方はまさに「ローリングストーン」のお家芸であり、インタビューアであるジョー横溝の筆力が光っている。
「今の人は皆『ありがとうございます』って言わなきゃいけないところで、『すいませんでした』って言う。『何がすまねえんだ、この野郎!』って言われた経験がないから、皆、『すいません』って言うんだ。俺は絶対に言わないよ。それは全面降伏に等しい。どう思いますか? とはきくよ。わかってくれとは言ってるけど、反論があるなら伺います。反論してくれれば会話が続いていくんだから。そのために言葉があるんだから。(後略)」
同じインタビューの中で談春は、談志が遺した「落語を下手にやる」という言葉の解釈も試みている。自分が思うこと、考えていることを惜しまずに出す。ただしその出し方は手をとり足をとりといった形ではなく、投げつけるようなぶっきらぼうさである。それが、弟弟子の志らくが言うところの「態度が乱暴なのでとても怖いが実は親切」な談春なのである。なるほど、親切だ。
本書に横溢しているもう一つの要素がこの「親切」で、決してわかりやすい言い回しではないが、丹念に読んでいけば立川談春という人の人柄、芸の性格が理解できるような内容になっている。巻末には単独公演における全演目も収録されており、この芸人を知る上では欠かせない1冊となった。強くお薦めする次第。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。