年始に青春18きっぷを四日間分使うあてができた。残る一日分を何に充てるかを考えて、まだ行ったことがない古本屋を訪ねる「だけ」に使うことに決めた。行く先は福島県いわき市である。
時刻表で調べると、二十三区内からは二回の乗り換えで行ける。新橋駅から十時四十二分発の上野東京ライン勝田行きに乗ると水戸駅発十二時十分のいわき駅行きに接続できる。これが十三時三十七分着である。おお、楽勝だ。合計三時間の乗車になるので本を三冊準備して出発した。
かなり早めに新橋駅に着いたので、コーヒーを飲んでから地下ホームに下りたのだが、どうも雲行きがおかしい。たしかに十時四十二分はあるのだが、行く先が勝田ではなくて成田空港になっているのだ。これは危ないかもしれないと判断して一つ先の東京駅に進んだ。八番線で十時四十六分発の勝田行きを待っていると、七番線に同二十六分発の土浦行きが。これに乗ると、土浦には十一時四十四分に着く。元々乗る予定だった列車は十二時四分発だから、二十分土浦駅に滞在できる。おお、華月軒に行けるじゃん。
華月軒というのは土浦駅のホームにある立ち食いそば屋だ。二〇一八年の夏に、つちうら古書倶楽部に二回行っているのだが、そのときは入る機会がなかったのである。せっかくなので今回はそこで遅めの朝食というか、早めの昼食を摂らせてもらった。
このあと常磐線が遅れるハプニングがあったものの、たいして問題はなく無事にいわき駅に着いた。なので詳細は省略。いわき駅にはいくつか古本屋があったはずだが、そのうちの一つ、駅から少し離れたところにある野木書店は、知人で誰も入ったことがないという厳しい存在だ。いつ行っても開いてないのである。わざわざ行ってすかされるのも嫌なので、確実な阿武隈書房に的を絞ることにした。駅を西側に出てまっすぐ歩き、みずほ銀行の角を左折。そのままいくつか信号を越えると道の左側にある。
店頭に均一棚などはなく、派手な看板も設置されていないので、近づいてみないと古本屋だとはわからない。たぶん開店してからそんなに時間は経っていないはずで、もともとは別の用途の建物だったのだと思う。
店に入ると帳場の奥から「いらっしゃいませ」という男性の声がした。店内には壁際以外に三つの棚列があり、いちばん右の奥は未整理の本が置かれている地帯らしい。その手前には写真集やCD、レコード、そして児童向け絵本など。この絵本の棚は書店の店頭によく置かれている、表紙を正面に向けて並べて本を挿すタイプのものだ。ぱっと見ると昔のアニメや特撮関係の絵本が並んでいる。手に取ってみるとかなり安い。思った値段の半額ぐらいである。思わず買いそうになったが、そこまで守備範囲を広げるとえらいことになるので、すんでのところで思いとどまった。その手前に出版文化に関するサブカルチャー本が主で置かれている棚。これを一目見ただけでセンスの良さがわかる。
縦に三本ある棚は、右から人文・社会学系の学術書が主の棚(この裏が未整理ゾーン)、真ん中が同じ社会学でも土地柄か原子力発電所関連など社会批評のものが多い棚、左が裏に幻想文学やオカルト関係、表に古い漫画も一部置かれた棚という並びである。この古い漫画にも心が動いたのだが、やはり自制。値付けを見るとこれもかなり安いので、心は揺れ動いたのだが。
その左側の棚の向こう、壁面は手前が社会主義関係や戦争、奥が郷土史関係が強い棚になっている。基本的に硬い系統の本が多く、小説はそれほど多くないのである。ミステリーなどはほとんどない。かなり誘惑に駆られた本がいくつかあったが、先日自宅の書棚を整理したばかりなので、せっかくとれた調和を乱すのはどうか、というブレーキが効いて馬鹿買いは控えることができた。探求書を発見したことはしたのだが、予算よりもゼロが二つ多い値段だったので、これも買わず。
唯一買ってしまったのが、堀辺正史『喧嘩芸骨法』(二見書房サラブックス)である。先年亡くなった骨法創始師範の著書で、アントニオ猪木が見返しの推薦文を書いている。堀辺師範の半生記であり、骨法のアジテーション本だが、内容は梶原一騎の影響が歴然とした『カラテ地獄変』ばりのファンタジーである、ということは知っていたのだが未読だったのでこの機会に買うことにする。自宅から片道四時間かけていわきまでやって来てこれを買うのもどうかとは思ったが、手頃な値段だったので。ちなみにオカルトの棚に置いてあった。店主はよくわかっていらっしゃる。
声をかけると男性ではなくて女性が出てきて会計をしてくださった。ご夫婦なのだろうか。野木書店のことを聞くと「開いたり閉まったりで、どうされているのか」と首を傾げておられたので、交流はないようである。
駅まで戻るとちょうどいい列車が一時間ぐらい来ない様子だったので、近辺を散策することにした。さきほど通ってきた、駅から真っ直ぐ伸びている通りの途中に「ひよこ」という立ち食いそば屋があったので入ってみることにする。見た雰囲気では、チェーン系でもなさそうで、地方都市のこういうお店は貴重なのだ。
カウンターの向こうにはマスクをしたご婦人がいて、「寒いですね、今日は風もあって」というようなことを地元の言葉で話しかけてくれた。初めての店ではたぬきそばと決めているので、お願いする。
壁に朝日新聞の切り抜きが貼ってあり、この店が十一月にできたばかりだということがわかる。もともとそば八という店があったが、区画整理で三月に閉じてしまった。その後、地元の人の間で「やはりそば屋がないと小腹が空いたときに困る」という声が上がり、そば八でずっと働いていたおばちゃんに店をやってくれないか、と頼んだのだそうだ。快諾され、ひよこが開店した。店で使っている天ぷらなどは元の業者から取っているので、そば八時代の味がそのまま再現されているのだとか。ちょっと色が薄めに見える汁はだしが効いていて、結構なものであった。立ち食いそばを呼び戻した地元の人も、それを受けてくれたおばちゃんも、両方えらい。拍手。
店を出ると、ひよこの一軒おいた隣のパン屋にちくわパンという見慣れない貼り紙があることに気づいたので、それをお土産代わりに買って帰った。『喧嘩芸骨法』を読みながら夜の常磐線。書いてある骨法の理論はどうなのか素人の自分にはわからないが、少なくとも読み物としてはたいへんにおもしろい。帰りは四時間半かかった。有意義な一日であった。