またもや休載が続いたあとの原稿らしい。その間の記憶があまりないので詳しくは書けない。
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二ヶ月のご無沙汰でした(宮田輝の声色で)。
いや、四号も休載してしまい、申し訳ありませんでした。その間、芸人本をまったく読んでいなかったわけではないのですが、なかなかタイミングが合わず。そのうち一冊は途中まで原稿を書きもしたのだけど、あまりのトンデモぶりに、これは他人様にお薦めするような内容ではないよう、と自粛したのでした(詳しくは、「珍書『談志 天才たる由縁』のここがひどいよ」http://go-livewire.com/blog/gesoku/?p=193 をご覧ください)。
その間落語会には足を運んでいたし、自分でプロデュースする落語会も開催していたのである。2月には以下のスケジュールで会を開いている(注:旧聞に属することなので略す)。
そんなわけで落語漬けの2月だったのだけど、今回取り上げるのはひさしぶりに吉本興業の芸人本である。本坊元児『プロレタリア芸人』(扶桑社)だ。著者は1978年生まれで、現在は水口靖一郎と組んで「ソラシド」というコンビを結成している。大阪NSC(吉本綜合芸能学院)20期生にあたり、同期には麒麟、アジアンなどがいる。
こうして書き出してみたが、実を言うと私はソラシドの舞台も、本坊が喋っているところも観たことがない。勉強の足りないことで恐縮である。しかしそれでも本書は十分に楽しめた。それがおもしろいところで、『プロレタリア芸人』には「芸」についての記述がほとんどないのである。全編ほぼ、生活費を稼ぐためのアルバイトの話ばかり。
芸人本には若いときの貧乏語りが付き物で、苦節○年を経てようやく売れ、という成功譚を楽しみに読者も本を手に取る。ところが本書の場合、そういうわかりやすいところには着地しないのである。積極的に後ろ向き。いや、本人にその意志はないのかもしれないが、貧乏に対して頑強に無抵抗主義(元児という名前は、ガンジーにちなんでつけられたものだという)。あまりにも独特すぎて、印象に残ってしまうのである。こんなに自己否定の激しい本を読んだのは、松野大介『芸人失格』(幻冬舎文庫)以来かもしれない。
本坊という姓は鹿児島県に多い。著者の父親もやはり鹿児島出身で、徹底的な亭主関白だったという。唯一といってもいい楽しみは深夜のオールナイトニッポンだったが、それを聴いている本坊の高笑いがうるさいと怒って、父親はブレーカーを落としてしまう。優しさや物分りの良さを表面に出すタイプの今風の男ではなかったのだろう。
2001年、本坊は水口とソラシドを結成し、大阪で活動を始める。しかし仕事は劇場のゴングショーばかりであり、そこから先にはなかなか進めなかった。ゴングショーというのはレギュラー出演を勝ち取るためのオーディションであり、それを通過しなければプロの芸人とは認められない。同期の麒麟やアジアンに遅れること1年、2003年にようやくレギュラーの座を勝ち取るのだが、周囲の若手たちはさらに先を見ていた。「M-1グランプリ」をはじめとする賞レースに次々と出場して結果を残していく。その中で2006年になると東京へと進出していく者も増えてきた。劇場の仲間を大事に思い、「この中で僕が一番初めに死にたいと思っています。誰かのお葬式には行きたくありません」とまで言う著者にとって、それは耐え難いことだった。
「みんな東京行ったらどうするんだ?」
川島君(麒麟)にそう聞かれ、僕は答えました。
「みんな東京行ったら、僕は辞める」
しかし結局辞めることはせず、ソラシドは東京進出を果たす。といっても仕事が入るあてなどないのだから、太平洋戦争中の日本陸軍くらい無謀な転戦である。大阪にいたころから本坊はアルバイトの収入で生活費を賄っていたが、上京後も事情は変わらない。ただし、なかなか新しい仕事を見つけることができなかった。
次に子供と楽しく過ごしたいと思いました。近所の学童保育員に応募します。きちんと履歴書に子供が大好きだという旨、記しました。面接されることもなく、履歴書と一緒に不採用の通知が届く。
ロリコンと思われたか。「三十二歳、子供が大好きです」だと。馬鹿か。そんなのあぶない奴に決まっている。
そう、もうそれほど若くないのである。一般企業への就職経験もない芸人には厳しい年齢だ。「行くも地獄、戻るも地獄」である。ついに本坊は日払いの肉体労働へ挑戦することになる。芸人をやっているのだから、突然バイトをすっぽかして仕事に行かなければならないときがあるかもしれない、それには日払いのほうが好都合、そんな風に理屈をつけながら本坊はその派遣会社「洋和ワークス」に登録する。日払い額は8千円。しかし、初期投資として建設現場で必要な道具、ヘルメット、安全靴、安全帯、作業着のセットを揃えなければいけない。セットで8千円。1日分の給料がそれでなくなるのである。事務所の人間は本坊に言う。
「このまま事務所を出て、渋谷の街をブラブラして五時間後、それでもまだやりたかったらまた来てください」
これは特攻なのか? 佐藤が続けます。
「今、その場しのぎで嫌かもしれないと思いながらサインして、明日来てくれないのは困るんです」
やり口が詐欺師だと思いました。監禁状態ではなく、いったん解放して考える時間を与えたという事実が必要だったのです。
5時間の逍遥の後に帰った本坊は早速翌日の仕事の説明(送り出し教育)を受ける。帰り道、百円ショップで買ったのは卵とミートボールである。この日から2年間、本坊は卵焼きとミートボールの弁当を食べ続けることになる。
こうして本坊元児の建設作業員生活が始まるのである。決して体が丈夫なほうではなく、むしろ「もやしっ子」の部類に入っていた本坊は、初めての肉体労働ということで最初こそ高揚感を覚えいていたが、すぐに現実の面倒くささを死ぬほど味わわされる。
新米にとっては、コミュニケーションのレベルから辛いことが待っている。古参作業員はなんでも符丁で話す。プライヤーはカラスで、手押し一輪車はネコ、モルタルを混ぜるコテのことはワンコだ。「ネコの上にワンコ載ってるから持ってきて」と言われてブレーメンの音楽隊のような情景を想像したらアウトなのである。また、特殊技能があるわけではないので、基本的に任される仕事は単純労働ばかりである。たとえばコンクリートをハツる(砕く)作業には、どんなに技術が進歩しても手作業で破片を運ばなければならない工程がある。それが本坊の仕事になる。「砂漠で砂を掃いている」ようにハツればハツるほどガラは出てくるのである。延々と、延々と続く。
ああ、嫌だなあ、と思うのが解体工事です。(中略)石膏ボードの粉塵や断熱材が宙を舞います。断熱材にはガラスの粒子があり、これが体に突き刺さり、痒くて痒くて発狂しそうになります。
このガラスを除くには、熱い風呂に浸かり毛穴が開くのを待つのが一番です。あるおばさんの先輩は、顔面に養生テープを貼り、毛穴パックのようにしてチクチクを取り除いていました。女性らしいなと思いました。
解体のときはみんな、強盗のような格好で、できるだけ全身を覆い隠します。解体の翌日には目から涙と石膏が出てきます。自分の体が心配です。
この生々しい身体感覚が、本書のいちばんの読みどころだ。読んでいて連想したのは『セメント樽の中の手紙』で有名な葉山嘉樹だが、タイトルの『プロレタリア芸人』もきっとそのへんからつけられたものだろう。
やがて本坊は先輩芸人の紹介で大工として働くようになる。単なるアルバイトから職人への昇格だが、芸に関係ないという点ではまったく同じである。仕事の現場は展示会や撮影所が多く、本坊は「いよいよ芸人の真裏の仕事に就いてしまったように」感じる。
「芸の肥やし」という言葉がある。「芸のためなら女房も泣かす」という謂いも同じで、要するになんでも人生で吸収できるものは芸に活かせる、ということだろう。しかし『プロレタリア芸人』を読んでいると、そういうことが言えるようになるのは余裕ができた後のことで、かつかつの生活を送っているときには一歩引いたような形で自分の人生を観察することなど不可能なのだと思い知らされる。蟻の視点で空を見上げることは難しいのだ。蟻は、自分が歩いている地べたを睨むことしかできない。その残酷さを、とことんまで描いた一冊であると思う。綺麗ごとの入る余地のない、リアリズムに徹した芸人本だ。
本坊自身が笑わせようとしているのか否かは定かではないが、奇妙な可笑しさが滲み出ている個所もある。たとえば本坊が二人一組で巨大なカウンターを運んでいたときの話である。傷をつけないようにそっと下ろしていくと、当たり前のことだが本坊の手が挟まってしまう。
「いたたたた!」
もう片方を持っていた大工さんは、下ろしてすぐどこかへ行ってしまいました。どうしたものかと困っていると、ほかの大工さんが助けてくれました。すっと手を抜くと、今度はその人が、
「いたたたた!」
と手が挟まっています。これはいけないと僕が持ち上げると、今度はまた僕の手が挟まります。これを三回ずつ繰り返しました。これはもう、諦めなあかんのか、と思いました。絶望的な荷下ろしでした。
まるでスラプスティック・コメディのようではないか。
彼の働く姿を撮影していた芸人仲間による記録映画が上映され、本坊は少し有名になりかける。しかし、たいして夢も希望も読者に抱かせることなく、「長々と、馬鹿みたいだ」という言葉を遺して『プロレタリア芸人』という本は幕を下ろす。繰り返すが、本書にはサクセス・ストーリーの要素はまったくなく、ただただ売れない芸人の、しかも芸とは一切関係のない肉体労働の日々が描かれているのみである。読書に手っ取り早い慰めを求めている人にこれが楽しめるかというと、難しいかもしれない。しかし、本坊元児という男が生きてきた現実のありようだけは、げっぷが出るほどに詰め込まれている。
それで十分なのである。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。