立川志ら乃という落語家がいる。落語立川流の真打で、志らく門下である。談志家元存命中に立川こしらと共に昇進を果たした。談志の生前では孫弟子で真打に昇進したのはこの二人だけだ。
こしらは突然落語家休業宣言をして伊豆で農業を始めたり、突然復帰したり、ingressを題材にした落語をやってその筋のファンを喜ばせたり、と行動が読めないのだが、志ら乃も一筋縄ではいかない弟弟子だ。談志家元はBコースとして各界の有名人を弟子にとり、高座名を授けて活動することを許した。それを見習ったわけではないだろうが、志ら乃も別業界の有名人と交流し、弟子として落語を教えている。もともとアイドルマニアで、アイドルに落語を教える企画などもやっていたので、その延長線上にある活動だろう。そうした弟子の中の有名人が、現在はASUKAの名前でWWE入りしたプロレスラー・華名だ。後楽園ホールで、華名のプロレス試合と志ら乃の落語のジョイントという想像しにくい興行にも挑戦している。関智一も志ら乃の弟子の一人だ。このたび放送が始まったTVアニメ「昭和元禄落語心中」の主人公・有楽亭与太郎を演じる声優である。
少し前にこの連載で立川吉笑『落語現在論』(毎日新聞出版)をとりあげた。その中で吉笑は、落語界に漫才やコントなど、他ジャンルの新人たちが多く弟子入りしてきていることに着目し、早晩落語の徒弟制度が危機に瀕し、弟子入りという過程を踏まずともデビューが可能になった漫才のようになるだろうという問題提起をしたのである。
笑いの芸人だけではなく、きちんと演技の勉強をしてきた役者が高座に上がり落語家として振る舞ったならば、おそらく一般客には本職と見分けがつかない。それどころか、それがプロかアマチュア(落語家としては)か、という判断など棚上げしてその芸のみを歓迎するだろう。現に風間壮夫など、「落語」の公演を定期的に開き、多くの観客を集めている役者は存在する。
なくなった小沢昭一は、落語家に憧れながらも伝統の重みを前にその道を断念し、俳優になったという。柳家小三治が三顧の礼をとって迎え、新宿末廣亭への出演が実現したが、そのときも漫談の形式であり、落語は演じなかった(『小沢昭一的末廣亭十夜』講談社)。これは小沢に落語家の世界と寄席という舞台への畏怖があったからこその出来事なのであって、もっと若い世代にはそんな遠慮はないだろう。もし席亭が踏み切れば、都内の定席にプロの落語家ではない芸達者が上がる日はそう遠くないはずである。それを良しとするか否かは、演者側だけではなく、観客の側の問題でもある。
関智一が志ら乃から落語を教えてもらっていると聞いたとき、きっと達者だろう、と思った。拙いわけがない。声の演技という点でいえば、声優は落語家にひけをとらないプロである。動く絵という要素があるゆえ、声優は後景に退き、役柄に合わせた芝居をする。だが、そこに絵がなかったらどうなるか。演じるべきキャラクターがいなければ、声でそれを現出させるだけだろう。舞台として演じるのであれば、さらにビジュアルとしての身体が必要となるが、それにしても声という最も大事な要素は満たされるはずだ。「昭和元禄落語心中」の第1話を、私はそのことを念頭に置きながら観た。
結論から言えば、関智一の芝居は十分に巧かったが、落語としては水準点に達しなかった。これは、関が演じたのが未熟な前座の有楽亭与太郎だったからである。前座というのは未熟なものだからこれは同語反復か。つまり、前座としてもまだまだ拙いという意味である。第1話で関は与太郎として「出来心」という噺を演じた。前座で、しかも訳があって稽古が足りていないという設定なのだから、十二分に巧くやってはいけないのだ。だから関は、六分くらいの力量で「出来心」を語ったのではないかと思われる。芝居が十分に巧かったというのはそういう意味だ。
落語が水準点に達しなかった、というのはその要素と、もう一つ動画のほうにも理由がある。画面に映し出された与太郎は、動くのだ。アニメだから動くのは当たり前だが、それが過ぎるのである。かみしもに首を振るのは当然として、上体がそよぐ。そして不必要なときに首がかしぐ。目が泳ぐ。これはアニメの演出上の必然だろう。ずっと同じ姿勢で演者がいるのを映し出せば、アニメとしてはつまらなくなる。時に応じて観客席も映す必要がある。アップにして、焦る与太郎の首筋をとらえ、そこを流れる汗も見せたくなる。しかしそうやってカメラが動けば、落語の世界は遠ざかっていく。テレビの前の観客の想像力が薄らぐからだ。これは仕方のないことで、TVアニメにしては異例なほどに動きを抑え、煽らずに一つの落語を見せてくれていた。水準点には達しなかったと書いたが、それは生身の演者と比べての話で、それを動画に移したものとしてはもちろん合格点をはるかに超えている。
だからこそ思うのである。アニメの与太郎の代わりに関の身体があったら、もしくは落語家の扮装をした無言劇の役者がそこにいたら、関の語る「出来心」はどのように見えていたのだろうかと。『現在落語論』を読んで立川吉笑に共感した者は、絶対にTVアニメ「昭和元禄落語心中」を観なければならない。吉笑が言及していない問題が、そこから見えてくるからだ。
ここで「昭和元禄落語心中」のことについても触れておきたい。原作は雲田はるこの同題漫画で、すでに8巻が刊行されている。2月5日には9巻が発売開始になる予定だ。
物語は昭和50年代頃に始まった。現在は昭和から平成へと年号が移るころの話になっているが、その間に一度長い回想が挟まり、戦前から戦後にかけてのエピソードが入っている。これは与太郎ではなく、その師匠である八代目有楽亭八雲の物語である。
簡単にあらすじと人間関係を整理しておく。主人公の与太郎は元三下ヤクザで、入所中に慰問で来た八雲の芸に惚れこみ、押しかけ弟子になったのである。その顛末を語るのが「与太郎放浪編」で、長い回想となる「八雲と助六編」では八雲が、今はこの世の人ではないライバル・助六との因縁を語ることになる。二人は同日同刻に先代八雲に弟子入りを果たした間柄だった。八雲が菊比古、助六が初太郎と名乗っていた前座時代には初太郎のほうが人気も実力も上で、菊比古の八雲は劣等感にさいなまれていた。しかし真打昇進後、助六と改名した初太郎はその破天荒な振る舞いが災いし、師匠から破門されてしまう。残酷なことに、それと引き換えに八雲は芸神に見出され、別人のように成長していくのである。この二人の関係性が、与太郎の世代にも影響を与えることになる。
『昭和元禄落語心中』は、「落語は師匠から弟子へと受け継がれる芸である」「芸人の常識は一般人とはかけ離れた、閉じた世界を形成している」という2つのことを、先代八雲と当代八雲、故・助六、主人公の与太郎という4人の落語家を通じて描く作品だ。最近はそこに「伝統芸として受け継がれてきた落語は、そろそろ終焉を迎えようとしているのではないか」という問題提起が浮上してきている。当代八雲が老い、自らの芸を手放さなければならない時期が迫ってきているからだ。与太郎が踏みとどまり、その流れを自分で押し留めようとしている、というのが「八雲と助六編」に続く「助六再び編」だ。つまりは立川談志が『現代落語論』で提唱した「伝統を現代に」である。『昭和元禄落語心中』もまた、談志家元の主張した落語論の延長線上にある作品なのだ。
推測するに作者の雲田はるこは、連載開始当初はあまり落語(特に東京落語)の知識がない状態で作品を描き始めたのではないか。それは別に悪いことではない。ちばてつやがボクシングのルールすら知らずに『あしたのジョー』を書いたように、物語のおもしろさが現実を超え、まったく別の世界観を成立させることもあるからだ。しかし雲田は途中で大きく軌道修正を行った。「八雲と助六編」までは、昭和の落語家といってもこんなことはありえなかったのではないか、というようなことがしばしば描かれていたのだが、「助六再び編」からはそれも極端に減少している。その結果、落語という芸がもっとも下火だった昭和末期から平成にかけての時期と作品の世界観が巧く合致し、廃れゆく芸の灯を消さないように奮闘する落語家の姿が浮かび上がるという絵図に絶妙な具合で舞台が合致してきたのである。ゆえに、現在の『昭和元禄落語心中』は、落語好き、芸談好きの読者ならば誰が読んでも楽しめる。番外篇となるが、今回お薦めする所以だ。
ちなみに私が最初に引っ掛かったのは、作中に有楽亭助六という落語家が登場することを知ったときであった。落語の知識がある人なら、まずその名前は使わない。おそらく作者は、花川戸の助六からこの名を取ったのだろうが、落語界には雷門助六という名跡が存在し、九代目にあたる当代も現役なのである。亭号が違うとはいえ、現役の落語家と被るのは少し具合が悪い。しかも雷門助六は、雷門一門の総帥となる大きな名前なのだ。この名跡、私はもちろん間に合っていないが六代目が名人と呼ばれるような落語家だったらしい。七代目が大成せずに名前が小さくなったのを、当代の師匠である八代目が立て直した。
六代目・雷門助六の弟子に福助といった人がいる。関東大震災のあとで東京を離れ、名古屋に定着して暮らしていた。一時期は廃業していたが、やがて復帰し、晩年は東京に戻ってきて古い芸の形をそのまま伝える落語家として話題にもなっている。なにしろ桂文楽や古今亭志ん生と交友があり、文楽の名古屋滞在時には女の世話までしたという芸人なのだ。今名古屋を拠点として活動している雷門獅篭・幸福の二人は、元落語立川流の立川志加吾・談号だが、その師匠となった雷門小福は福助の弟子である。その破天荒な人生と芸談については演芸評論家の川戸貞吉が『初代福助楽屋話』(冬青社)としてまとめている。この本も抜群におもしろいので、機会があったらぜひ手に取っていただきたい。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。