この回で「水道橋博士のメルマ旬報」に「マツコイ・デラックス」というタイトルで連載されていた私の原稿は終わりになる。「メルマ旬報」がそれまでの月2回発行から本当の旬報化、すなわち月3回発行に変わった。それに伴い、原稿も月1回ペースで行くことになり、現行の「芸人本書く派列伝」というタイトルに変更されたのである。しばらく前に気づいてそのまま放置していたが、実は「芸人本書く列伝」は間違いで「派」が抜けている。次からは「派」をつけますので、どうぞよろしく。
「芸人本書く派列伝」になってからの原稿は、最初の数回が続きもののようになっているので、そこまでは一挙に掲載し、あとは週1回くらいのペースで公開していこうと思う。そうしないとすぐに現在の連載に追いついてしまうからだ。代わりに別の原稿を再掲していく予定なので、そちらもどうぞよろしくお願いします。
=================
わたくしごとになるが、自分にとっての2015年は毎月桃月庵白酒さんに会いに行く1年だった。電子雑誌の「文芸カドカワ」という媒体で「落語研究会ただいま女子部員募集中」というインタビュー連載をしていたからだ(後にKADOKAWAより『桃月庵白酒と落語十三夜』として書籍化)。落語のおもしろさを人に伝えるためには「噺」ではなく「落語家」の魅力を伝えたほうがいいという考えで始めた連載で、編集者に「この人にお願いしてください」と依頼したリストの筆頭が白酒だったのである(ここからは失礼して敬称略で書きます)。白酒が自分と同い年だということと、好きな映画にジョン・ベルーシ&ダン・エイクロインドの「ブルース・ブラザース」を挙げていたのがその理由だった。この人ならサブカルチャーと落語を接続する視点を与えてくれるのではないか、という閃きがあった。
結論から言えば、その思いは半分当たって半分外れた。詳しくは連載が本にまとまったときに書くつもりだが、桃月庵白酒は私が思っていた以上に落語という芸に対してひたむきな演者だったのである。サブカルの要素を差し挟む隙間もないほどに彼は落語について語ってくれた。これは嬉しい誤算であったと思う。
その白酒が事あるごとに口にしていたのが「疲れさせない芸」ということだった。「寄席はチームプレー」とも言っていた。つまり、楽しみに来てくれる客の肩を凝らせるような真似をさせないのが寄席芸人であり、3時間以上もの長丁場を聴かせるためには個々人が自己主張するだけでは駄目で連携が必要だということだろう。連載の最初は「芝浜」のお題から入ったのだが、白酒は「芝浜を20分台でやりたい。泣かせるのが目的じゃなくて、そんな話も世の中にはあるんだね、程度の噺でいい」と言ったのだった。実際にそういう芝浜を数日前に掛けてきたばかりだったという。
広瀬和生『「落語家」という生き方』(講談社)を読んでいたら、その白酒が芝浜と人情噺について語っているくだりに出くわした。
白酒 あ、『芝浜』は、もっと、うんと軽く、滑稽噺とは言わないまでも、なんか、軽~い漢字の、軽いというか、何でしょうね、重たくなく「人情噺の大作!」みたいな感じがないかな、とは思ってるところです。
(中略)
広瀬 人情噺をやることで、幅が広がるという……。
白酒 あるいはホントに、あ、こういうやり方もあるのかな、というのを思いついて、やりたくなる時もありますよ。それがたまたま人情噺だったりするかもしれない。別に、このネタをどうやろう、っていうのをずっと考えてるわけじゃないんで。例えば飲んでたり、こう話してても、急に『道灌』、こうしようかな、っていうのがふっと浮かんだりってこともありますからね。
この対談が収録されたのは2012年9月22日のことだ。私が芝浜について聞いたのは2014年末のこと。つまりそれから2年の間に「軽い」芝浜のやり方はこうではないか、という発見があったのだろう。落語が「芸」であるというのはそういうことで、演者は人間として日々成長する。それにつれて芸の内容も変わっていくはずで、そこに付き合うという楽しみ方がある。
広瀬和生は、現在進行形で物事を見るために生きている。ご存じのとおりヘヴィメタル専門誌「BURRN!」編集長として多忙なはずなのだが、それでも日々落語会や寄席に足を運び続けている。それは「現役」でいることの重要性を熟知しているからだ。
落語について初めて書いた本『この落語家を聴け!』(集英社文庫)で演芸ファンの間に広瀬の名は一気に広まった。以来広瀬は、「モーニング」連載をまとめた『この落語家をよろしく』(講談社)や「週刊ポスト」連載の『噺家のはなし』(小学館)など、ときどきの旬の落語家を紹介した著作を定期的に刊行している。本質的にレビュワーなのだろうと思う。「現場にいること」「鑑賞者として現役であること」を広瀬は非常に重視する。
自らも優れた演芸評論家である芸人のサンキュータツオが立川吉笑『現在落語論』(毎日新聞出版)、沢田一矢『まくらは落語をすくえるか』(筑摩書房)と並べて読むべき落語論として挙げた『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)にこういうくだりがある。少し長くなるが引用したい。
落語は月に数回程度しか観ない「演芸評論家」が落語を語ることもあり、それを一概に否定するものではないが、そういう場合は「現代落語の専門家としての意見ではない」ということを書き手自身が明確にしておかなければいけない。
例えば、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティの生きた時代の推理小説全般には非常に造詣が深いが、近年の作家によるミステリーはあまり余間図、特に日本の作家はほとんど読んだことがない、というような人物が、東野圭吾の数ある作品の中から「たまたま読んだ一冊」を論評したとする。「そういう人物の目にその作品がどう映ったか」という意味では興味深いが、書評としての正確さには欠けると言わざるを得ないだろう。
現代の落語全般を熟知していない書き手による現代落語の評論は、演芸評論家であろうが演劇評論家であろうが作家であろうが、「専門外のことについて書いている」という意味においては同じこと。落語における自分の守備範囲が「過去の文献の研究」だったり「昭和の名人まで」だったりする演芸評論家は、それをきちんと表明すべきだ。
この指摘は演芸だけではなくあらゆるジャンルに共通するものであり、姿勢を正される思いがする。同書にめぐりあって以来、幾度となく読み返しているくだりだ。
さて『「落語家」という生き方』は2010年の『この落語家に訊け!』(アスペクト)と同じインタビュー集だが、やや趣向が異なる。広瀬は東京・下北沢の北沢タウンホールで「この落語家を聴け!」という落語会を定期的に開催している。これは1人の演者による独演会なのだが、途中に広瀬によるロングインタビューが挟まる形式になっている。第1期が2012年から2013年、第2期が2014年から2015年に行われた。本書に登場しているのは、その両方に出演した落語家5人なのである。登場順に名前を挙げると柳家三三、春風亭一之輔、桃月庵白酒、三遊亭兼好、三遊亭白鳥である。兼好だけが円楽一門会で、残りの4人が落語協会の所属だが、これは偶然だろう。「この落語家を聴け!」には他の団体の落語家も出演している。
本書の特徴は、2回のインタビューを重ねることで、演者の気持ちがより克明にわかるようになっていることだ。柳家三三の回を見ると、2回のインタビューで言葉を変えつつも同じことを口にしていることに気づかされる。
三三 それが最近は、まず、登場人物が、たまたまその日、生まれて初めてその場面に遭遇して、たまたまこういう一言を発した後に、それを聞いた人がこう言った、それでたまたまそういう会話が続いて、気がついたらこういう噺になりました、と。噺の構造は、後で気がつきゃそうなっていた、っていう感じ。(中略)きちんと噺の構造を見せて、ほら、立派でしょ、っていう風にしたくなくなった。(後略)(2012年8月28日)
三三 そういう「笑う、笑わない」じゃなくて、落語の中の登場人物が、目の前にある事態に、ただただ自分なりに対処して、生きてる、っていうように喋るようになったんでしょうね、きっと。(2014年5月22日)
この発見のくだりは、かつて三三に対して欠点として指摘されていた部分を克服したものとして読むことができる。広瀬自身、2011年に三三に対してこう書いている。
かつての三三には「自分の言葉」が欠けていた。だから、口調のよさが必ずしも落語の面白さに結びつかないこともあった。だが、彼は今、独自の演出で「自分の落語」を確立させる段階に入ってきた。(『噺家のはなし』)
10年後、20年後に振り返ったとき、本書に収録されたインタビューは、その演者の方向性を予言するものとして改めて評価されることになるだろう。師匠小三治の落語に感化され、巧まざる人物演出や語りに開眼した三三、21人抜きの大抜擢で真打昇進を果たし人気落語家の仲間入りを果たした一之輔、肩の凝らない芸を追及することの重要さを強調した白酒、64歳までに引退したいと断言した兼好、新作派の旗頭としてその作法を開陳した白鳥。今後10年の落語界を牽引していくはずの才能の持ち主たちが、2010年代の初めにどんなことを語っていたかという証言集として重要な意味を持つ1冊だ。もちろんこの本から各演者の魅力に気づき、ファンになる読者が出てくるならばそれは素晴らしいことである。病膏肓に入ったマニアにも、初心者にも自信を持ってお薦めする次第。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。