この連載の前身にあたる「マツコイ・デラックス」の第2回で採り上げた本は、2012年に刊行されたビートきよしの『相方 ビートたけしとの幸福』(東方出版)だった。たけし・きよしの二人が出会ったのが浅草のストリップ劇場・フランス座であったことや、実は芸人としてはきよしの方が先輩で、たけしにコンビ結成を持ちかけたのも彼だったという事実など、その後トーク番組で繰り返されて世間に知れるようになった情報のいくつかは、同書が初出だったと記憶している。また、二人の共通の師匠は伝説の芸人と言われる深見千三郎だが、なぜか松鶴家千代若・千代菊やコロンビアトップ・ライト門下であると紹介されたこともあった。芸人の処世術としてやむなき事情があったのであり、『相方』ではそれについても言及されていた。貴重な証言を伝える一冊だったのである。
先月刊行されたビートきよし『もうひとつの浅草キッド』(双葉社)の内容は、ほぼ『相方』と重なる。「週刊大衆」連載を元に構成された本であり、巻末にはたけしとの対談も収録されている。
同じ内容だから読む必要はないか、というとそんなことはなく、芸能史に関心のある読者にとっては興味深い記述が多い本だ。最終的にツービートの「一人が異常なスピードで喋りまくり、もう一人がそれに合いの手を入れ続けるわんこそばのような漫才」にたどり着く二人だが、出発点はもちろんそうではなく、浅草芸人ならば誰もが経験したであろうネタで舞台を踏んでいたのである。まだたけしと出会う前、フランス座の前にロック座に上がっていたきよしが師匠・深見千三郎と組んで演じたコントについて、こんな記述がある。
当時、浅草のストリップ劇場では、代々浅草芸人の間で受け継がれてきた伝統のコントを演っていた。深見師匠が独り芝居でコントを演じてみせてくれたり、舞台を見て自分で覚えたり、オレ(きよし)もそうやってコントを覚えていった。
「川の氾濫のコント」「中気のコント」「泥棒のコント」「乞食のコント」「ポン引きのコント」「痴漢のコント」……中でもオレがすきだったのが”日本三大名作コント”と言われてる「仁丹」(他の2つは「天丼」と「ハンカチ」というコント)。ストリップ劇場では女の子(踊り子さん)を裸にするような下ネタコントが多いけど、この「仁丹」は女の裸が出てこない。かっぱらい2人と警官のコントで、警官がツッコミ役。女のハンドバッグをかっぱらってきた2人と、警官の掛け合いネタで、警官が2人を取り調べる。(後略)
おそらくこうしたコントのいくつかは、戦前のアチャラカに起源があるのだろうが、今では作者の名前もわからないこうしたネタが、踊り子の裸目当てで来る客たちの前で繰り返し演じられてきたわけである。
やがてロック座が経営不振で人手に渡ったことから深見ときよしはフランス座に上がるようになる。フランス座はもともと別の場所にあったが、その時点では浅草演芸ホールの上階に移っていた。たけしこと北野武もそこに流れ着き、エレベーターボーイの仕事をしているときにきよしと知り合うことになる。
やがてきよしはフランス座を辞め、陰気な顔の青年を引き抜いて漫才コンビを組む。最初のコンビ名は「松鶴家二郎次郎」、その名前で名古屋の大須演芸場で初舞台を踏むのである。実はその名前は、きよしと別の人物とのコンビ名だった。大須演芸場で出番が決まっていたが、その人物が抜けてしまっために旧知のたけしを登用したのである。最初にかけたのは、やはり昔風の「国定忠治」ネタだった。
まずオレ(きよし)が忠治の名ゼリフ。
「雁が鳴いて南の空に飛んでいか~」
「……」
黙ってる相方にオレがツッコむ。
「ダメだよ、黙ってちゃ。お前は浅太郎なんだから」
そう言うと相方が、
「もう晩なんですけど」
「バカヤロー、名前が浅太郎っていうんだよ!」
……っていう古臭いオチ。
ここから交通標語ネタ、ブスいじめ、山形差別の毒ガス漫才までにはかなりの距離がある。結成から約8年、鳴かず飛ばずの期間を二人は過ごすのだが、それは決して平坦なものではなかった。先が見えない生活の中でたけしが荒れ、共演者に嫌われるような言動を繰り返したり、舞台をすっぽかしたりするようになるからだ。それでもきよしは決して見限ることはなく、周囲の者から相方を庇い続けた。たけしがとった破天荒な行動についてはぜひ本書を読んで確かめていただきたいが、その長い年月を辛抱し続けたというのがきよしの芸人としての胆力、たけしという才能を見出した眼力の正しさを証明している。
自分が前に出るのではなくコンビが売れることを第一に考える、相方のおもしろさがどうやれば観客に伝わるかを常に優先するという引きの芸が見事である。その結果生まれたのが、あのツービートの舞台だった。
たけし 「何だ、それ!?」で笑っちゃって笑っちゃって。「ディチャーチン!」とかやったら喜んじゃって。
きよし いきなりなんだもん、だって。
たけし きよしさんが笑いだして、最初マイクセンターでやってたのに、だんだん俺がマイクの前に立っちゃって。きよしさんが俺が肩越しにツッコんできて、「肩越しにツッコむんじゃないよ!」って。
きよし 笑っちゃうと止まんなくなっちゃうから(笑)。(巻末対談より)
言われてみればツービートの漫才で、笑って喋れなくなったきよしが観客に半ば背を向けてしまい、たけしにそれをつっこまれる、という場面を何度か見た記憶がある。漫才師が相方の言ったことに受けてしまう姿を見せることは今では別に珍しくないが、当時はやはり異常なことだったはずだ。ダウンタウンの松本人志が自分で自分の言ったことに受けて笑うスタイルなども、この延長線上にある。漫才を変えた芸人といって挙げられるコンビ名はいくつかあると思うが、ネタそのものよりもそこで生じた笑いを漫才師の身体が増幅させていくことで観客を巻き込んでいく演じ方は、ツービートが確立したものである。
『相方』のときにも書いたが、ツービートにはもう一つの特徴がある。いまだに解散していないことだ。MANZAIブームの主役たちの中には解散したり、片方がこの世を去ったりして現存しないコンビも存在する。小林信彦が指摘するように、全盛期でコンビを解消した後、かつての光を取り戻せた芸人は数えるほどしかいない。立川談志は若手のころの爆笑問題に「コンビは解散しないものだ」と諭したという。そういう意味ではツービートとは、もっともコンビとしての筋を通した芸人と言えるだろう。
マスメディアからは異端者扱いされていたツービートが、実はもっともコンビらしいコンビ、芸人らしい芸人であったことを、本書は証明するものである。売れなかったころ(上に書いたとおり、当時のネタは呆れるほどつまらない)を経て、いかにコンビが開花するに至ったかも克明に描かれており、サクセスストーリーとして受け止める読者も多いことだろう。しかしもっとも大事な点は、ツービートが狂い咲きといえる時期を経て、それで消費され尽くすことなく残ったという事実だ。本書の後半では、ブームの中でますます冷静になっていく二人の姿が描かれる。売れることだけが本当に芸人としての最終目標なのか、という問いかけが、そこでも必然的に浮かび上がってくるのである。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。