今回は番外篇。いろいろ落ち着かない時期に書いた原稿だということでお含みおき願いたい。落語会のことも書いているが、すべて終了しているのでご注意ください。
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つい先日、懇意にしていた翻訳者の横山啓明氏が亡くなった。癌で闘病中ということは知っていたが、堪える訃報だったのである。
その動揺が収まらないうちに、今度は大学の恩師が亡くなったとの知らせが舞い込んできた。こちらは突然の病だったとかで全く前兆もなく、さらに激しく落胆させられた。
穏やかならぬ心境で葬儀に参加した。焼香の順番を待ちながら、ぼんやりと会場の様子を眺めている。心の大半は哀しみに沈んでいるのだが、どこかに別のことを考えている自分がいる。次々に立ち上がり、遺族に黙礼して焼香台に立つ。その模様を見ながら、
――これ、もしかすると新作落語のネタにならないかな。
と、思ってしまったのだ。いや、不謹慎ですみません。しかし、どこかに笑いの要素を見出せる自分である限りは大丈夫だと私は考えている。どんなに悲しくとも、そのことを忘れてはいけないな、と改めて思った次第である。
悲しいといえば、国の未来を決める大事な参議院選挙の朝にこの原稿を書いている。これが配信される夜にはどんな気持ちで選挙結果を眺めているのだろう、と思いながら。まあ、明るい未来が実現することを祈りましょうよ。
というわけで今回は、番外篇なのである。とりあえず、自分の予定を書かせていただきたい。
もう発表してしまっていいと思うのだが、8月に桃月庵白酒さんのインタビュー本『白酒十三夜(仮)』(KADOKAWA)が出る。私にとっては初めての落語本で、電子雑誌「文芸カドカワ」連載の「落語研究会ただいま女性部員募集中」が元になっている。
かねてより、自分好みの落語入門本はできないものか、と思っていた。あまりお勉強の雰囲気がせず、でも読んでいると自然に落語とその周辺の知識が頭に入ってきて、なんとなく寄席や落語会に行きたくなる。そんな風に読み物としておもしろい落語本、というのが理想だったのである。
今回の本で、それができた気がする。
桃月庵白酒は落語協会で将来を嘱望されている若手真打の一人だ。10年後には間違いなくこのジャンルを背負う人材になっているはずである。落語入門本を作るにあたり、いちばんの近道はおもしろい落語家におもしろく落語のことを語ってもらうことだと考えた。同じ噺でも、不味い芸人がやればつまらなく、上手い者が演じれば飛び切りおもしろくなるのが落語の不思議である。桃月庵白酒は、間違いなく後者の部類に入る。大学を出て普通に就職するのが面倒臭かったので落語家になることにした、という了見がまず良く、笑いの素養として「サタデー・ナイト・ライブ」などのアメリカン・コメディなども活かされているという点も好ましい。芸人的身体を構成する要素の中に、他ジャンルや最新の文化的素養に接点を持つものが含まれているのである。
そういう人が語る芸談は、間違いなく落語ファン以外の心にも届くものと自負している。もちろん、マニアの琴線にも触れる話も満載である。視線や発声に関する技術論など、興味深く読めるはずだ。お盆の前後には書店に並ぶはずなので、ぜひご購入をお願い申し上げます。
私事をもう一つ。水道橋博士の紹介にも書いていただいているが、私は落語会のお手伝いもしている。今年の目玉は二つで、一つは「若いおじさんの会 中年の星争奪戦」、もう一つは「立川流兄弟会」である。
「若いおじさんの会」というのは、入門年数10年未満の「若手」で、かつ入門時年齢が33歳以上の「おじさん」二つ目が競演するという意味で、東京4派からそれぞれ1人ずつ、すなわち落語協会より柳家さん光(権太楼門下。ちなみに前座名はおじさんだった)、落語芸術協会より春風亭柳若(瀧川鯉昇門下)、五代目円楽一門会からは三遊亭鯛好(好楽門下)、落語立川流は立川寸志(談四楼門下)が参加している。この4人が総当り戦で対抗して覇権を争うのである。次回は7月18日の祝日夜で、さん光・鯛好が「いい女」をテーマにした落語で闘う予定だ(詳細→http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=103806165)。
なんでこんな会を思いついたのかというと、自分が渋好みだということもあるが、それだけではない。最近の落語ブームと呼ばれているものが神田松之丞(講釈師だけど、ほぼ落語といえる新作も手がける)や柳亭小痴楽など、若くていい男の演者にファンが集中するタイプの、どちらかと言えば狭い範囲で起きている現象だということについて考えた結果なのである。おじさんはおじさんで別に頑張っているよ、というのを見せたかったわけですね。今起きているブームはそのままで、別のところに熱源を作りたいのである。
もう一つの「立川流兄弟会」というのは、落語立川流の真打・立川談四楼を水先案内人にお願いして、同団体発足以前、つまり立川談志がまだ落語協会に在籍していた時代に入門した弟子たちの技芸をお見せする会である。7月27日夜が第1回で、立川流の代表である土橋亭里う馬、立川左談次、立川談四楼の3師が出演する(詳細→http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=102681742。なお、直前に左談次さんの癌が発見され、入院されたために二人会へと変更になった。ぜひ左談次さんにもご出演を、と快癒を願っていたのだが)。落語立川流の惣領弟子は桂文字助なのだが、現在はセミリタイアの状態なので、事実上はこの3人がトップということになる。
立川談志が亡くなったとき、新聞報道などでは「志の輔、志らく、談春らの弟子を育て」と、あたかもこの3人が弟子の一番上であるかのような記述がされた(談笑が入った場合もある)。彼らの上の世代にとってはおもしろいわけがなく、これを逆手に取って「われら〈ら族〉」などと自称して会を開いたこともあった。〈ら族〉とは「その他大勢の〈ら〉で括られた」という洒落である。この仕掛け、一過性のものにしておくのはもったいない。今回の落語会でもう一度火を点け、立川流の源流はどこにあるかを知らしめたいという意図である。私にとっては初の、100人を超える施設での落語会ということにもなる。これまた是非お運びの程をお願いしておきます。ちなみに昼夜2興行で、昼は柳家花緑の弟子である真打・台所おさん、二つ目・柳家花ん謝、柳家緑太、柳家圭花による「根津特選落語会」を予定しております(詳細→http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=103416696)。
こうやって書いてみると、ずいぶん落語に関することをするようになったものだ。もちろん本業というほどでもなく、演芸関連の仕事をしていると名乗ることさえおこがましいのだが、このジャンルの振興を後押しできるよう、一ファンとしてこれからも努力していく所存である。どうぞよろしくお願いします。
自分のことだけでは申し訳ないので、本の話も書いておく。
名古屋のラジオ局で、生放送中にパーソナリティがアシスタントの女性を殴打して怪我を負わせ、逮捕されるという事件が起きた。事件が起きるまで私は知らなかったのだが、ローカルでは非常に人気のあるタレントだそうなのである。
大阪に限らず、中京地区にはこうした人気の出方をするタレントが多いように思う。記憶にある限りでは、私がコント赤信号の名を知ったのも、名古屋在住の親戚宅に遊びにいった折に観たバラエティ番組だった。小学校低学年のころにつボイノリオが東京に進出してきて、数々のコメディソングをヒットさせた。子供心にあの人は名古屋のタレントなのだ、という思いがあり、かの地区に対する幻想を膨らませたものである。そうそう、関係はないが私の尊敬するとりいかずよし先生も愛知県の出身で、名作『トイレット博士』も当時としては珍しく中京圏が主舞台の漫画なのであった。
それはさておき、事件後気になったので『宮地佑紀生の天国と地獄』(クリタ舎)を読んでみたのである。宮地による自伝であり、両親からの影響や、多額の借金を作ったために起伏の多かった半生のことなどが綴られている。
宮地の母親は宗教熱心で、かつエキセントリックなほどに正義心が強かった人らしい。宮地が子供のころ、まだ貴重だった赤いウィンナーをつまみ食いしたことがある。それを問いつめられ、食べてない、と言い張ると、嘘を吐く子供に食わせるぐらいなら捨てたほうがましだ、と言って残りのウィンナーを全部犬にやってしまったという。一家の夕飯のおかずがなくなってしまい、呑気にウィンナーを食べている犬を宮地は恨めしく見つめることになった。
父親は工場経営者だったが、次第に左前になり、ついには倒産の憂き目を見てしまう。倒産の決まったその日が、ちょうど宮地の修学旅行の2週間前だった。旅費が払えず泣くことになるところを救ってくれたのは、今倒産したばかりの工場の従業員だったという。みんなで金を出し合い、宮地にくれたのだ。経営が悪化しながらも、決して給料を不払いにしなかった父親に感謝してのことだった。宮地が大学進学ができるか危なかったときも、父親は職人に頼んで金を借りてくれたというし、後に宮地がアクセサリー雑貨の店を開いたときには毎日電信柱の影に隠れて息子の様子を見守りに来た。まるで星飛雄馬の姉だが、それだけ息子のことが心配だったのだろう。宮地は、この父親の愛情によって守られて成人までの時を過ごした。
20代で出した店が当たって30代までに1億の資産ができた。しかし、バブル崩壊の波に飲み込まれ、40歳のときには逆に1億の借金を抱えてしまう。毎日自殺を考えるような日々を送り、そのために今でも、名古屋のどこの建物が飛び降りに適しているか全て知っているという。その苦境を救ってくれたのが、ラジオDJを始めたころに知り合った松山千春で、彼の番組に出してもらえたことが開運のきっかけとなったのである。もともと宮地がアクセサリー雑貨の店を成功させられたのも、その特異の喋り方が受けたためであった。
彼は初めて入ったスタジオで、しゃべりつづけ僕がもういいからストップというまで止まらなかった。後にも先にも、こういったタイプの新人はこの宮地佑紀生とまだ無名の時代の笑福亭鶴瓶の二人だけだった。(「デビュー前の宮地君」東海ラジオ・プロデューサー/塩瀬修充)
1億の借金ができたときに友人に死にたくなったと告白したら、その友人は7億円の借金があり、7回は死ぬことを考えたと逆に諭されたという。おそらく宮地は、他人の運に恵まれてきた人なのだろうということが、この本を読んでいるとわかってくる。本人の芸をまったく見たことがないので資質については何も言うことができないが、そうした人生の経験が役立っているのであろうと推察されるのだ。
彼の行為は許されないことである。また、芸人・タレントとして復活の芽があるか否かは現時点では判断できない。しかし社会人としての償いを済ませた後は、どうか人として再起してもらいたいと思う。そのときには、自著を読み返し、自分の人生の原点に立ち返ることも良い選択なのではないか。
たとえばスポーツ大会の種目がいくつかあって、三段跳びに出場するとしますよね。そうすると、三段跳びのスタートラインに立つわけじゃないですか。もしこの三段跳びに失敗しても、次に走り幅跳びという種目に出場してスタートラインを引けばいいんです。(中略)スタートラインというのは、心のラインだから、何度引き直してもいいんです。種目を変えればいいんです。気持ちの変え方が大事なんです。僕もそうだったから……。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。