ここが伝説の地である。
新宿区百人町、南北に延びる小滝橋通りと、東西に走る税務署通りとが、JR総武線の大久保駅の西側で交差する。その交差点の南東角近くに一軒の寿司屋がある。
近辺の歴史に関心のない人には単なる寿司屋にしか見えないだろう。
だが私の目には一つの幻影が浮かび上がっている。
寿司屋の隣に時代から取り残されたような古い建物が見える。寿司屋の隣、たしか左側だっただろうか。この寿司屋はかつて、鮮魚店を営んでいた。かなり年季の入った店だったが、その横に、さらに時代がかった書肆が在ったのだ。木製の引き戸を開けて入ると、左右と正面の壁面には天井までの書棚が据え付けられている。正面の壁半分は帳場になっていて、奥へ向かって声をかけると人の好さそうな老婦人が現れるのであった。といっても、前を通りがかっても開いていることは稀で、たいていはガラス窓の向こうにカーテンが引かれているのを確認し、今日も無駄足だった、この目で見たのだから仕方ない、と奇妙な納得感を抱いて帰途に就くことになるのであった。
それでも何度かは店に入ったことがあった。もちろん新刊書店ではないが、古本屋にしても本の雰囲気が違いすぎる。単に古いというだけではなく、本の背や角などに、使い込まれた道具のような風格を感じるのである。それもそのはずで、古本屋ではなく、ここは貸本屋なのであった。店名をピノキオ書房といった。
ピノキオ書房で本を買えるらしい。
そんな噂を聞いたのは世紀が変わる前、1990年代の半ば頃だったはずである。
同店が貸本屋であることは承知していたので、噂を聞いてすぐに、ありえない、と否定した。あの本は売っていないのである。なぜ断言できるかといえば、初めて店に入ったとき、どうしても欲しい本を見つけて店主と交渉し、断られていたからだ。
貸本屋で、お売りしていないんですよ。
物柔らかな口調ではあったが、はっきりと意思表示をされた。
ありえない。ピノキオ書房の本は買えないのである。
だが、そうではないと噂の伝聞者は言い張る。
彼によれば、本を売ったのは老婦人ではなく、店番をしていたその孫なのである。
おばあさんが用足しに出ている間、孫が留守番をしていた。そこにやってきた古本者が棚に目をつけ、古い本だけどこれだけ出すから売ってくれないか、と交渉し、譲り受けることに成功したのだという。
なるほど、それはありえないことではないだろう。
しかしそれは。
人としてやってはいけないことではないのか。
対価を払っているとは言うものの、店番を騙しているわけであって、押し売りならぬ押し買いではないか。
聞けば、その不埒な古本者というのは、私も名前を知らないわけではない人物なのであった。
話半分で聞いていたが、しばらく経って別のところでまた同じ噂を耳にした。今度は人が違っていた。また別の古本者が、押し買いの嫌疑をかけられていたのであった。
噂とはそういうものだろう。知り合いの知り合いに聞いた、というやつである。不名誉な客が毎回変わっているのは、たぶん差しさわりのない名前がそこに毎回当てはめられているのに違いない。会ったことはないが、あの人ならやりかねん。そういう人間が毎回濡れ衣を着せられていたわけである。
ことによると、私も一度か二度は押し買いにさせられていたかもしれぬ。
私が新宿に住んでいたのは1995年から8年間のことで、勤めていた会社にマンションの一室を借り上げてもらっていたのであった。そのころというのは、バブル経済が一段落した時期であって、新宿近辺には地上げが失敗した土地がところどころに残っており、木造の平屋が雑然と集まっていたかと思えば、すぐ隣が高層マンションになっているというような、不規則な区画があちこちにあった。散歩をしているとその変化が楽しかったのである。
ピノキオ書房が面している税務署通りは、今は区画整理が進んで立派な二車線道路になっているが、以前はそうではなく、街灯もあまりない淋しい道であった。ピノキオ書房からさらに西にいったところに古本屋が一軒あり、床に積み上がった雑書が店の歴史を物語る堆積物のように見えた。もちろん今はもうない。その店よりはピノキオ書房は小綺麗にしている印象があった。老婦人の店主がまめだったということもあるだろうが、貸本屋なので少しは本も動いていたのかしれない。動いていれば埃もそうは積もらないものだ。
その日が来たとき、偶然私はピノキオ書房を訪ねていた。中に入ることに成功した回数はごくわずかだったが、西新宿五丁目から大久保に抜ける道ではあったので、店の前は何度も通っていたのだろう。当時大久保駅前には町田に本店がある高原書店の支店があり、さらに新大久保まで足を延ばせば畸人堂百人町店、まだCCCグループに入る前のブックオフなどがあって、ちょっとした古本散歩が可能だった。
夕暮れのことであったと記憶している。
珍しくピノキオ書房が開いていた。
幸運を喜びつつ中に入ると、すぐに小さな違和感を覚えた。
目の前にある風景が、以前とは少し違っているという感覚を、どう言い表せばいいのだろうか。何度もコピーを重ねた挙句に粒子が粗くなってしまった風景画とでも言おうか。同じピノキオ書房だが、何かがおかしかったのである。
室内に風のそよぎのようなものがあった。以前は店舗の建物ごと時間が止まってしまい、額装された油絵の如く不動であったピノキオ書房が、である。
それとわかったのは、棚を見上げたときであった。うっすらと飴色がかった本の背によって埋め尽くされていた壁に、見慣れない木目が覗いていた。本が抜かれ、書棚の背板が見えていたのである。頭上に寒々しい感じを覚えるのは、本がなくなった分空気が動くからだろう。ピノキオ書房から、本が無くなり始めていた。
店を閉めることにしたんですよ。
帳場に姿を現わした店主が言った。
閉店されるんですか。
ええ。隣に魚屋があるでしょう。あれは息子がやっているんですけど、家にいてもすることがないんで、車で私、この店まで連れてきてもらってるんです。魚屋を閉めるとき、一緒に帰って。息子も、私が家で一人でいるよりは、隣にいてくれたほうが安心だ、と言うものですから。
でも、もうそろそろいいんじゃないか、という話になりましてね。
閉店が決まり、しばらく前から貸本業務は停止した。店の常連だった人が顔を出してくれるので、そういう人たちに、欲しい本があったら持って行ってもらっているのだという。
だから、あなたも、何か気になるものがあったらお持ちになってくださいな。古いから、汚い本ばかりでしょうけど。お嫌でなければ。
いいんでしょうか。
ええ、どうぞ。どうぞ。
老婦人は、にこやかに微笑みかけてくる。しばらく考えたが、ここでお断りしたら好意を無にすることになるだろうな、という気がした。常連でもないのに気が引けるが、これも何かの縁である。
「では、失礼して、靴を脱がせてもらいます」
宣言すると老婦人は、きょとんとした表情になって目を瞬かせた。
え、どうして、靴を。
「だって」
靴を脱ぎ、臨戦態勢を整えるのに忙しかったが、私はきちんと説明したのである。
「だってそうしないと、天井まで登れないじゃないですか」
見たところ店内に脚立のようなものはなかった。となれば登るしかないであろう。
天井近くの棚には、どう見ても昭和五十年代から誰も触っていないだろうという本が多数眠っていた。アナツバメは唾液腺からの分泌物を用いて岩壁に営巣する。それを命知らずの人間が獲りに行き、食材として持ち帰るのである。ピノキオ書房が歳月をかけて拵えた棚も古本者にとってはたまらない珍味であった。
それからほどなくしてピノキオ書房は閉店し、建物も取り壊された。