たけし軍団の芸人は早くテレビを捨てて寄席に出るべきではないか、と昔思っていた。
ビートたけしの命によってタップダンスを習わさせられている、などという噂を聞いたころだからかなり昔のことだと思う。
その考えが正しかったかどうかといえば、率直に言えば外れだった。テレビにすっかり定着した軍団員もいれば、政界進出を果たした剛の者もいて、思ったほど寄席には近づいてこなかったのだ。「お笑いウルトラクイズ」や「スーパージョッキー」などでリアクション芸なるものが市民権を得て、軍団の存在価値が長持ちしたことも原因に数えられる。
その中で完全に寄席芸人化して地歩を固めつつあるのがグレート義太夫だ。もともとギターの腕前を買われての軍団入りだったと思うが、その能力を存分に生かしている。浅草東洋館や木馬亭が似合う芸人になって、幅広い年齢層のお客さんを笑わせているのだ。同じ匂いを感じるのが松尾伴内である。今や「開運! なんでも鑑定団」は出張鑑定で松尾が出てくるのを楽しみに観ているといってもよくて、板の上で素人をいじらせると抜群の能力を発揮する。あれ以外のテレビなんかもう出なくていいから、漫談で寄席に出てもらえないだろうか。このメールマガジンの編集長である水道橋博士も師匠である立川梅春に落語の上でも弟子入りして梅性を名乗るそうなのだが、どうせなら寄席芸人化してしまえばいいのである。バラエティの枠が駄目だとは言わないが。片手間にやるには、落語はもったいない芸でありすぎる。
寄席芸人以外の芸能人が本格的に定席に出演した例で有名なのは、小沢昭一である。早稲田大学の落語研究会創設メンバーでもある小沢は、畏怖の念が強かったため、自身は寄席芸人になることができなかった。それが後に放浪芸の研究にもつながるわけだが、その抜群におもしろい漫談能力を買うと共に、寄席への強い憧憬が抜けていないことを見抜いた柳家小三治に誘われ、2005年6月下席の新宿末廣亭に十日間の出演を果たすのである。大入りになった末廣亭で小沢が披露したのはラジオの「小沢昭一的こころ」さながらの「随談」と郷愁を誘うハーモニカだった。そのときの意図を小三治は『小沢昭一的新宿末廣亭十夜』(講談社)の中で語っている。
高座の小沢さんは、まさしく小沢昭一その人でした。本人は寄席に合わせようとしていたのかもしれません。でも、私が聴くかぎりは、いつものようなわがままな小沢昭一がそこにいた。飾りっ気のまるでない、本心のままのあの人がいましたよ。そして人は何に感動するかというと、その本当の姿に感動するんだね。
「飾りっ気のまるでない、本心のまま」を見せろ、というのであれば、ぜひ今寄席に上がってもらいたいのが水道橋博士の相棒である玉袋筋太郎だ。俗に寄席文字というあのビラ字で書かれた玉袋筋太郎の看板を私は見てみたいですね。
そのときのネタを何にするかといえば、もうあれしかないだろう。「スナック漫談」だ。玉袋筋太郎は2013年に自ら社団法人日本スナック連盟を創設し、会長としてスナック文化の啓蒙に日々勤しんでいる。スナックの雰囲気をそのまま持ち込んだイベント「スナック玉ちゃん」の定期開催、「玉袋筋太郎のナイトスナッカーズ・リターン」(BS11)などのテレビ出演だけでは飽き足らず、ついには2017年2月に、東京・赤坂の実店舗「スナック玉ちゃん」を開くに至ったのである。地方に行けば必ず立ち寄るという玉袋のスナックに関する雑学は『スナックあるある』(講談社)としてもまとめられている。これを高座で披露すれば、居合わせたお客さんは間違いなく心を掴まれることだろう。高齢の方のためには自分たちの過ごしてきた昭和の青春の香りを蘇らせ、若年層に対してはスナックという魑魅魍魎の異世界の扉を開いて見せる抜群のネタである。
「ママの息子の朝食は前日の突き出し」(ママあるある)
「常連のおじいさんのグラスの中をよく見ると、なんだかわからない粒が浮遊している」(お客さんあるある)
「住宅地にある店のアルバイトレディは2駅離れたところから来る(アルバイトレディあるある)
などなど。あ、おじいさん客のグラスで浮いているのは、年を取って広がった歯の隙間に、ピーナッツなどの欠片が挟まるからですね。
もちろん知識だけではなく、本人がスナックの申し子だという歴史もある。玉袋筋太郎の故郷は、かつては角筈と呼ばれた新宿区の一帯で、現在の西新宿、北新宿といった地名の付近である。そこで玉袋の両親は雀荘を経営していたが(祖父が相場で儲けた金で、現在のヨドバシカメラ付近にビルを建てていたという)、それが左前になったために男性の同性愛者専用のスナックを開いた。思春期の玉袋にとってはそれが心の傷となり、長らく父親とは疎遠な時代が続いたのである。しかし高校の入学祝いや成人式などの節目に集うのはやはりそのスナック、そしていつかは自分が店を継ぐのかもしれないという予感もあった。
玉袋筋太郎の運命は、高校時代に追っかけをしていたビートたけしに弟子入りを許可され、内定していた会社を蹴ってたけし軍団(の三軍)入りすることで大きく変化する。そのへんのことは最近ちくま文庫になった『キッドのもと』に詳しいのだが、修業の一環として浅草のフランス座で住み込みで働いていたころは、そのオーナーが経営していたスナックでアルバイトをして生計を立てていたのである。つまりスナックの縁は不思議とつながったままだった。子供のころのような親密さを取り戻せないまま、結局父親は他界してしまう。玉袋が自分を育ててくれたのは誰だったか気づいたのは二年後、新宿二丁目のオカマスナックで、父親の店の常連だったママと出会った夜のことだったという。
そうした思い出を情感豊かに語ることができるのも玉袋の強みである。今のエピソードは新刊『スナックの歩き方』(イースト新書Q)から引用したのだが、前述の『キッドのもと』、そして自伝的小説『新宿スペースインベーダー』(新潮文庫)など、玉袋が芸人となった背景を語ったエピソードには新宿という都会で育った町っ子ゆえのディテール、見聞したサブカルチャーの豊かさがあり、かつ、バブルの時代に街が食い荒らされた結果としての故郷喪失者の影もある。これが芸人・玉袋筋太郎を支えている大きな柱なのだ。
玉袋がこうした方面の才能を開花させたきっかけは〈よりみちパン!セ〉の一冊として刊行された『男子のための人生のルール』だったように思う。理論社は後に倒産騒ぎを引き起こし、この叢書の著者にも印税未払いなどの不義理をするなど大変な事態になってしまうのだが、少なくとも本書と西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を出しただけでも叢書を創設した意味はあったというものである(現在はどちらも別の出版社から刊行中)。『男子のための人生のルール』は当時まだ十代だった玉袋の息子を意識して書かれた、これから大人になっていくための男の子と、その親たちのためのルールブックである。本当にいい言葉が詰まった本で、たとえば銭湯で親子が背中を流しあうことについては、こんな風に書かれている。
だってさ、人にしてあげてよ転ばれて、自分もしてもらって気持ちいいっていうのがさ、「背中を流す」ってことですごくシンプルに実感できるんだよ。もちろん、仲がいい友だちどうしでやってもいいけど、できれば、親も含めて「目上」の人の背中を流すのがいいかもな。「流しましょうか」「ありがたいねえ」っていう受け応えができるのがいいよ。そういう受け応えができるっていうのが、自分の自信になるよ。
そうした人同士の距離感の保ち方、肝心なときにどこまで踏み込んでよくて、相手の体(心)のどこなら触ってもいいか、という考えが結晶したものが、玉袋のスナック漫談だと思うのである。自分を大事にするように相手も大事にする、という町っ子のセンスが酒場の付き合いに反映されている、と言い換えてもいい。舞台はスナックだが、非常にダンディなのである。だからこそ板の上で披露される漫談に向いている。
新刊『スナックの歩き方』は玉袋が続けているスナック文化啓蒙のための本なのだが、この中の「スナックで遊ぶ」という第二章を読んでいて気が付いた。何かに似ているのである。たとえば、こんなくだり。スナックの常連について書かれた文章だ。
ところでスナックには、各お店それぞれに常連さんが醸し出す雰囲気というものが存在します。初めてのお店では、その調和を乱さないようにすることがたいせつです。常連さんたちが盛り上がっている話題にシラけた顔を見せたり、ママしか聞いていない自分の話のときだけ、大声になったりするなんてマナー違反です。
あれ、これ。寄席での振る舞い方によく似ている。
自分が追っかけている真打の高座しか眼中になくて、出番が終わるとさっさと席を立ったり。あるいはお目当ての芸人に「待ってました」の声をかけることだけが目的だったり。
そういう人を見るとたしかにいい気持ちはしないものである。私が寄席に初めて行ったのはまだ十代のころだったけど、興味ない芸人のときに退屈して遊んでいたら(まだ子供だったので)したら、おっかない爺さんにたしなめられたものだった。今にして思えば、あのとき真面目に観ておけばよかった芸人がたくさんいる。爺さんの言うことは聞くものだ。
それからこんなくだりも。
もし、あなたがいいスナックを見つけたら、次に友だちや後輩を誘って飲みに行ってほしいと思います。これをスナックのバトンタッチと呼びますが、これはおいおい自分に返ってくるものです。「この間、いいスナックに連れて行ってもらったから、今度は自分がお気に入りのお店に連れて行ってあげよう」とか。こうなったらしめたもので、どんどんいいお店を知ることができるようになるんです。「美女数珠つなぎ」ならぬ「スナック数珠つなぎ」ですね。
これは寄席というよりも地域寄席や独演会などにも当てはまる。誰かの贔屓になると、その芸人とどのくらい深く付き合っているか、金をじゃぶじゃぶ使ったか、ということを自慢する人がいるが、そういう話を聞きながらいつも思うのは、だったらなんでいつも一人で来るのかな、ということなのである。芸人にしてみれば、一人のお客さんが熱心に通ってくれるのももちろん嬉しいが、その一人が二人、二人が四人と仲間を連れてきてくれればもっと励みになるはずなのだ。そういう自分のことしか考えていない通気取りを軽くたしなめる文章ともこれは読むことができる。
つまり、スナック遊びというのは寄席や演芸場に通うのと一脈通じた部分があるのかもしれない。自分一人で通人ぶっていてもその場では何もいいことはなくて、空気と時間を共有するお客さんや店の人間と一緒に楽しむことで初めて真価を発揮する。外の肩書をひけらかすなんていうのは野暮の骨頂で、居合わせた者同士の裸の付き合いこそ大事にすべきである。そうしたことを自然にできてしまっているからこその「スナック玉ちゃん」なのだろうし、寄席芸人になってほしいと私が願う資質なのではないだろうか。
玉袋筋太郎にはもう一冊『絶滅危惧種見聞録』(廣済堂出版)という著書もある。現代ではないがしろにされつつある人々、価値を忘れられつつあるものたちを訪ね歩くというルポルタージュで、やはり玉袋の視線の優しさが嬉しい。絶滅危惧種といえばまさしく寄席芸人もそうで、マスメディアのみを重視する人々からは前世紀の遺物のような扱われ方をすることも多い。それがどのくらい愚かなことかを、寄席の片隅からでもぶつぶつと訴えたいと思うのである。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。