小説を読むうちに誰かの心の中に迷い込んでしまうのだ
二〇一五年に刊行された『動きの悪魔』は、収録作の題材が鉄道とその周辺の物事に絞られているという点で稀有な作品集だった。その作者のステファン・グラビンスキが第二作品集『狂気の巡礼』で再度のお目見えとなる。グラビンスキは同時代の表現者たちとは交流せず、自分の世界の内奥を覗くことに徹し続けたという。ポーランドのポー、あるいはラヴクラフトに喩えられることもあるのはそれゆえなのだ。本書の収録作には、場所の魔力が書かれているという共通項がある。たとえば「狂気の農園」は、二人の子供と共に人里離れた家に引っ越してきた男が、次第に精神の均衡を失っていくという内容である。また、「チェラヴァの問題」はジキルとハイド譚の変形のような物語なのだが、夫婦の寝室を舞台として歌舞伎の早変わりのように善と悪、正と邪の存在が入れ替わっていく。「煙の集落」は、原住民にとっての殯の宮というべき地を白人が踏み荒らしたために起こる悲劇を描いた一篇だ。これらの作品をグラビンスキは、他と孤絶した環境で自分だけの聖域を追い求めながら書き続けたのだろう。全作品に彼の心象風景が投影されていると感じた。それは幽冥の境のように薄暗く、かつ血腥い瘴気に満ちているのだ。
作家の心の中を移した作品集といえば新訳なったロアルド・ダール『飛行士たちの話』も興味深い。ダールは空軍パイロットとして第二次世界大戦に参加し、ギリシャ戦線で悲惨な体験をした。無為無策な指令によって多くの命が失われたのだ。そこで見聞したものが本書の収録作には反映されている。飛行任務の中で死後の世界を幻視した男の物語「彼らに歳は取らせない」他の十篇は、ダールが魂の浄化のために吐き出すことを必要としたものだったのだろう。死が当たり前のように身近にある場所での出来事を、ダールは時にユーモアさえ交えて綴る。本書はデビュー作であり、同時に彼のすべてでもあった。
ハニヤ・ヤナギハラ『森の人々』は前二作とは対象的に、手記小説の形式で架空の人物の人生を作品の中に現出させた、疑似ノンフィクションともいえる一作である。手記の書き手は南太平洋の島でセレネ症候群という後天的な不老現象を研究していた人物で、前半部では彼が次第に現実ならざる場所へと足を踏み入れていく様子が秘境探検のような調子で描かれていく。編纂者によるものという名目で膨大な量の脚注が組み込まれているなど、作品世界の手触りには実体感がある。第二の現実のようなつもりで読者は足を踏み入れ、手記の書き手であるペリーナ博士の内的世界の中に囚われていくのだ。物語の舞台となる密林の無秩序だが静謐な情景が胸の奥に焼き付けられ、二度と消えてくれない。