小説の問題vol.2 柴田よしき『月神の浅き夢』

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今は亡き「問題小説」連載書評のお蔵出し。今回は1998年4月号からです。

月神(ダイアナ)の浅き夢 (角川文庫)

柴田よしきは今年(注:1998年)絶対にブレイクする作家である。新作「月神の浅き夢」は警察ミステリーの傑作として間違いなく彼女の代表作となるだろう。

月島署の刑事村上緑子は連続殺人事件の捜査本部に参加を要請され、警視庁に招かれる。彼女にはスキャンダルのために本庁から所轄署に転属になった過去があり、出迎える元同僚たちの視線も決して温かいものではない。いわば敵陣での緑子の捜査活動が始まる。

事件は若い刑事だけが被害者となるという極めて特異なものであり、猟奇的な死体の破壊が行われていた。被害者たちは電動ノコギリのような凶器で手足、性器を切り取られて失血死し、しかも死体は木に吊るされて発見される。すでに五人もの刑事が犠牲になっており、影なき殺人者への恐怖と憎悪に警視庁は騒然となっていた。

被害者たちには刑事という職以外になんの共通点もなく、捜査は暗礁に乗り上げていた。緑子は被害者の足取り捜査に当たる内に、誰もが見落としていた些細な事実を発見する。何人かの被害者が同じアイドルのファンクラブに入会していたのだ。それは小さな符合にすぎなかったが、緑子が裏付けをとる間に思いもしなかった事実が浮上し、事件は予想外の方向へ展開していく。

地道な捜査活動が意外な事件の背景を浮かび上がらせる過程こそが警察小説の魅力だが、作者は勘どころを心得ている。一旦手掛かりを掴むや、緑子の力強い捜査が次々に事実を明るみに引き出していく。事件の背後に潜む倒錯した人間心理が緑子によって暴かれていく中盤以降の展開は、読者を惹きつけ離さない迫力だ。伝奇SFの傑作『炎都』(徳間ノベルズ)でも柴田の語り巧者ぶりは証明ずみだが、本書でも錯綜した人間関係がカタストロフィに向けて集約していく詰め将棋のような快感を味わえる。

難を言うならば、事件の展開が直線的であるため、物語に遊びの部分がない点か。前半に何気なく配された登場人物が後半重要な役割を演ずる、といった一点のムダもない演出ぶりに窒息感を覚える読者もいるはずである。(それほど緻密な構成なのだ)遠景で大筋に関係ない挿話を演じる端役の存在が、思わぬ奥行きを感じさせることもあるからだ。

だがこの過剰ともいえる演出があればこそ本書の主題が際立つことは間違いない。題名の「月神」とは「太陽」に対比されるものであり、日の当たる世界では黙殺される暗黒の存在を象徴している。反社会的な愛の形やあらわにできない昏い憎悪が、明るい世界の背後に押し込められている事実を柴田は丹念になぞっていく。

その中で緑子もまた一つの問題に直面する。彼女は捜査の過程で警察という組織に人間を破滅させうる暴力が潜在的に備わっていることに気付かされるのだ。これこそ緑子が警察官として生きていく上で直視せざるをえない暗黒の部分である。と同時に、これは人間の暗黒面をどう受け止めるか、という問いかけでもあるのだ。執拗なまでに重層的に描き込まれた主題がすべてこの問い一つにかかっていると言ってもいい。読者は固唾を飲んで主人公緑子の回答を待ち受けるのである。結末の一点で主題は確かに結実し、怒濤の如き感動を呼ぶ。

ここまで触れなかったが本書は『RIKO-女神の永遠』『聖母の深い淵』(共に角川文庫)に続くシリーズの第三作にあたる。前作を未読でも本書を味わうのに何ら支障はないが、逆に本書から関心を持った読者がさかのぼって読んだとしても決して期待を裏切ることはないはずである。すべての読者にお薦めしたい連作だ。

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