今回は他に取り上げたい本もあったが、ぎりぎりで船戸与一『流沙の塔』が間に合ってしまった。船戸があるときは船戸を読め、の格言通り、となれば『流沙の塔』を取り上げざるをえないだろう。
物語の始まりは横浜だ。客家(中国南部を中心に勢力を持つ漢民族の一派)の実力者・張龍全の義理の息子、海津明彦は在日客家のトラブルシューターを生業としていた。ある日明彦は龍全の息子宣波から厄介な揉め事の始末を頼まれる。宣波が囲っていたロシア女が何者かによって刺殺されたのだ。その死体の始末を極秘裏に成し遂げた明彦だったが、義父・龍全からさらに驚くべき事実を聞かされる。広東省の梅州に在住する龍全の義兄弟・羅光雲の息子もまた同じようなロシア女を情婦とした挙句、女を殺されていたのだ。二つの殺人に使われたナイフはまったく同じもので、人骨を使って束を成形した新彊ウィグル自治区のものだったのだ。二つの殺人の背景には何らかの陰謀が隠されている。看破した明彦は単身中国大陸へと潜入した……。
本作の原型は九四年から一年間にわたって「週刊朝日」に連載されたものである。その後香港返還の社会変動に伴い、中国は今激動の時代を迎えている。船戸も大幅な加筆・修正を加え、新鮮な中国の現在を描き出している。ラテンアメリカなど第三世界の視点を通して、国際社会のひずみを浮き彫りにしてきた船戸の、これは新たなる第一歩となる小説だ。そこに描かれているのは、資本主義社会へと地響きを立てて雪崩込んでいく中国社会の暗部なのである。
例えば、かつて中越戦争で活躍し、英雄と称えられる人民解放軍の英雄・林正春。例えば、理工系の大学で高等教育を受けながら、自ら志願してウィグル民族の独立ゲリラ戦線に飛び込んでいく若者オスマン・アイパトラ。例えば、中国共産党支配の崩壊を食い止めるべく権謀術数を尽くす女怪・蒋国妹。彼ら散りばめられた登場人物の人生の破片がプリズムのような光の軌跡を描きながら合流し、巨大な陰謀の渦中へと巻き込まれていく。その万華鏡のような複雑な輝きこそが、中国大陸の現在を象徴するものなのだ。鍛えに鍛え抜かれた船戸の剛腕が、細密画のような緻密な構図の中へとそれらの破片を織り込んでいく。まずはそのストーリィテリングの妙味に酔ってほしい。
そして躍動する物語、舞台は横浜で始まり、広東省、そして新彊ウィグル自治区へと点々としていく。当然その背景には香港返還によって勃発した軍事自治区の軍閥化など、中国の今を表す社会問題が潜んでいるのである。この広大な大陸を股にかけるダイナミズムこそが冒険小説の醍醐味なのだ。
一言で言えば船戸文学の魅力はこうしたダイナミックの構図の中に残酷極まりない国際社会の歪みを位置づけてみせることだ。真相に関わるため、この点については多くを語れないが、船戸の筆に酔って結末に辿り着いたとき、読者はそこにヒューマニズムなど鼻糞ほどの意味もない恐怖の存在を知って慄然とするだろう。それは船戸の盟友梁石日が『Z』(幻冬舎文庫)において描き出した朝鮮戦争の実態に近い、冷血の真実なのである。また、『流沙の塔』なる言葉に船戸がどれほどの意味をこめて題名としたか、それも下巻で初めて明らかになる。かつて司馬遼太郎が大村益次郎の生涯を描く『花神』において、題名の意味を膨大な物語の最後の最後になって明かしたことがあった。それと同じくらいのケレンと自信の程を、この題名の仕掛けには読み取ることができるのである。正に船戸ならではの巨大な世界。心して読め。
(初出:「問題小説」1998年6月号)