今年の乱歩賞は池井戸潤『果てる底なき』と福井敏晴『Twelve.Y.O』の同時受賞となった。過去三組ある同時受賞の例でも、佐賀潜と戸川昌子など同期同士互いに切磋琢磨しあうことにより作家として大成した例が多く、今後の成長が楽しみな二人なのである。はっきり行って受賞作は未だ発展途上という印象であったが。
ところで、過去の乱歩賞受賞者中最も異彩を放つ作家といえば第四十四回の藤本泉だろう(この人も梶龍雄との同時受賞)。藤本が異色というのは、トリックがどうとかいう次元の問題ではない。彼女は明らかに自分の思想をプロパガンダするための道具としてミステリーを利用していたのである。彼女の代表作「えぞ共和国」五部作は、古代中央集権国家に圧殺された先住民族文明が現代の東北地方に原始共産制共同体を築いて存続しているという幻想を主題とし、反体制的メッセージがどの作品にも濃厚というとんでもない怪作である。つくづく乱歩賞というのは奥の深い賞だ。
前置きが長くなったが、今回取り上げる『かくし念仏』はその藤本の「えぞ共和国」連作を思わせる壮大なミステリーである。否、ミステリーというよりはファンタジーと呼ぶ方がしっくりくるかもしれない。ここで取り上げられているのは、日本民俗社会に根ざした、底知れぬ魔の世界なのである。
主人公の日下部遼は三十五歳。女子大の助教授を務めており、専門は食のあり方を通して文化を理解しようという食物人類学。趣味も料理を作ること、という気楽な独身者だが、物語は彼が重度の食中毒に陥るところから始まる。食中毒は遼のせいではなく、研究室の臨時助手の榊原久美のせいだ。彼女が遼の自宅に押しかけて作ったイタリア料理に毒が仕込まれていたらしいのだ。蘇生した遼が調べたところ、久美はすでに失踪しており、後に残された経歴はすべて詐称されたものだった。しかもさらなる変事が彼に降りかかる。ある時期に彼と知り合った人々が次々に毒殺され始めたのだ。被害者全員が東北の思想家・安藤昌益に関する論文を所持していたことから、遼は謎を解く鍵を安藤昌益ゆかりの地にあるらしいと見定め一路北上していく……。
この乱歩賞作三冊分のボリュームを持つ小説の恐ろしい所は、以上の出だしが事件のほんの間口にすぎないところだ。物語は三つのパートに別れており、それぞれが独立したストーリーになっている。第一部は昌益の生涯にちなむ謎を追う歴史ミステリーとして読めるが、安心して読んでいると物語が突然奇妙な方向に収斂し、読者は思わぬ方向に投げ出される。第二部の展開はゴシックロマンである。主人公が理解不能の巨大な悪意に苛まれていく筋の残酷さはこの小説のハイライトともいえる緊迫度。並の作家ならこのパートだけで一本の小説に仕上げてしまうことだろう。そして第三部に入るに至って物語は色合いをガラッと変える。主人公の遼自身の生い立ちに関連する陰謀の正体に迫る展開がその主筋だが、結末に至るまで脱出不可能の迷路のように読者の容易な理解をはばむのだ。はっきり言って小説としては破綻しているが、結末に至るころには脳内麻薬が分泌しまくり、読者は彼岸の世界に連れ出されているに違いない。
これまではサイコ物の著作が多かった和田だが、本書では内面描写以外の方法で狂気の存在を表現する手段を獲得したことにより、作家として一層の飛躍を果たした。またかつての藤本泉のように、小説としての整合性を放棄してまでテーマを主張することにより、トラウマのような読後感を醸し出すことに成功している。万人向けではないが、たまにはこんなミステリーもいいよ。
(初出:「問題小説」1998年11月号)