ミステリーが成立するためにはまず初めに事件の影が必要だが、事件という素材だけを放置しても旨いミステリーに化けるはずがない。そのためにはいかに技巧が必要であるか、ということを学ぶ好教材として、今月は佐野洋の短篇集をお薦めする。『内気な拾得者』は、佐野洋が「オール讀物」誌上で続けている連作の短篇集であり、すでに第一弾として『北東西南推理館』(文藝春秋)が刊行されている。
佐野洋といえば元新聞記者のミステリー作家だが、この連作はその新聞記事を題材にしている。つまり社会面に掲載された記事からその背景にあるドラマを想像し、原稿用紙四十枚弱のミステリーに仕立てようという趣向。佐野自身の言葉を借りれば、新聞記事を「読んでいるうちに、脳細胞が刺激されてヒントが生まれ、やがて小説に変身するのだ」。
各短篇とも、まず冒頭に題材とした記事の内容を紹介し、そこから佐野が発想をふくらませていく過程が書かれている。それも世間を騒がせた大事件を取り上げることはなく、例えば暴力団員Xが暴行事件で逮捕された、という記事が掲載されたのと同一の紙面に偶然同姓同名のXという人物の死亡記事が掲載された(『不吉な名前』)、といったベタ記事に素材を得ているところに独自性がある。「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、これはミステリーが現実の事件をどの程度発想力で上回れるかという挑戦なのである。
では、果たしてミステリーとはどのように発想され構築されるものなのだろうか?収録作の中には、法医学などの特殊な知識を利用した作品もあるが、それがそのまま落ちになっているわけではない。例えば「偽装血腫」という作品では急性硬膜下出血による死が出て来るのだが、佐野はこの症状をまず説明した上で事件の再構築を行っている。住民基本台帳法の解説をし、変身願望を扱ったミステリーを書くと宣言して始めている「変身の必要」も同じだ。単純な知識は、あくまで発想力を働かせるための前提にすぎないのである。
事件の登場人物に肉づけを行い、そこに人間観察の機微を働かせてみると、小説はもう少しリアリティを帯びることになる。「死んだ声」は、電話での会話の匿名性に着目した作品であるが、本筋とはやや外れたところに主人公の女性が父親ほども年齢の違う翻訳家と情交を結んだ心理が点描されているのが、スパイスのように利いている。また「死体貸し」は、別荘に死体を保管するはめになった男の心理の動揺を描くために、男の消極的な性格を丹念に造型していっている。この辺までくれば、完成まではあと一歩だろう。
私が本書のベストと考えるのは「不可解な場所」という短篇だが、これは民家の汲み取り式便所の便槽からなかば白骨化した死体が発見された、という奇妙な記事から発想された作品である。この話を聞いただけでも、思わずおなじみの「事実は~」のフレーズを持ち出したくなるが、小説の設定はその事実を上回っている。なんと、死体が発見された場所を民家から交番に移しているのだ。当然制約条件も大きくなり、そんな場所に死体が入り込むなんて、どんな状況なのか?という疑問もいや増す。その可能性について新聞記者たちが頭をひねり、ああでもないこうでもないと仮説を立てて論じあうところにこの小説のおもしろさがある。前述した知識や人間観察の上に必要なのは、ワンアイデアでは終わらないこの着想のひねりであり、そしてミステリーならではの仮説論証の思考実験なのである。ここまで手を加えて初めて、「小説は事実より奇なり」と胸を張ることができるのである。作者の老練な技巧をぜひお試しあれ。
(初出:「問題小説」1999年2月号)