険しい山肌に囲まれた摺り鉢の底のような河原。藍碧の空の下、二人の男たちが腰を下ろして会話を交わしている。
誰あろう、信州上田城主真田昌幸の家来、猿飛佐助と霧隠才蔵である。主君昌幸は、今まさに出陣せんというところ。相手は名将徳川家康の軍勢七千余騎。兵数わずか二千の真田勢にとっては一大事である。しかし--
「徳川の奴輩は平地のはたらきをいたすきゃあ。この辺りまで入りこみおって、平地の進退いたさば、儂らが餌になるばかりずら。天下の徳川などとは、いわせねえら」
猿飛佐助は気勢を上げるのである。
今月はとんでもない傑作が再刊されていた。津本陽『真田忍侠記』である。
戦国時代、信州の小大名でありながら、北条や徳川といった大大名の侵攻をたびたび撃退した真田昌幸、幸村父子。関ヶ原の合戦においては徳川秀忠の率いる大軍を相手に戦い抜き、ついには秀忠を合戦に遅参させたという勇将である。本書は、その真田父子と配下の猿飛佐助、霧隠才蔵の生涯を描く、傑作軍記文学だ。
関ヶ原において西軍についた父子は、東軍についた幸村の兄、信幸の助命工作により一命を救われ九度山に流された。時が過ぎ、再び戦雲が巻き起こるころ、幸村は病没した父・昌幸の遺志を継いで山を降り、大阪城の豊臣秀頼のもとに馳せ参ずるのである。大阪夏の陣にて幾万の大軍を前に、佐助・才蔵の曰く--
「もっとも、家康に尾を振る犬侍の方々には、弾丸生薬はちときびしき馳走かも知れぬがのう。近うお寄り召されなば、三尺の秋水をとっての剣の舞いをも、お眼にかけようほどに、皆々お誘いあわせのうえにて、賑々しくおいで下されい」
痛快である。
徳川の軍勢を打ち砕くのは幸村考案の城塞、真田丸だ。こうして真田の主従は家康の首一つに狙いを定め、戦の修羅の中に飛びこんでいく……。
なによりも、真田の郎党は信州弁、徳川一族は三河弁というお国言葉によって綴られる文章が躍動的なリズムを産み、快い。本書における津本の筆づかいは、実に軽やかである。明治から昭和の初期にかけて流行した立川文庫の講談小説を思わせる忍術の数々が飛び出すのも嬉しい限りだ。「おん、まり、せいそわか」の気合と共におのれの姿を消す隠行の術、遠く離れた場所の出来事を居ながらにして見る天眼通、などなど。
信州の山中に始まった物語は、真田郎党の活躍を痛快に語りながらも、前半部では適度に抑制されている。小牧長久手のように真田に直接関係のない戦は徹底的に省略されているのだ。言うまでもなくそれは、後半の関ヶ原以降を際立たせるための演出だ。夏冬二度の大阪城攻防こそ真骨頂。信州から飛び出した郎党は浪速の地にて爆ぜるのである。
ところで、佐助らの術を見ると、それが山中で鍛えられた能力であることがよく判る。特に我が身を隠す隠行の術は、森林に紛れ住む山の民のものだろう。だが、ひとたび平野に下りたとき、山の民は広所恐怖症めいた錯乱にとらわれ、自滅していく運命にある。山中のような純粋さが、平野の猥雑さの中では維持できないためだ。大阪城における爆発はその象徴と言えるだろう。
かつて奥野健男は評論『間の構造』(集英社)において、森の中で暮らす人々の心を「狭い中で個別を観察し調査した目は殆ど無限の道の全体的世界への好奇心、征服欲を抱く。(中略)そのエネルギーは深く瞬発的、爆発的である」と書いた。
すなわち真田の活躍は、純粋な情熱が世間の俗情と刺し違えんとして挑んだ滅私の闘いなのである。活劇の背景には実にすがすがしい純情がある。だからこそ最終章の清明な幕引きの後に何とも言えない読後感が残るのだ。俗事で忙しい人こそ、まず最初にこの本を手に取るべきである。何度でも読み返すことができ、その度に心が洗われる完璧な小説だ。
さて、大阪城に最後の城塞としての真田丸があったように、太平洋戦争においても米軍の日本上陸に備え、大本営を移動させるための要塞が準備されていたことをご存じだろうか。皇居の移転も視野に入れた巨大な地下壕が、長野県の松代に築かれていたという。ただし建築が始まったのは昭和十九年のことで、ついに完成しなかった。また、工事に従事した者が多数生き埋めにされたという噂もあり、要塞の全貌は明らかではない。出久根達郎『紙の爆弾』は、その史実を踏まえ書かれた小説である。
物語の鍵をこじ開けるのは、「紙切れ」である。ただし、紙切れと言ってもそこらの鼻紙とは違う、「伝単」である。「伝単」とは、戦地において使用されるものだ。ビラの形で無差別に頒布され、厭戦気分をふりまくのである。日本軍も占領地で実施したし、米軍も飛行機で町にばら播いた。
本書に出てくる一枚の「伝単」は、当時の十円札を模している。紙幣と間違えた市民に拾わせるための意匠だ。そしてその裏に「この金で年貢を納めよ。軍閥は諸君の納めた税金を浪費して居る」云々の文言が綴られているのである。すなわち銃後におけるゲリラ戦法なのだが、敵陣をかき乱す忍術を思わせる痛快さと、不気味な雰囲気を兼ね備えている。
当然ながら軍部はこの扱いに神経質になっており、伝単には毒が塗られており触ると死ぬといった噂を流したり、伝単を拾っただけでスパイ容疑をかけたりした。おかげで伝単が保存されることも少なく、好事家に収集されることもなく、歴史の闇部に消えつつある。
この紙切れが本書の中では重要な役割を果たすのだ。
いわゆる冒険小説とは異なり、本書においては物語の語り手が章ごとに次々移り替っていく。最初の語り手、苗場は得意先のゼネコン会社から預かった資料箱を紛失したことによって事件に巻き込まれる。次はその資料箱を偶然入手した国原という文学青年崩れの男の番である。国原は資料箱の中にあった名簿が、ゼネコン会社によって大本営地下壕造営のために集められた人々の名前を記すものではないかと考えて興味を持つ。ゼネコン会社が軍部と結託して行った過去の悪事を糊塗しようとしているのではないかと疑ったのだ。このあたり、事件の起きている時間が地価バブル最高潮の八十年代に置かれていることもあって説得力を持つ。
国原からバトンを受け継ぐのは、国原と一緒に文藝保護協会で働いている南條である。この文藝保護協会とは、一日本を読むだけの業務というなんとも怪しい会社なのだが(ドイルの『赤髪連盟』などを連想してしまう)、南條もまた二十四歳という若さでカストリ雑誌の収集に熱中している変人である。彼の提案から事件が動き、第四の語り手である古本屋・国文堂が登場してくる--。
このように、物語は新たな語り手を得るたびに新たなサブストーリーを付け加え(そのどこかに伝単がからむ)、膨れ上がりながら最後の謎解きに向けて雪崩こんでいく。本書はミステリーの範疇に入る作品だが、出久根がミステリーのマンネリズムから離れて自由な表現を駆使するため、実に新鮮な印象を受ける。
例えば、登場人物の一人を不良少年たち(姿は見えないのだが、多分小学生だ)が襲うシーンで交わされる会話の不気味さ(<凄い威力だな、赤><赤はやっぱり頼りになるよ>)は、文脈的な理解を拒む不条理劇のようである。また、別の登場人物が地下壕から脱出する時に「振り向かないで、まっすぐ」行くよう言われ、餞別にスルメの足を三本もらうエピソードなどは、『古事記』にあるイザナギの黄泉の国脱出を思わせるイメージだ。
おそらく出久根はこうした文学の砕片を意図的にこの冒険譚に盛込み、特異な様相を作り上げようとしたのだ。その狙いは見事に成功していると言えよう。クライマックスの舞台となるのはなんと松代である。この不可思議な物語がいかに幕を下ろすのか、ぜひ確認して頂きたい。
今月は、一冊が信州の山中から平野に出た者が爆ぜる物語。もう一冊が山中の洞穴に潜りこんで終わる物語だった。長野でスキーを予定している人は旅のお供にいかがだろうか。
(初出:「問題小説」2000年3月号)