今月ご紹介する『賢者の食欲』は、九七年から九九年まで「諸君!」に連載された「食」に関する好エッセイである。
著者の里見真三は、身の丈に合った飲食の楽しみを“B級グルメ”として提唱する「食」の趣味人である。実際に店で供される料理の皿を原寸大写真で紹介する『ベストオブ丼』『すし』『蕎麦』のシリーズを読まれた方もあるいは多いだろう。また、『すきやばし次郎旬を握る』(いずれも文藝春秋)では江戸前握りの職人に取材するなど、「食」の芸能に対する好奇心も旺盛な人物である(実は高校二年生の時にラーメン屋を開業しようとして挫折した過去もあるらしい)。
ところで、「食」についての著述は、どうしても卑しくなるものである。どんなに高邁な文章であってもそれは同じ。なぜならば、「食」とは人間の生の欲望であり、それをあらわにすることは本来とても恥ずべきことだからだ(『食』の一文字を『性』に置き換えてみれば、そのことがよく判る)。
里見も、それを十分承知しているからこそ題名に「食欲」の文字をうたったのだろう。人々に尊敬される「賢者」にしても、なお生の「食欲」を抱えて生きている。そんな当たり前のことが人間性の証しであり、またその剥き出しの欲望をどう昇華するかという点に、(やや大袈裟に言えば)彼らの背負う文化が透けて見えてくるのである。「賢者の食欲」に込められた意味を味わい、同時に「賢者」が通った名店を実地に味わってみる、という二重の楽しみが、本書にはある。
まず、小説家の作品の背景を探る楽しみ。志賀直哉の『小僧の神様』といえば大正初年のにぎり鮨屋が舞台であるが、その頃の鮨がいかなるものであったのかを詳述していく里見の文章は、その内に「痩身の志賀が巨大握りを頬張っている」微笑ましい光景を描きだしていくのだ。また、『瞼の母』作者長谷川伸の項では、彼の自伝的文章から明治の横浜で食されていた、初期の「ラウメン」を想像することもできる。
次に、賢者たちの「食」に賭けた情熱を知る楽しみ。情熱というと聞こえはいいが、要は食い意地がはっているだけのことだ。若くして不治の病に侵され、ほとんど寝たきりの生活を送った正岡子規の唯一の娯楽が三度の食事であったことは有名だし、美食のために寿命を縮めた古川ロッパのような人もいる。あるいは、『赤光』の歌人・斎藤茂吉。彼は、四十四歳で鰻の嗜好にとりつかれてから、七十歳で死ぬまでに千匹以上の鰻を食べているのである。戦時中物資が欠乏した時でも、密かに蓄え込んだ鰻の缶詰で渇を癒さずにはいられないほど、鰻が好きだったのだ。何だか鬼気迫るものがある。
また、こうした剥き出しの食い意地の陰に、当人の口からは語られることのない純粋な思いを探る楽しみもある。満州国最後の皇帝溥儀の弟・愛真覚羅溥傑は、第二次世界大戦後、戦犯として長期の抑留生活を送り、辛酸をなめ尽くした人であるが、その彼の書が東京・八重洲の寿司屋「おけい」に残っているという。溥傑は特赦後、家族と十六年ぶりの再会を果たし、その後たびたび妻(嵯峨侯爵家の長女)ゆかりの店である「おけい」を訪れた。里見は、溥傑の寿司屋通いの背景に、数奇な人生を送った皇弟の安息の日々に対する感謝の想いを読み取っていくのである。この項における里見の分析は鮮やかだ。
最後に、純粋に「食」を推理する楽しみもある。作家・獅子文六は美食家として広く知られた人だが、「ポール軒」(『私の食べ歩き』中公文庫所収)というエッセイの中で、彼のフランス留学中の逸話を紹介している。獅子が留学仲間と通った「ポール」という庶民的なレストランに、訪欧中の皇太子(昭和天皇)が訪れ、獅子らと同じ料理に舌鼓を打ったというのだ。この一事に快哉を叫ぶ獅子の筆はユーモアに満ちており、それ自体一読の価値ある文章である(『学習院食堂のライス・カレーと、どっちがウマいかということは、仰せられなかったようであるが、そんなことは、どうでもいい』、などという一文がなんともおかしい)。
里見は、新事実をつけ加えて、このエッセイに興趣を付加している。なんとこの一件は他ではまったく報道されず、事実上獅子のスクープだったというのだ。こうなるともう歴史ミステリーの感すらあるが、獅子行きつけの店をフランスで実地に訪ねた里見の筆は、さらなる驚きを読者の前につきつける。この項は、本書中もっとも厚みのあるものだが、読み返すごとに味わいの増す一文である。獅子の描いた「食」の楽しみが、里見の推理を経由することにより、また違った味に変化し、広がっていく。本書の真髄はまさしくこの連続性にあると言っていいだろう。
ところで、この度再刊になった北村薫『冬のオペラ』を読んでいたら、こんなくだりがあった。京都・南禅寺の近くにある「奥丹」という豆腐料理屋についての文章である。東京から京都に旅行中の主人公・姫宮あゆみは、当地の知合いである椿という女性から、彼女の亡父の話を聞く。彼は、小さいころ「奥丹」に連れて行ってもらったことがあった。太平洋戦争に出征し、復員した彼は、世の中がようやく落ち着いたころに、ふと思い付いて「奥丹」を再訪するのである。
「(前略)そして、お鍋から上がる湯気を見た。その時、初めて《ああ、戦争は終わった》と感じたんですって。生き残ってしまった。--生きていると思ったそうよ」
「食」という楽しみには、確かにそういう面がある。湯豆腐の鍋から上がる湯気の向こうに自分の人生が見える瞬間。そしてそれを「食」という形に託して父がわが子に語り伝えることができる。それこそが「文化」の意味なのである。この話を聞いたあゆみは、
そして今、わたしがその思いを、京の町を走る車の中で聞いている。瞬間によぎり、そのまま消えて行く筈の、人の思い。それが語られることによって、リレーされ、そして、バトンを受けた者の心に刻まれて行く。
との感慨を持つのである。当然あゆみの手からバトンを受け取るのは、読者である我々なのだ。作者の透徹した人間観察が紡ぎ出した「思い」は、こうして読者の心に受け止められ、しっかりと刻み込まれる。北村薫の小説を読む楽しみはまさにこの点にある。ほんの些細な挿話にすぎないように見える文章が、すべて「思い」の結晶を伝えるためのバトンなのである。軽快な文体のはずなのに、彼の小説を乱暴に読み飛ばすことをためらってしまうのはそのためなのだろう。
さて、本書は二つの短篇と一つの中編から成る連作集である。主人公あゆみは叔父の経営する不動産会社で働く女性であり、密かに小説家志望という夢を抱えてもいる。物語はある日、その彼女の働くビルの二階に日巫弓彦という男が事務所を構えたことから始まるのである。巫(かんなぎ、と読む)は自称「名探偵」。すなわち、物事の真理が「見えてしまう」人物なのである。彼は言う。名探偵はなるのではない。ある時自分がそうであることに気づくのだ、と。かんなぎ、とは巫女のことであるが、巫女の資質を持たずして巫女になるものがいないように、名探偵もまた先験的な資質であるということであろうか。ともあれ、自分が名探偵であるということに気づいてしまったが故に、職をなげうって事務所を構え、名探偵としていつ来るかわからない依頼人を待ち続けることになってしまったこの人物がなんともユーモラスである。なにしろ平時は食うために出前持ちや道路工事のアルバイトに精を出す日々なのだ。
(初出:「問題小説」2000年4月号)