今回はちと、偏屈に。
小林よしのり『「個と公」論』が刊行されたが、一昔前であればこの題名は『「私と公」論』とされたはずである。「公」の対立概念が「個」と考えられるようになったのは、ごく最近のことだ。
「私」の古字は「厶」である。曲がった形を書いて、自分のためにのみ図り考えることをあらわすというが、「わたくし」とは「よこしま」なことを指したのである。そういえばこの字は収穫物を抱え込む腕のようにも見える。「公」とは「厶」の字に、「そむく」意の「八」を加えて「片寄りなく正しいこと」をあらわす字である。つまり、「私」の対立概念として「公」が導かれたのだ。
現代小説を読んでいると、時に息苦しくなることがある。それは登場人物たちがおのれの「私」にこだわって、その小さな殻の中でもがいているからだ。自分で自分を抱え込んだ腕の中で、自家中毒を起こしているようにさえ見える。
なにも難しい文学のことを言っているわけではない。私がこよなく愛するミステリーの分野においても、この傾向は顕著なのだ。最近話題となった作品の多くが、小説にテーマを設定し、登場人物たちがそれに関与していくあり方を書いていく手法をとっている。その中で描かれるのが、出口のない「私」探しであるのが、辛いのである。苦しいのである。そもそも「公」の方に開かれずにある「私」など幻想にすぎないというのに。もちろん、そういった小説に多くの傑作があることは否定しないが、そんな行き止まりの小説ばかりというのも不毛である。
私は、そんな読書に疲れたら、時代小説か歴史小説を読むことにしている。この二つの小説の区分は曖昧だが、あえて分けるとするならば、前者は「私」の存在を包みこむ「人情」を描く小説であると考える。そして後者は、「私」を離れた「公」を描く小説である。歴史小説にそれ以外のテーマは無いと言ってもいい。その意味で、宮本昌孝『剣豪将軍義輝』は、ここ十年の内に書かれた中で、もっとも優れた歴史小説である。今月は何を置いてもまずこの小説を読んだ方がいい。
足利十三代将軍義輝は、幼名を菊幢丸という。「幢」の字は将軍家の軍旗「幢牙」から来ており、細川家ら守護大名の傀儡として翻弄された第十二代将軍の父・義晴が将軍の威信回復を祈ってつけた名である。元服後は義藤と名乗り、さらに十九歳の時に義輝と改めた。応仁の乱以降衰弱した後期足利将軍にしては珍しく聡明であり、かつ剣聖塚原卜伝の免許皆伝を得たほどの剣の達人でもあった。
全三巻構成の大部な小説の上巻「鳳雛ノ太刀」では、将軍位に就いた義藤が細川家の内訌に端を発した合戦で初陣を踏み、敗走せしめられるところから物語が始まる。独りはぐれた義藤が見たものは、謎の剣士と犬神人(弦売りや神事を生業とする漂泊集団)との熾烈な戦闘であった。義藤は笠を取ることもなく犬神人を斬り捨てた剣士の腕前に心を奪われ、また犬神人の息子・熊鷹になす術もなく敗れさったことから、剣の修業に開眼する。
その義藤を助けた印地(つぶて)打ちの少女・真羽との淡い恋。真羽をかどわかした残虐な遊女屋の楼主・鬼若との死闘。そして、義藤の剣の指南役として軍使として、生涯を共にした朽木鯉九郎との出会いが物語の前半を鮮やかに染め上げる。特に鯉九郎が、高貴な生まれを鼻にかけた驕慢な子供と侮っていた義藤の真摯な態度に心をうたれ、生涯の忠誠を誓う場面の感動はひとしおである。
将軍家を畏れ敬って「大樹」と呼ぶが、これは後漢の馮異が、謙遜な人柄のため、諸侯が功を論じあう時、必ず樹の陰に隠れて控えていたことから大樹将軍と呼ばれた故事にちなむものである。武家の棟梁としておおやけごころを持つ者にふさわしい呼称といえよう。そしてまた、「大樹」とは日光を遮って木陰を生む、心の休まる場でもある。義藤が長じて義輝となり、「大樹」として成長していく様を描いたのが中巻「孤雲ノ太刀」である。
義輝は剣聖・塚原卜伝に師事せんとして、霞新十郎と名乗って諸国を回遊する。卜伝の秘剣「一ノ太刀」伝授を目指すこの一巻には、さながら剣豪小説の観もあり、三巻中のクライマックスともいえる。十兵衛明智光秀ら、義輝を愛し、忠臣として仕えた者たちが集まり来る筋立ては躍動的であり、それら主従の結び付きがわたくしごころに因るものではないだけに、実に清涼である。剣の秘奥義を得、またかけがえのない股肱の臣を得た義輝は京に戻り、将軍家の威信を賭けて戦乱の世を治める偉業に乗り出そうとするのだが……。その後の運命は下巻「流星ノ太刀」が描くとおりだ。
最近『剣豪将軍義輝』の補遺集とでも言うべき短編集『義輝異聞 将軍の星』が刊行されたが、その中の一篇「遺恩」に、「義輝の遺した恩は、領地でも財貨でもない。情愛であった。これをこそ、武門の筋目、御恩と奉公というべきではないのか」とある言葉を、私の「個と公」論としてここに提示したい。武を描けば猛々しく、情を語ればしめやかなこの小説は、何度も再読に耐える作品である。
さて、小説の書き方としてはまったく異なるが、逢坂剛『禿鷹の夜』もまた胸のすく小説である。『剣豪将軍義輝』が「私」から離れた「公」を描く小説だとすれば、『禿鷹の夜』は、「心」そのものを省いて、冷徹に磨き上げられた小説なのである。そこに「私」が顔を出して思い悩む契機はゼロであると言っていい。こういった小説こそ「ハードボイルド」と尊称されるべきだろう。
主人公禿富鷹秋は警視庁神宮署生活安全特捜隊に属する刑事だ。もっともこんな部署が本当にあるものか、それはわからない。刑事に似合わない高価なスーツを着て、高級マンションに住む生活ぶりから見ても、とても清廉潔白な男とは考えられない。名前からとったあだ名「禿鷹」も、彼が組織や道徳から浮き上がった異質な存在であることを告げている。
この禿鷹の造作について、逢坂が意識したのは『死の接吻』で殺し屋役を演じたリチャード・ウィドマークである。「突き出た額、引っ込んだ目、とがった頬骨、薄い一文字の唇」とある風貌(つけ加えるなら極めて薄い眉)の描写は、なるほどウィドマークそっくりだ。アメリカ映画は、四十年代の《暗黒映画》フィルム・ノワールの時代に、平面的な映像技術を脱し、光と影の濃淡が際立つ立体的な映像を手に入れた。登場人物をとらえる構図によって心理風景を代弁する技法が生まれたのもこの時である。本書における逢坂の狙いは、ウィドマークそっくりの禿鷹という人物を配し、紙上にノワール世界を現出させることにあったのだろう。
冒頭、暴力団組長の碓氷が禿鷹と出会う場面などには狙いが顕著に現れている。レストランで会食中の碓氷父娘の前に、その場に似つかわしくない禿鷹が現れる瞬間、明らかに、突如、という感じで禿鷹に焦点が当たっている。そのことによって引き起こされた読者の不安は、やがて起こる乱闘によって裏打ちされる。碓氷の命を狙って南米人の殺し屋が飛び込んでくるからだ。こういった形の心理操作こそがフィルム・ノワールという表現形式によって確立されたものであった。
また、禿鷹と彼を狙う殺し屋ミラグロとが長野の山中で邂逅する場面。高い石段の上で不安定に立ちながら二人が対峙し、その遥か下方の闇の底には、転落死したミラグロの手下の亡骸が転がっている。この構図の危うさもまた、彼らがたどる運命を暗示するものなのである。
碓氷たちヤクザの前に突如として現れた禿鷹は、均衡を壊し、彼らを南米マフィアとの争闘の中に誘っていく。禿鷹が何を思い、何のために動いているのか、作者は最後まで語らず、口を閉ざしたままである。途中、彼の情婦が惨殺されたことから、その報復戦という意味合いもあったのだろうが、果たしてそれだけだったかどうか。最後の場面、禿鷹は憎々しげに笑いながら退場するのである。その真意は定かではない。
感情移入を許さない、苛烈な小説であはあるが、ねちねちと内面描写を続ける小説に疲れたときには、逆にこんな小説を読んだ方がいい。煙を上げる銃口から吹く熱い風すら、爽やかに感じることは請け合いである。
(初出:「問題小説」2000年6月号)