街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2019年5月・椎名町「古書ますく堂」「リサイクルセンター新宿広場」ほか

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新宿広場といえば藤原審爾である

五月某日

古本屋に関して疑問に思っていることがあったので、実際に現地に行ってみることにした。

ご存じのとおり先日夏目書房が閉店し、立教大学周辺の古本屋はほぼ絶滅した。東池袋に光芳書店、北池袋に平和堂書店があって、池袋駅を最寄とする店が無くなったわけではないのだが、立教大学を中心に栄えていたかつての古本文化圏が消えてしまったことは間違いない。

だが、あるのである。グーグルに「池袋駅 古本屋」と入れて検索してみると、西池袋に「とかち書房」なる店舗名が出てくる。リンク先を見ると、ちゃんと営業時間まで入っている。これはどういうことなのだろうか。そういう名前の店に入ったことはないと思うのだが、このところ記憶力が減退してきていることもあり、単に忘れているだけなのかもしれない。放置しておくのも気味が悪いので、実際に表示されている場所を訪れてみることにした。

池袋駅西口を出て、マルイのある五差路を過ぎ、立教大学手前で左に折れる。そこから立教通りと並行して走っている道をしばらく行った角に、くだんの住所はあった。

店舗として使われているとは思えない建物である。だが、前に看板があり、「とかち書房」と書いてある。書いてはあるのだが、置きようは営業中のようではない。さらに言えば横にあるのは背の高いマガジンラックだと思うのだが、中は空である。これがもし仕舞屋風情の建物であれば訪ねて聞いてみるのだが、そういう雰囲気でもない。店舗ではないのだろうと判断した。この看板とラックは、どこかで店をやっていて不要になったものを差し当たり置いているだけなのではないだろうか。

調べてみると日本の古本屋に登録のあるとかち書房は、現在は店舗を出していないようだった。神保町のサイトを見ると同名の店舗は、かつて三軒茶屋で修業をした人が新中野などで店舗を開いたあとに彼の地に来て、というような記述がある。おそらく看板はその神保町時代のものなのではないだろうか。

そのすぐ近くに古書ますく堂がある。以前はスナックだった場所を居抜きで使っていたのだが、引っ越して現在の場所に移ってきている。スナック店舗時代、本を見ていたらカウンターの中からコーヒーを出してもらって、びっくりしたことがあった。せっかくなので立ち寄り、どこかで見かけたら買うつもりだった盛林堂書房の岡崎武志・古本屋ツアー・イン・ジャパン『青春18きっぷ古本屋への旅』を売ってもらう。ついでにとかち書房のことを聞いたら、「よく訊ねられるんですけど、知らないんですよ」とのお答えだった。さもありなん。

ますく堂さんは頼むと素敵なカバーをつけてくれる。

池袋駅に戻るのも業腹なので、そのまま西武池袋線の椎名町駅まで歩いてしまう。月曜日なので春近書店はお休み。しかし駅前には立ち食いそばの名店、南天がある。駅のすぐ前で、カウンターは小さいのだが、すぐ前にテーブル席があり、駅前広場のベンチもあってみんなそこに座って食べている。開放的な雰囲気で好きな店なのだ。ここでは誰もが肉そばか肉うどんを食べる。私ももちろん肉うどん。ここのうどんは他ではあまり見ない細麺で、好きなのだ。たしか小火があってしばらくお休みしていたと思うが、無事に再開できて喜ばしいことである。甘辛い味の肉と長ネギを食べるついでにうどん、という至福のお食事タイムをしばらく楽しんだ。

南天の肉うどん。世界文化遺産に指定してもらいたい。

椎名町駅のすぐそばには山手通りの陸橋がある。そのたもと近くにあるのがリサイクルショップの新宿広場だ。古本屋ツアー・イン・ジャパン情報で、ここに古本があるということだったので、以前から狙っていた店だった。店の前には洗濯機などの家庭用電化製品がひしめいており、薄暗い店内を覗いてもそれらしい様子は皆無だ。しかし情報を信じて中に入ってみることにする。一階には古本の影も形もなく、家具や什器のたぐいが林立している。だが、家庭用ゲームのソフトがぎっしり詰まった棚があった。これはつまりソフトウェア方面の買い取りもしているということである。

意を強くして二階に上がると、階段から左側にまずレコードとCDの棚があった。ドーナツ盤とLPの宝庫だ。分類などはされておらずビニール袋に入ったレコードが隙間なく差してある。私は関心がないから見ないが、その筋の人が探せば何か掘り出せそうだ。

その奥に目指す本の棚があった。スチール棚が2本、人が入るのがやっと、という狭い感覚で立ててあり、中には文庫から単行本までさまざまな本があった。たぶんレコードもそうだが、廃品回収の際に出てきたものをそのまま入れてあるのだろう。実家近くにあったブックスーパーいとうが、やはり廃品回収起源の店だったのでどこか懐かしい光景である。けっこう古いものもあったので、ドナルド・E・ウエストレイク『ウエストレイクの犯罪学講座』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を記念に買うことにした。

しかし困ったことに値付けがない。階下のレジで本を差し出すと、50円と言われた。本の裏にブックオフのシールが貼ってあったのは、買い取ったときそのままなのだろう。たぶん、どの本も50円とか、単行本なら100円とか、そのくらいの値段のはずである。

せっかくお店の人が出てきてくれたので、質問してみることにする。庭の手入れで高切りバサミを買うかどうか迷っていたのだ。とにかくなんでもある店だがこれはどうか、と思っていたら、おやじさんがこともなげに、あるよう、と言った。

後ろについていくと、奥のほうの天井を指さされた。なるほど、竿のようなものが何本か差してある。それがどうやら高切りバサミのようなのだった。竿の長さを聞いてみると、ものによって違うからなあ、などと言う。おお、何種類もあるのか。下ろしてあげましょうか、と梯子を持ってこようとするので、買うかどうかもわからないのに申し訳なく、また今度来た時に、と押しとどめた。値段を聞いてみると、980円ぐらい、というのでぐらりと心が揺れる。

外に出て、新宿広場、侮るべからざる、と感心しつつ山手通りを歩きだした。この通りはやがて都営大江戸線と西武新宿線の中井駅にぶつかるはずである。中井駅にも何件かの古本屋があったが、数年前に消滅した。同じく都営大江戸線沿いの落合南長崎にあった古本屋ももはや存在しないようだ。それらの店を訪ねたのは、まだ新宿に住んでいたころだから20年以上も前のことである。記憶の中の古本屋は、もはや店名すらおぼろげだ。いや、そこに行ったという記憶自体、現実かどうかが疑わしい。

とぼとぼと歩いているうちに東中野近辺までやってきた。ここで寄るべきは駅北にあるブックオフで、高田馬場店などと同様、独自方針で営業をしている店なので、他にはない品ぞろえが期待できるのである。

店に入り、右手のほうに進むと「古書」と書かれた棚があり、そこだけが異彩を放っている。古本じゃなくて古書なのだ、と主張したいわけだな、ふむふむと眺めていると、やはり発見があった。今井金吾『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』だ。今井金吾は日本経済新聞社に長く勤めた人で、東海道や中山道に関する著書がある。本書は日光道中、奥州街道、日光街道の道筋と宿場について詳説したもので、本街道以外にも日光例幣使街道などの脇筋についての記述があるのが嬉しい。本街道に比べると脇街道は実際に歩こうとすると資料に乏しいので、見かけたら買っておかないと駄目なのである。若干の書き込みはあったが、これを買わずにどうする、と意気込んでレジに持っていく。これで山手通りをえっちらおっちら下ってきたことが報われた。

東中野には商店街の中にもう一軒古本屋があったはずなのだが、これは完全に消滅していた。

そういえば、ここにくる手前で斎場脇を通り過ぎてきた。そこはたしか、都筑道夫さんの奥様が無くなられたとき、通夜で弔問に来た記憶がある場所だ。都筑さんのご自宅は近くにあり、東中野駅前のマクドナルドで早川書房「ミステリマガジン」の編集者が「読ホリディ」連載の原稿を受け取っていた。なぜそんなことを知っているかというと、当時私の原稿が遅く、よく「明日、都筑さんの原稿を取りに行きますよ。都筑さんに負けますよ」と文句を言われていたからであった。そういうことを言われるというのはもちろん、都筑さんの原稿が遅いからであり、いくらなんでも駆け出しの若僧が大作家に負けるなどありえないことであったからだ。しかし、私は幾度か都筑さんに負けてしまったのである。

とまあ、そんなことを思い出したので冷汗三斗となり、見かけた銭湯に入ってしまう。いや、冷汗三斗は真っ赤な嘘だ。午後三時で開いたばかりの銭湯を見たので入りたくなっただけだ。申し訳ない。このアクア東中野は有料だがタオルを貸してくれるばかりか、シャンプーその他の体を洗うものがボトルで据え付けてあるという、手ぶら入浴者には優しい銭湯なのである。

開店と共に老人たちがぞろぞろと吸い込まれていった。大人の社交場。素敵だ。

炭酸泉が売り物だが、もう一つ、他にあまり例のないものがある。露天風呂のある銭湯はそれほど珍しくないが、ここはその横に10メートルくらいのプールがあるのだ。お、でかい露天風呂、と思って足をつけたら水だったのでびっくりした。温水ではなくて、普通のプールなのである。全裸の男が平泳ぎをしているのを見るという、なかなかない体験をすることができた。全裸で泳ぎたくなったときにはぜひ、アクア東中野に。ちなみに子供のプール利用は、午後三時から六時の間だけだ。

東中野駅前に到着したので、ここでもう終わりにしようかと思ったが、足に余裕があったのでもう少しだけ歩くことにした。私が住んでいた西新宿五丁目や、青梅街道を挟んで向こう側の北新宿一帯はもうだいぶ再開発が進んでしまった。特に新宿税務署の付近は区画整理で大きな道路ができており、昔日の面影も失われている。だが、この東中野から大久保に抜ける一帯は、まだ昭和末期の街並みが残っているのである。できれば一切手を入れずにこのまま残してもらいたいが、それはよそものの横暴というものだろう。次に来たときに後悔せずにすむよう、景色を目に焼き付けながらゆっくり歩いていく。ゆっくりなのは、そろそろ疲れてきたからでもあるのだが。

やがて道は小滝橋通りにぶつかった。その交点近くにあるのが、今や新宿駅周辺では唯一の個人経営の古本屋となった修文書房だ。いつ来ても店長が、妙に入りの悪いラジオを聞いている。中央に棚が三本あり、向かって左は背が低い文庫棚で、ここには絶版文庫などが多数ある。真ん中は人文科学書と絶版コミックが裏表になった棚、右はコミックと成人向け書籍である。壁際の棚は、左側に私の関心が強いものがあって、手前の低めにミステリー、奥にいったところに演芸関係の本がある。右の壁際は雑本が多いのだが、まとめて買い付けたのか、この日は見なれないプロレス・格闘技関係の書籍が増えていた。ここまで来ただけで満足なので、特に何も買わずに失礼する。

豊島区から中野区をかすめて新宿区への古本散歩、これでひとまず終了である。

北新宿で見た。コインランドリー兼古本屋、ではなくて利用者のために置いてあるだけらしい。

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