『全国古本屋地図』が刊行されなくなってからどのくらい経つのだろうか。
日本古書通信社が出しているもので、かつて古本屋まわりをする者は誰でも持っていた。当然私も持っていた。実家に行けば改訂版が刊行されるたびに買っていたバックナンバーがあるはずなのだが、手元にはしばらく置いていなかったのである。
先日古書ほうろうに行った際に、1988年版を見つけ、つい買ってしまった。というのも、自分が最も使用したのはこの青い表紙のものだからだ。奥付を見ると、初版は1977年になっている。1978、80、83、84、86年に改訂新版が、1987年に増補版が出た。1988年版はその最初の改訂版ということになる。実家にあるのはもしかしたら1987年版かも。だが、まあ、大学時代頻繁に持ち歩き、マーカーで行ったことがある古本屋の名前に線を引いていたのはこの青い表紙の『全国古本屋地図』だ。それは間違いない。
当時そんなに改訂版が出ていたのは古本屋が増加傾向にあったからだ。帯には「掲載店約二、一〇〇軒」とある。増加のピークがいつだったのかは知らないが、その上り調子の時代だった。
せっかくなので、この『全国古本屋地図』を携えて1988年当時の古本屋旧跡を訪ねてみようと思った。行く先は浦和宿古本いちが開催中のJR浦和駅前である。古本いちは1982年11月発足と歴史が古く、今年で37年目を迎える。
駅を西口に出て、そのまままっすぐ進むとさくら草通りに出る。これは旧中山道である。街道歩きをしていると、道の幅を見ただけでぴんとくるのだ。あとで確かめたら、その通りだった。
マツモトキヨシ前の広場で古本市は行われている。会計のときにもらったチラシを見ると、浦和・金木書店、川口・しんり書房、見沼・丸岡書店、八潮・宮本書店、春日部・古本選堂が参加しているという。
ワゴンをざっと見てみたが、鉄道関係が強いように感じた。先日の彩の国所沢古本まつりでも同じことを思ったので、出店者は被っているかもしれない。ここでは最近気になっている神吉拓郎の第一短篇集『ブラックバス』(文春文庫)などを買う。「表題作は、疎開先の湖で外来魚を釣る17歳の少年の独特な心理を、あの真夏の終戦の一日に凝縮して描く」と裏表紙にある。なかなかいいではないか。もう一冊調布の三月書房が出していた随筆選のうち狩野近雄『食いもの好き』があったのでこれも買う。狩野はスポーツニッポン新聞社の社長を務めた人物で、戦前戦後の暴食記がおもしろい。泥酔して終電を逃し、西武線の線路の上を歩いて帰って、始発に轢かれかけた話などが、この世代のあっけらかんとした筆致で書かれている。拾いものであった。
同じ中山道を最初は北に向かう。少々歩いたところにあるのが前出の金木書店だ。『全国古本屋地図』によれば「大正末期からの老舗で現在の店主は三代目」という。店番をしていたのは女性だった。中央に棚があって店内が二分されている一般的な古本屋の作りで、中央棚は左側が文庫、右側が単行本で文学書の揃いも出ていて値付けも抑えめだ。壁側は左側の中程に中山道関係、右側の奥に埼玉関係書などの郷土史ものが集まっていて私は興味を惹かれた。法政大学出版局の〈ものと人間の文化史〉シリーズは安ければ買う叢書なのだが、吉野裕子『狐 陰陽五行と稲荷信仰』が見たこともないぐらいの安値だったので買うことにした。
勘定をしながら女性に、古本屋の消息を聞く。
「このお店の斜め前に、ときわ書店という店があったと思うのですが」
と切り出したが、それはご記憶にない様子であった。代わりに、
「駅前の伊勢丹の裏に、なんと言いましたか、ございましたけどねえ。あ、あと、この先のローソンになっているところが昔はブックサイクルという古本屋だったんです」
教えてくださる。お礼を言って、店を後にした。
少し戻ると、金木書店とは道の反対側の四つ角から市場通りが始まっている。二七市場というから、その日付に市が開かれたのだろう。売り子の女性の像が記念に建てられていた。その角から一軒置いた場所にあったのが、前出のときわ書店だ。また引用すると「店は広いが、マンガ、文庫が大部分」だった由。
『全国古本屋地図』には載っていないがブックサイクル跡も見に行く。金木書店からは南に下って西方に曲がったところにある。そこから南に進んでいく。駅前に到達すると伊勢丹が出てくるのだが、その前の商店街でばったりと古本屋に出会った。武蔵野書店ヨーカ堂前店である。
武蔵野書店は『全国古本屋地図』ではもう少し南側に書いてある。ヨーカ堂前店というぐらいだから支店を出してそっちが残ったか、本店が移転したか、どちらかなのだろう。店頭の均一棚が豊かで、商店街の中ということもあってお客の出入りも多い。中に入ると奥に長い造りであり、中央に棚があって仕切られていた。店の右側が文庫地帯、左側が、中央棚の奥の方が新書、それ以外は単行本という分布である。文庫はすべて定価の半額なので、古いものがあればお得な値段ということになる。ただ、新し目のものが多く、ここでは買えるものはなかった。単行本側を見ると俳句や歴史関係にいいものがあるし、文学書でも全集が置かれているなど、決して軽いだけのお店ではない。
ここから伊勢丹裏に行く。セブンビルの一階にかつて存在していたのが弘文堂書店である。上階や地下は飲食店が多いのだが、一階には長屋形式にさまざまな業者が入居している。どこが弘文堂書店だったのかは、残念ながらわからなかった。
駅前を経由して斜めに南下していき、中山道に合流する。そこで出てくるのが浦和古書センター利根川書店である。このお店、ネットで検索すると利根川古書専門店と出てきたりして名前が一致しないのだが、『全国古本屋地図』には「浦和古書センター」抜きで表示されている。古本屋ツアー・イン・ジャパンの記事では休みがちながらも均一棚に本が置かれていることもあるように書かれていたが、この日見た限りではしばらくの間休業しますという札が出たままで、店頭には何も置かれていなかった。また改めて出直してみよう。
ここからはその古本屋ツアー・イン・ジャパンの記事も参考にして歩いていく。西口だけではなく東口にも小山氏は足を延ばしていて、akasanatana record &coというCD・レコード販売の傍ら古本屋も売る店と、んぐう堂という午後七時に開く店のことが書かれていた。
蔦屋書店に面した地下通路を抜けて反対側に出る。そこからの坂を下り切ったところがakasatana recorod & coだが、何もなかった。おそらくシャッターの降りている倉庫風の建物がそうだろうと目星をつける。
んぐう堂はそこからちょっと離れた場所にある。住所をグーグルマップに打ち込んで案内させたが、住宅地の中に連れ込まれてしまった。路地の奥の建物を、ここだ、と誇らしげに指すのだが、そこはどう見ても一般の住宅である。路地を抜けて表通りに出ると、それらしき空き地が見つかった。古本屋ツアーの記事ではんぐう堂は五角形の敷地だとある。まさにそのとおり、五角形の駐車場なのである。確証はないが、たぶんここだろう。夜だけ開く個性的な店に思いを馳せながら、駅へと引き返した。
あと一ヶ所だけ行かなければいけない。んぐう堂跡地と思われる場所から戻り、信号を渡ると、東仲町の商店街に入る。その中程にかつて文推堂書店という古本屋があったそうなのだ。これは『全国古本屋地図』情報である。引用すると「現在はマンガ、文庫が主だが、将来は名の通り推理小説に力を入れていきたいとのこと」とある。示された住所には、クリーニング屋があった。比較的新し目の建物に見えるが、文推堂書店からそのまま引き継いだのか、それとも幾度も代替わりしているのかはわからなかった。いずれにせよこれで、東口には一軒も古本屋がないことは確認できたわけである。
調査結果は出た。現在も営業中の店は金木書店と武蔵野書店、利根川書店はかなり怪しく、現時点では店舗は稼働していないと見るべきだろう。1988年に6軒だったのが2軒というのは、まだ健闘しているほうではないか。『全国古本屋地図』を畳み、私は帰路についた。