7月某日
午後から吉本興業社長の会見があると聞いていたが、それは待たずに外出する。これまでの経緯から考えて、保身と嘘しかない内容だろう。
この日は青春18きっぷを使わずに私鉄で移動する。ちょっと前に情報を聞いて気になっていた、横須賀中央の古本屋に行くつもりなのである。しかし、横須賀中央に行くのであれば必然的にあそこにも行かねばならぬ。京急線県立大学駅近くの老舗・港文堂書店だ。
県立大学駅は、10年ぐらい前まで安浦という名前だった。安浦は港湾都市・横須賀の悪場所である。安浦銘酒屋街という地帯があって、前世紀の末頃までは栄えていたそうだが、現在はそのへん一帯は普通の住宅街になっている。少し付近を歩いてみたが、街並みにらしさを感じるものの、昔からただの住宅街でした、と言われればそう思ってしまうほどの特徴でしかない。中には、これは昔何かの営業をしていたのではないか、という旧い建物もあったが、すでに殷賑を極めた当時の面影は皆無である。
銘酒屋街があった付近を少し歩いてみたのだが、当時の名残はまったくなく、普通の商店街になっている。これは廃業した銭湯。もしやっていたら入りたかった。 pic.twitter.com/URKLWYpvXu
— 杉江松恋 新刊『博麗霊夢、お大事に』 (@from41tohomania) July 22, 2019
そこから16号線を先に行き、山側に渡ったところに港文堂書店はある。看板に誇らしく記された「Scientia est Potentia(知識は力なり)」の文字が眩しい。
店頭には50円均一の台が出してある。ガラス戸には店内にムギちゃんという猫がいて、驚かすと外に逃げてしまうのでご注意という貼り紙が。しっかり胸に刻んで中に入った。
この店は何本かの棚が入口と垂直に並べられている作りになっており、私が今入った戸のところ以外は手前側が本で埋まっていて出入りはできない。この通路は右に宗教書、左に山岳などの趣味書という並びである。奥に行くと左前方に帳場が見えて、その上には噂のムギちゃんがいる。帳場の手前が細い通路になっていて、店の入口側の縦に配置された棚は、そこを移動して見ることができるのである。向かっていちばん右が日本文学や幻想文学、芸能、ミステリーやオカルトなどの棚。小栗虫太郎のけっこう珍し目のものがある。その左が漫画の棚で、ここにもレアものがちらほらある。黒鉄ヒロシの立風文庫などはちょっと購入を迷った。その左が最初に入ってきた通路の棚、その左が海外文学とSFが多めの棚で、その奥は人文系ということになる。
棚はこれで全部ではない。帳場はこれらの棚に向かい合う位置にあるのだが、その奥にもほぼ同数の棚が配置されているのである。ここにもずらりと本が配置された壁際に沿って奥に入る。やはり櫛形に並べられた棚を見て歩くと、店主の女性の背中を拝むことにもなる。棚越しに帳場の裏を見るというのはなかなかない体験だ。奥側には学術書が多く、理工学書の主力はこっちだ。しかもかなり年季の入っているものばかりで、中には戦前のものもごろごろしている。古本屋のいちばんいいときに時間が止まり、そのままエッセンスを封じこめられたような店内なのだ。
あまり高い本は買わなかったが、それでも2千円近い金額になった。中でも畑正憲の海洋冒険小説『無頼の船』を買えたのは収獲であった。持っているんだけどね。この本はなんで復刊されないんだろう。
そこから歩いて横須賀中央駅まで行き、急坂を登って山側に。あいにくと目的の店は休みだった。月曜定休なのだ。覚えておこう。代わりに店舗営業を止めてしまったらしい(別記するとおり、これは間違いだった。すみませんでした)沙羅書房を見に行く。ここにもだいぶお世話になったのである。
山を下って県立大学駅前まで歩く。ぱらぱらと雨が降ってきて濡れてしまったが、大丈夫、駅前の松の湯に入るからだ。タオルを持っていなかったので言うと、貸してもらえた。ここはかなり古い造りで、脱衣場には今ではあまり見なくなった籠も置いてある。これがあるところはひさしぶりだ。
中は熱めの浴槽とそれよりはぬるい生薬風呂。生薬のほうは日替わりらしい。入ったときには見えなかったが、老人がひとりカランの前につっぷしていてぴくりともしていないのでびっくりする。大丈夫なのか。脳溢血か何かで倒れているんじゃないのか。しかし周りの老人たちは平気な顔で体を洗っているのである。しばらく見守っていると、つっぷしていた背中がもぞもぞと動き出し、不意にぴょこんと起き上がった。何事もなかったかのようにお湯をかぶってあくびとかしている。まさかと思うが、昼寝か。しかし何もそんなところで寝なくても。
松の湯を出て県立大学駅へ。京急線で帰る。途中で崎陽軒のシウマイを買うのだ。